2019年9月 3日 (火)

【映画評 感想】トールキン 旅のはじまり

Photo_20190903113401 「トールキン 旅のはじまり」Tolkienを見ました。あの「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」や「ホビット」の原作者JRR・トールキンの青春時代を描く映画です。トールキン自身は「作家作品研究」的なアプローチは好きではなかったようで、作者の人生をいくら調べても、文学作品とは無関係である、という立場の人だったようですが、しかし、トールキンの作品を読み、あるいはピーター・ジャクソン監督によって映画化された6部作を見れば、明らかに二つの世界大戦の影がちらついています。特に、トールキンが実際に従軍した第一次大戦の塹壕戦の悲惨な光景が、悪の帝国モルドールの描写に重なることは間違いないところでしょう。フロドに献身的に仕えるサム・ギャムジーのモデルが、陸軍の忠実な兵士たちであったことは、トールキン本人も明言しています。また、悪の帝王サウロンが徐々に支配を伸ばしていく点では、ヒトラーがモデルになっていると言われています。

 

本作の展開を厳密にみるならば、トールキンの伝記を正確にトレースしているわけではないようです。たとえば、年譜的には、トールキンが最愛の人エディス・ブラットと出会い、夢中になった後で、フランシス・モーガン神父の勧告により離別したのは1910年のこと。キング・エドワード校の学友4人で、劇中にも登場する秘密クラブ「T.C.B.S」を結成するのは1911年であり、前後関係としては劇中の展開と一致しません。

 

また、戦争中の描き方にしても、史実通りとはかなり相違するように思われます(この点は後で詳述します)。要するに、正確なドキュメンタリーのような伝記映画を作ったのではなくて、トールキンのその後の創作にいかに彼の前半生が関わっているか、という点をクローズアップしたところが、非常に興味深い作品となっています。

 

セアホール・ミルの美しい田舎の田園風景が、後のホビット庄につながり、バーミンガムの工場地帯の黒々としつつ赤い溶鉱炉が燃える景色は、モルドールや、イセンガルドの軍事施設を思わせます。そしてソンムの戦場は、フロドとサムがさまようモルドールから滅びの山への果てしなく続く荒涼地のモデルであることは言うまでもありません。このあたりを視覚的に一目瞭然に描き出してくれるのは、映画という表現ならではです。

 

また、言語学の天才であったトールキンは、エルフ語やモルドール語、ローハン語などの新しい言語を創作し、その裏付けとなる物語大系を築いて行ったわけですが、その言語へのこだわりが、いかに彼の若き日々の生活の中心であったか、という描写も重要です。こうしたトールキンの人生こそが「旅のはじまり」であり、やがてビルボ・バギンズの旅立ちにつながるのだ、という視点が明確です。

 

そのため、第一次大戦の激戦地、ソンムの戦場でさまようトールキンが、子供時代、学生時代の思い出を走馬灯のように想起する、という構成になっていますが、これが効果的です。後のスマウグ、ガンダルフやサウロンらしき幻影が登場するシーンがあるのですが、やっぱりドキドキしますね。

 

あらすじ◆南アフリカで父親が死んだことにより、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(少年:ハリー・ギルビー/青年:ニコラス・ホルト)の一家は、住み慣れたセアホール・ミルの田舎から、バーミンガムに引っ越すことになります。貧しい生活の中、母親はロナルドに、現実を離れたファンタジーの魅力を伝えます。しかしまもなく母も病死し、遺されたロナルドは、弟と共に母の友人のモーガン神父(コルム・ミーニイ)の後見を受けることになり、フォークナー夫人の屋敷に下宿して、地元の名門校キング・エドワード校に通うことになります。同じ下宿にはピアニストの少女エディス(リリー・コリンズ)がおり、二人はすぐに恋に落ちます。

 

ロナルドは、学校で知り合った仲間たち、校長の息子で画家になりたいロバート(アルビー・マーバー/パトリック・ギブソン)、詩人志望のジェフリー(アダム・ブレグマン/アンソニー・ボイル)、作曲家を目指すクリストファー(タイ・テナント/トム・グリン=カーニー)と意気投合し、芸術で世界を変える秘密結社、ティー・クラブ・バロヴィアン・ソサエティ(T.C.B.S)を結成し、青春を謳歌します。

 

その後、ロナルドは学業不振に陥り、オックスフォード大の受験に失敗。神父はエディスとの交際を禁止します。再試験で進学は出来たのですが、古典文学を専攻したものの伸び悩み、退学寸前にまで追い込まれます。さらに追い打ちをかけるように、エディスが他の男性と婚約した、という知らせが入り、彼を打ちのめします。そんな中、ふとした出会いから言語学の重鎮ライト教授(デレク・ジャコビ)と知り合い、自分のやるべきは言語学であることを悟り、教授の門下に入ることを許されます。充実した学生生活を手に入れたロナルドですが、1914年、イギリスはドイツとの戦争に踏み切り、第一次世界大戦に参戦します。ロナルドを始め、「T.C.B.S」のメンバーは皆、軍に入隊して初級士官として戦場に赴くことになりますが、ロナルドを待ち受けていたのは、最悪の激戦地、ソンムの戦場でした…。◆

 

ということで、なんといっても目を引くのがリリー・コリンズ。あの「ジェネシス」のドラマー、フィル・コリンズのお嬢さんですが、もともと、かなり太い眉毛の持ち主。ところが本物のエディス・トールキン夫人という人が、すごく濃い眉毛の人なので、ドメ・カルコスキ監督が「とにかく見た目がそっくり」と思ったそうです。エディス夫人は父親が公表されない私生児として生まれ、劇中でも言及されますが、もともとは聖公会の信者で、トールキンとの結婚に当たり、カトリックに改宗しています。彼女はまた、エルフの王女であり、定命の人間ベレンに嫁いだことで、不死の身から死ぬ運命になったルシエンのモデルとなったといいます。だから、エディスの墓石にはルシエン、トールキンの墓石にはベレンの名が刻んであるそうです。また、ルシエンの子孫であるアルウェンは、ルシエンの再来と言われるほど似ており、人間の王アラゴルンと結ばれることで、同じ運命をたどった、とされています。

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ニコラス・ホルトはじめ4人の青年たち、それから、それぞれの子役4人も非常にいい感じで、途中の「世代交代」も違和感がなく、見事です。トム・グリン=カーニーは「ダンケルク」の少年兵役で主演した人ですね。旧「スター・トレック」シリーズで有名なベテラン、コルム・ミーニイや、「オリエント急行殺人事件」の執事、「シンデレラ」の国王などの名演が記憶に新しい重鎮デレク・ジャコビの渋い演技も光ります。その他、隅々に至るまでキャスティングがよく考えられています。

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こういう史劇の場合、コスチュームも大事ですが、エドワード朝の重々しいフロックコートやスーツに、まだスカーフ状の柔らかいネクタイ、あるいはロングドレスに大きな帽子、といったスタイルが、徐々にモダンになって行って、戦後の1920年代のシーンでは、男女ともにすっかり現代的な服装になっているのが見ものです。このあたりの服飾史的な考証も、しっかりされています。本作では非常に重要な、第一次大戦当時の軍装という点でも、ぬかりなく、兵士たちは1902年型の詰め襟のカーキ色軍服、将校たちは1914年モデルの開襟軍服を着用しています(当時、ネクタイを締める軍服は世界でも最新式のものでした)。ただし、ソンムの会戦(1916年)頃ということですと、実際には将校の階級章や徽章は、まだ肩章に付けていない時期だと思われ(初期の階級は袖口で示すもので、公式に肩に徽章を付けてよくなるのは1917年のこと。今に残るトールキン少尉の写真でも、肩章には何も徽章は付けていません)、この点では、本作の将校たちは初めから肩章に徽章を付けているようでしたが、このあたりはどうなのでしょうか。もっとも、実際には公式な通達の以前から、実用上の便利さを考えて、肩に徽章を付けることはあったようです。

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ところで、映画上の展開は劇場でご覧いただくとして、史実でのトールキン少尉の戦歴は以下のようになります。彼はランカシャー・フュージリア連隊の第11大隊の通信士官として従軍しました。モールス信号や野戦電話の担当で、比較的、後方勤務と言えます。同連隊は平時には2個大隊があるだけでしたが、戦時の急速拡大で基幹3個大隊となり、補充兵で8個大隊に、さらに終戦までに20個大隊まで規模を拡大して、戦場に将兵を送りました。トールキンは1915年に入隊しています。この時代に、彼は後の「シルマリルの物語」(指輪物語の世界の創世記に当たる部分)を書きはじめています。

 

19166月にソンムに展開した同大隊は、714日にオーヴィレル近郊の激戦で早くも壊滅状態となり、トールキン少尉も10月には「塹壕熱」(シラミから感染する病気)が発症して後送となり、119日にはバーミンガムの病院に入りました。その病院で、トールキンは「T.C.B.S」の仲間、ジェフリー・スミス中尉から、同じく仲間であるロバート・ギルソン中尉の戦死を知らせる手紙を受け取っています。しかしその手紙が届いた時には、すでにジェフリーもこの世になかった模様で、トールキンと同じ連隊の第19大隊に属していた同中尉は、123日に戦死しています。その後、第11大隊は完全に壊滅しますが、トールキンは体調が回復せずに、前線に戻ることはなく、中尉昇進を待たずに除隊となりました。

 

以上のような戦歴から見ると、映画上の展開はかなり異なっているように思われます。しかし、このあたりは映画表現として理解するべきところです。

 

第一次大戦後、オックスフォード大の教授となったトールキンは、若き日の「T.C.B.S」のよき思い出がそうさせるのか、文芸サークル「インクリングス」に参加し、友人たちから刺激を受ける中で創作をしていきます。その際の仲間には、やはりオックスフォード大の研究者だったCS・ルイスがおり、この二人が競うように創作に励んで、トールキンが「ホビット」を、ルイスが「ナルニア国物語」を生み出したのは、よく知られているところです。ルイスの方は、アンソニー・ホプキンス主演の「永遠の愛に生きて」で、「ナルニア国」より前に本人をテーマにした映画化がされているわけですが、これまでトールキン本人を描く映画がなかったのは、むしろ意外な感じもあります。これは、トールキンがあまり自分自身のことを公表したがらない作家だったことが原因だと思われます。名門大学の教授だったことは知られていても、早くして両親を失い、非常に苦学して大成した、という事実を知らなかった方も多いのではないでしょうか。

 

今回の映画は、あまり一般には知られていなかった「T.C.B.S」の活動を知らしめたという点で、非常に意味のある一作だったと思います。彼らなくして、後のトールキンは絶対にないのであり、若くして才能ある人たちが命を散らしていった中で、彼らの遺志がトールキンの中にあって開花したのだ、と信じたいですね。非常に美しい、感動的な一作でした。

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2019年8月14日 (水)

【映画評 感想】ライオン・キング

「ライオン・キング」The Lion Kingを見ました。ジョン・ファヴロー監督の手腕が光る一作です。1994年のアニメ版を完全実写化、ということですが、実写と言ってもフルCGですので、「シンデレラ」や「美女と野獣」「アラジン」の時のような「実写化」なのかというと、違う感じもします。監督自身も「アニメの実写化なのか、といわれると違うような気がします」というコメントをしていました。いうならば超CGアニメ化、なのでしょうが、しかしもはやCGアニメ、などという域ではありません。リアルな自然にリアルな動物が動いているようにしか見えない。完成度の高さはまさに衝撃的です。

 

技術的に言えば、要するに、もう本当に何でも表現出来るのだ、監督がその気になりさえすれば、視覚化できない映像などないのだ、ということが決定的に突きつけられた作品だと思います。「映像化は不可能」という言葉は死語になったのでしょう。逆に言えば、作品の出来、不出来は監督・スタッフの才能や努力の不足に帰結する、という厳しい時代になったともいえます。誰もが原作を知っていて、誰もが批評家になれるディズニー名作アニメで、その到達点を示す試みに挑んだ監督の勇気に、拍手を送りたいと思います。

 

ファヴロー監督と言えば、なんといっても2008年以来、「アイアンマン」シリーズを成功させ、その後のマーベル「アベンジャーズ」シリーズを軌道に乗せた立役者です。俳優としても有名で、つい最近の「スパイダーマン」新作や「スター・ウォーズ」のスピンオフ「ハン・ソロ」にも出演していました。SFヒーローものばかりでなく、数年前に世界を驚かせた「ジャングル・ブック」で、自然描写や、毛が多い動物を描くにも最新技術が活用できることを世に知らしめました。この人がいてこそ、今回の作品が生まれたのだと思います。

 

今回の映画で、実は冒頭の部分、アフリカの朝の大地に、大きな太陽が昇るシーンがありますが、あそこだけが唯一、本当にアフリカで自然を撮影したショットだそうです。それ以外は、ケニアで撮影した100万枚に及ぶ情景をデータ化し、ライオンの国「プライド・ランド」を作り上げて、監督たちはそのデータで築かれた仮想のアフリカで、普通の映画を手持ちカメラで撮るように撮影したのだそうです。つまり、完璧に出来上がった架空の世界の中を自由に移動できる、近年のフルCGのテレビゲームがありますが、ああいう感じで撮影したわけです。だから、見ていて感じるのは、よく英BBCなどが製作する、動物の生態を追う素晴らしいドキュメンタリーがありますが、ああいう感じの仕上がりです。だから、よくCGものでありがちな、いかにも都合のいい角度で絵を設計しました、作り込みました、という静止的な感じにならず、自然にカメラワークがパンして乱れたり、前景と遠景が切り替わったりします。こういう手法が画期的だった、と思います。

 

そういうことなので、今回の動物の描写は、アニメ版でみられた擬人化は抑えて、実在するライオンやイノシシがみせる動きを基準にし、いわゆる動物もの映画のような作法で再構成されています。たとえば、オリジナルでは両手を広げて人間のエンターテイナーのように踊りまくるミーアキャットのティモンですが、本物のミーアキャットは前足を横に広げることはなく、棒立ちですので、そこを考慮した動きにする、という感じです。ライオンやハイエナも、目と微妙な表情で個性と感情を描写しつつ、おおげさに泣いたり笑ったりはしません。ヒヒの長老ラフィキは、オリジナルではほとんど人間の老人のように描かれていましたが、本作では、最後の決戦で杖を使うものの、それもとっておきの最終兵器のような扱いで、カンフーを操って戦ったりはしません。このあたりについては、オリジナルとの比較という観点から、人によって好き嫌いや評価が変わってくるかもしれません。

 

一方で、ストーリー展開は基本的にオリジナルのまま。セリフの内容も、上記のような「リアル動物化」に合わせて微妙に変わっていますが、極力、昔のままです。音楽はエルトン・ジョンが手がけた名曲がすべて使用されるほか、ビヨンセらが作った新曲も加わります。余計なひねりを入れず、誰もが知る「ライオン・キング」のままなので、安心して見ていられます。そのなかで、終盤の決戦シーン、ティモンとプンバァがハイエナをおびき寄せる場面で、「美女と野獣」の「ひとりぼっちの晩餐会」を引用する遊び心が光っていました。

 

◆あらすじ アフリカの大地で野生の王国「プライド・ランド」を治めるライオンの国王ムファサ(ジェームズ・アール・ジョーンズ)とサラビ(アルフレ・ウッダード)の間に生まれた世継ぎ、シンバ(ドナルド・グローヴァー)。両親の愛を一身に受け、幼なじみのナラ(ビヨンセ)と一緒にすくすくと成長し、家老のザズー(ジョン・オリヴァー)が手を焼くほど元気に成長します。しかし、親子を妬むムファサの弟スカー(キウェテル・イジョフォー)は、ハイエナたちと手を組んでヌーの群れの暴走を引き起こし、ムファサを亡き者にして、シンバを王国から追放してしまいます。王国を見守ってきた長老ラフィキ(ジョン・カニ)はシンバが死んだものと思い、ひどく落胆します。

 

気落ちして倒れていたシンバを、ミーアキャットのティモン(ビリー・アイクナー)とイボイノシシのプンバァ(セス・ローゲン)が助け、仲間として育てます。彼らから「ハクナ・マタタ」精神を教えられ、過去を棄てて楽しく暮らすことを覚えたシンバですが、そこに現れたのは大人に成長したナラでした。王位を継いだスカーがハイエナたちと組んで暴政をしき、王国は滅亡寸前だと聞いて心が揺らぐシンバですが、父王の死の原因は自分にある、という思いが彼の心を曇らせます。その頃、シンバが生きていることを知ったラフィキがやって来て…。◆

 

ということで、全くおなじみのストーリー展開。嬉しいのはムファサの声が、オリジナルに引き続いてジェームズ・アール・ジョーンズという点です。日本語吹き替え版も、オリジナルと同じ大和田伸也さんがアテているそうです。ジョーンズと言えば、なんといっても「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの声ですが、ムファサの王としての威厳を表現できる素晴らしい声です。シンバ役のグローヴァーは、「ハン・ソロ」で若き日のランド・カルジニアンを演じていましたが、歌手としても有名で、彼とビヨンセのデュエットによる名曲「愛を感じて」は本作でも聴きどころです。スカー役のイジョフォーはあちこちの作品に顔を出す出力派で、「ドクター・ストレンジ」にも出ていました。こうしてみると、顔が広いファヴロー監督の「マーベル人脈」とか「スター・ウォーズ人脈」に連なる人が多いですね。

 

この作品は、オリジナルのときから手塚治虫先生の「ジャングル大帝」に設定が似ている、といわれてきました。しかし、基本のお話としては、シェークスピアの「ハムレット」に何よりも似ています。要するに、説話のパターンとして普遍的な、王殺しと王位の簒奪、若き王子の苦悩と成長を描くストーリーです。これが動物の世界をテーマとすることで、一層、シンプルに力強く描き出される、という構図なのだと思います。

 

今回の「実写化」で、その本来の意図がさらにはっきりと浮き上がったのではないか、と思いますし、監督の狙いも本質的にはそこにあったのだろうと感じています。映画表現の今後の可能性について、非常に刺激を受けた一作でした。Photo_20190814135701

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2019年8月 7日 (水)

【映画評 感想】ワイルド・スピード/スーパーコンボ

「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」Fast & Furious Presents: Hobbs & Shawを見ました。2001年から続く人気シリーズ「ワイルド・スピード」のスピンオフ作品です。原題は「高速と怒り お届けするのは:ホブズとショー」みたいな感じでしょうか。

 

実際、シリーズのレギュラー出演陣は、ドミニク(ヴィン・ディーゼル)はじめ誰も出ておりません。元々はFBI捜査官としてドミニクたちと共闘してきたホブズ(ドウェイン・ジョンソン)と、敵として登場し、前作では成り行きで手を組んだショー(ジェイソン・ステイサム)。この存在感があり過ぎるサブキャラ2人を、そのままにしておくのはもったいない、と思ったのがデヴィッド・リーチ監督です。スタントマン出身で、「ジョン・ウィック」「アトミック・ブロンド」「デッド・プール2」などを手掛けてきたアクション映画の名匠です。それでなるほど、今回の映画には名脇役のエディ・マーサンが出ていますが、「アトミック…」と「デッド…」にも出ていた監督お気に入りの俳優ということですね。

 

ついでに申せば、CIA捜査官ロックという人が出てきますが、これを演じているのが実はライアン・レイノルズ。「デッド…」つながりなのは言うまでもありません。

 

そういうことで、背景として知っておきたいのは、元FBIで、今は米国外交保安部の職員であるホブズと、元英国情報部MI6所属で、今はフリーのエージェントであるショーが、これまでの作品では成り行き上、やむを得ず手を組んだものの、本来は犬猿の仲である、という事実だけ、です。だから、これまでのシリーズ展開を全く知らないで楽しむことが出来る、というのが本作のいいところです。私も実はこのシリーズ、これまで一つも見ておりませんが、全く気になりませんでした。

 

それにしても、本来はあくまでサブキャラである2人の生い立ちとか、日頃の生活とか、家族とかを詳細に描くというは、面白い試みです。こういう要素は今後のシリーズにも引き継がれていくのでしょうか。確かに、ショー単体とか、ホブズ単体で別のシリーズを作ってもよさそうなほどのキャラクターの立ちぶりですから、まだまだ違う形のスピンオフもあるかもしれません。

 

◆あらすじ ロシアの科学者が作った恐怖の細菌兵器を奪取するために、英国MI6の特殊部隊が出動。無事にウィルスを抑えますが、そこに現れた異常に強い男ブリクストン(イドリス・エルバ)が部隊を全滅させてしまいます。一人、生き残った女性隊員ハッティ(ヴァネッサ・カービー)は、やむを得ずウィルスを自分の体内に取り込んで辛くも脱出。ブリクストンはすぐに、ハッティがMI6を裏切って、ウィルスを持ち逃げした、という嘘の情報を流してかく乱します。

 

世界の人類を死滅させるほどの危険なウィルスを放置しておくわけにはいかず、米CIAはまず、ロックを通じてホブズに依頼してきます。次に、ロンドンにいるショーにも依頼の手が伸びます。それぞれが独自の捜査でたどり着いたのが、国際テロ組織の暗躍。「協力者」としてロンドンで再会したホブズとショーは、互いを見てたちまち「こんなヤツと組めるか」と反目します。

 

やがて、ブリクストンに追われるハッティが保護されますが、なんと彼女は、長い間、音信不通で、ショーの母親クィニー(ヘレン・ミレン)もずっと心配していたショーの妹でした。ホブズ、ショー、ハッティの3人は、細菌兵器を開発したアンドレイコ教授(マーサン)と接触し、早くハッティの体内からカプセルを回収しないと、彼女が発症し、さらに人類も絶滅の危機に瀕することを知ります。

 

ショーの依頼を受けた愛人マルガリータ(エイザ・ゴンザレス)が手引きし、テロ組織の施設に潜入した3人は、ウィルスを分離する装置を奪取しますが、ブリクストンの手がどこまでも迫ってきます。

 

悩んだ末、ホブズは故郷のサモアに戻り、兄のマテオ(ジョー・アノアイ)の協力を得ようと決めますが、彼には実家に帰りたくない過去の因縁があって…。◆

 

というようなことで、痛快娯楽作品として存分に楽しむべき一作ですが、それぞれの家族の絆を描く部分が感動的で、このへんは本当にうまいものです。こういうドラマの部分で手を抜くと、アクション物は「話が薄っぺら」などと言われがちですが、本作は一切、手抜かりがありません。終盤、お話がサモアに移ると、その要素がますます強くなります。

 

「ミッション・インポッシブル」新作で活躍したヴァネッサ・カービーの熱演が目を引きます。この人はまだまだ注目されそうです。エイザ・ゴンザレスはどこかで見た顔、と思ったら「アリータ:バトルエンジェル」の序盤で登場する女サイボーグをやっていた人ですね。イドリス・エルバは、こういう役をやらせると、今や余人を許さないはまりぶり。この人が圧倒的に強くないと話が盛り上がりませんので、まさに適役です。

 

ちょっとだけ出ているヘレン・ミレンも、そのちょっとした出番でさすがの存在感です。

 

あくまでスピンオフ扱いなのでしょうが、またこの流れの続編を見てみたい、と思いました。成績次第ではあり得るのではないでしょうか。まさに快作でした。

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2019年7月 3日 (水)

【映画評 感想】スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム

Photo_20190703163401 映画「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」Spider-Man: Far From Homeを見ました。マーベル・シネマティック・ユニバースMCU第三期(フェイズ3)の最終作品だそうです。このフェイズ3は、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」「アベンジャーズ/エンドゲーム」を含むMCUの世界観全体のヤマ場。本作は「エンドゲーム」のラストを受けてスタートする形で、いわば「アベンジャーズ」シリーズの結末に付随する一作です。

 

私は膨大なMCUの作品群の全てを劇場で見ているわけではありません。正直に申しまして、全部に付き合う余裕がないためで、自分の個人的な原則として「キャプテン・アメリカ」「マイティ・ソー」と「アベンジャーズ」の名を冠する作品は全部、見ることにして、その他については、本筋との絡み方に応じて、適宜(てきぎ)、取捨選択、ということでやってきました。フェイズ3に入ってからは、すべてが「エンドゲーム」に至る伏線に関わって来るので、ほとんど全部見ています。

 

そういうわけで、「スパイダーマン」については、私の原則から言うと見ないシリーズでしたから、前作「ホーム・カミング」を見ていません。それから一介の高校生であるスパイダーマンをアベンジャーズ・チームにスカウトしたトニー・スターク(一貫して演じてきたのはロバート・ダウニー・ジュニア)を中心に描く「アイアンマン」シリーズも劇場では見ていません。にもかかわらず本作を見たのは、「エンドゲーム」の結末を直に受けた作品が、おそらく本作だけになりそうだからです。これ以後に公開される作品は、フェイズ4として、アベンジャーズの歴史が終幕し、アイアンマンやキャプテン・アメリカが退場した後の新しい歴史が語られることになるのでしょう。

 

スパイダーマンと言えば、トビー・マクガイアやキルスティン・ダンストをスターにしたサム・ライミ監督のシリーズと、アンドリュー・ガーフィールドやエマ・ストーンの出世作である「アメージング・スパイダーマン」シリーズがありました。MCUにスパイダーマンを登場させるために「アメージング…」が打ち切りとなり、トム・ホランドを新たに主演に据えてリブート・スタートしたのが現在のシリーズ。本作に登場するMJという主人公の同級生は、キルスティン・ダンストが演じていたメリー・ジェーンに当たる人物なのですね。

 

前作の「ホーム・カミング」が「帰郷」の意味で、今作の「ファー・フロム・ホーム」が「家から遠く離れて」という意味になります。ところが、主演のトム・ホランドは実際にはロンドン在住の英国人。タイトルに反して前作では英国からわざわざアトランタの撮影現場に赴き、今作では逆に家から20分の距離にある現場で撮影したそうです。それというのも、今回は「ご近所のヒーロー」としてニューヨークを一歩も出ないのが原則のスパイダーマンが、ヨーロッパ大陸を転戦して、ロンドンまで足を延ばすという異色作だからです。

 

スパイダーマンことピーター・パーカーはあくまで16歳の高校生。活躍できる世界はごく狭いものです。そして、スパイダーマンの能力が生かせるのは、ニューヨークのように摩天楼がそびえ立つ高層ビル街で、平地ではお得意の糸を出しても、意外に使い道がありません。本作は、そんな彼が修学旅行でヨーロッパに向かうことになり、青春アニメや学園ものゲームのような展開になるわけです。スパイダーマンは、すでに完成され、絶大な能力を持った大人のヒーローではなく、未熟な高校生が成長していく側面が強いのですが、その特徴が生かされた一作だと感じます。

 

ところで、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」で描かれたように、強敵サノス(演じたのはジョシュ・ブローリン)の野望が成就して、「全宇宙の生物の半分を消滅させる」悲劇が起こりました。それから5年後、「アベンジャーズ/エンドゲーム」では、ヒーローたちの活躍により、消え去っていた人々は、5年前の姿のままで社会に戻ってきたわけですが、それでめでたし、めでたしとはいえません。当然、大変な混乱を招いたと思われます。

 

その5年の間、消えた人々はすでに死んだことになっています。生き残った人々の生活は構わず続いて行きます。空白の5年の間に、恐らく財産や地位はすべて失われてしまいます。夫や奥さんがもう別の配偶者と結婚していたとか、家や預金が親族に相続されてしまったとか、会社に行ったけれどポストが埋まっていて復帰できなかったとか、そもそも会社や学校がなくなっていたとか…。介護が必要な寝たきりの両親が5年ぶりに戻ってきた、というご家庭もあるかもしれません。戻って来たものの、家族も知り合いもみんなどこかに転居してしまい、生き別れになってしまう可能性もあります。

 

社会全体としても、急に人口が倍増するわけで、縮小していた経済規模や流通、社会システムをすぐに元に戻せるものかどうか。学校や職場に復帰できた人々も、かつての後輩が年上になったり、上司になっていたり、といったことを経験することになるでしょう。5年前の大統領や首相が戻ってくる、5年前の知事や市長、社長や部長がやって来る。当然、5年の間に後任の人が着任しており、喜びも束の間、恐ろしいもめ事が起きそうです。入試だとか、オリンピックやW杯の選手選考だとか、考えただけでもものすごい大問題になったはずですね。

 

この作品でも、パーカーたち「復活組」は、かつて5歳も年下だった連中と同じ学年になっています。恐らく消滅しなかったかつての同級生は、みんな卒業して成人し、大学なり企業なりに行ってしまっています。また、先生の一人は復職できたものの、奥さんに逃げられたようです。そんな悲喜こもごもの混乱期から、お話は始まります。

 

◆あらすじ 「アベンジャーズ/エンドゲーム」の激闘が終わった後の世界。トニー、ナターシャ、ヴィジョンが帰らぬ人となり、キャプテンは人知れず引退しましたが、アベンジャーズ・チームの活躍で、5年前にサノスに消されたはずの人々が、突然、戻ってきました。もちろん、5年間のブランクが招く社会的混乱は大きく、復活したピーター・パーカーの周辺も例外ではありません。ピーターの高校は夏休みにヨーロッパへ修学旅行に行くことになり、ピーターは旅の途中でMJ(ゼンデイヤ)に告白しようと思いますが、かつて年下だったブラッド(レミー・ハイ)がすっかりイケメンの人気者に成長し、ライバルとして登場。MJにモーションをかけてくるので、ピーターは気が気でありません。一方、世間の人々は、アイアンマン亡き後の今、スパイダーマンにアイアンマンの後継者になることを求めて期待が高まりますが、16歳の高校生であるピーターには耐えがたい重圧がのしかかります。

 

メイおばさん(マリッサ・トメイ)は旅行先にスパイダーマン用のスーツを持って行け、と忠告します。しかしピーターは高校生らしい旅行を満喫したいと願い、無視します。出発の直前、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)から電話がかかってきても、やはり無視しますが、トニーの腹心だったハッピー(ジョン・ファヴロー)は「フューリーからの電話をスルーするな」と注意します。

 

ピーターはMJに接近するために、彼がスパイダーマンであることを唯一知っている親友、ネッド(ジェイコブ・バタロン)に協力を依頼します。しかしネッドはいち早くベティ(アンガーリー・ライス)と付き合うことになり、自分たちのことに夢中で頼りになりません。

 

イタリアのベニスで、巨大な水の化け物が街を襲撃し、ピーターはとっさにみんなを守ろうと行動しますが、力が及びません。その場を救ってくれたのは、それまで誰も見聞きしたことのない未知のスーパーヒーローでした。戦いの後、フューリーとマリア(コビー・スマルダーズ)が接触してきます。彼らがピーターに紹介したのは、イタリアのメディアがミステリオ(謎の男)と名付けた異世界からの来訪者、ベック(ジェイク・ギレンホール)でした。ベックは異世界の地球でヒーローでしたが、危機を救うことができず、滅亡してしまったといいます。そして彼は、この地球でも同じ場所にモンスターが現れると忠告し、次に出現するモンスターは炎のエレメント(元素)が実体化した最強の化け物で、これのために彼の世界は滅亡した、と説きます。

 

そのモンスターの出現が予想される場所はチェコのプラハ。ピーターもベックに協力してその迎撃にあたるよう要請されますが、ピーターは責任が重すぎることから気乗りしません。しかも修学旅行の次の予定地はパリで、少しでもMJと一緒にいたいピーターはフューリーに断ってしまいます。「そうか」とあっさりピーターの言葉を受け入れたフューリーに、ピーターは拍子抜けしますが、ホテルに帰るとなぜか旅行の次の目的地はプラハに変更となり、ピーターはいや応なく次の戦いに参加させられることになります。

 

プラハでの戦いもなんとか無事に終わりますが、苦戦を強いられたピーターは、自分には世界を守るヒーローの重荷を担う資格がない、と思い知ります。そして、トニーから譲り受けた形見のメガネ…それはスターク財団が巨費を投じて築いた防衛システムの制御装置と連動しています…を、ベックに渡してしまいます。しかし、それは致命的な過ちだったことを後で思い知ることになります。

 

プラハで、とうとう二人きりになったMJからは、思いがけないことを告げられます。「僕は実は…」と告白しようとした瞬間、彼女は言うのです。「スパイダーマン!」「え?」「あなた、スパイダーマンなんでしょ?」うろたえるピーターは、どうするのでしょうか。そして、謎の男ベックの正体とは…。◆

 

というようなお話で、後半は思いがけない展開が待ち受けておりますが、典型的な学園ドラマとヒーロー・アクションが絶妙に交錯し、コミカルなシーンも適度にはさんで、ストレスなく楽しめる娯楽作品の王道と言えるでしょう。このところ、ずっと壮絶でシリアスな物語が続いたシリーズの中では、ちょっと微笑ましい一作と言えるかもしれません。

 

終盤になって、いかに生前のトニー・スタークに人望がなかったか、部下から憎まれていたか、ということが明確になりますが、確かに、トニーはウルトロンを生み出し、ソコヴィアの悲劇を招いて、その後のアベンジャーズの分裂の原因を作った張本人。最期は立派でしたが、人格者だったとはお世辞にも言えない人物です。そんなメイン・キャラクターの欠点も容赦なく盛り込むあたりは、このシリーズも奥が深いです。

 

最後の最後に、意味深長な追加映像があって、これを見せられると、フェイズ4も見ないといけないかな、という気にさせられます。また制作サイドの術中にはまってしまったか、確かに今後の展開が気になるエンディングでした。

 

 

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2019年7月 1日 (月)

【映画評 感想】X-MEN:ダーク・フェニックス

Xmen 映画「X-MEN: ダーク・フェニックス」Dark Phoenixを見ました。X-MENチームの中心人物であるジーン・グレイが暴走し、スター・ウォーズ風に言えば「ダーク・サイドに堕ちてしまう」という物語です。本作は、2000年からスタートしたX-MENシリーズの最終章である、と告知されています。

 

ところで、このジーンの暴走というテーマは、既に2006年のシリーズ第三作「X-MEN:ファイナル ディシジョン」でも描かれたものです。この作品の原題はTHE LAST STANDであり、邦題と合わせて、その当時のX-MEN三部作の最終作という位置づけでした。その名に恥じぬ壮絶なド迫力が印象的な出来栄えで、この作品のジーン(ファムケ・ヤンセン)は恋人のスコット(ジェームズ・マースデン)、恩師のチャールズ(パトリック・スチュワート)を殺害した後、エリック(イアン・マッケラン)と組んで世界を滅亡の危機に陥れますが、最期はウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)の手にかかって倒れます。密かにジーンを愛していたウルヴァリンは苦悩し、その後、X-MENチームを離れて隠棲し、日本で活動した後に、世界の新たな危機に立ち向かったわけです…。

 

その危機というのが、70年代から開発が進んだ軍部のセンチネル計画により、ミュータントはもちろん、全人類が滅びかける、というものだったので、ウルヴァリンは2023年から1973年にタイムトリップして、歴史を変えてしまいます。その顛末が「X-MEN:フューチャー・アンド・パスト」(2014年)で描かれました。

 

その結果、2023年に帰還したウルヴァリンは、平和なエグゼビア学園を目にし、健在で何事もないように過ごしているスコット、ジーンらと再会します。

 

もしこれが、この時間軸での結末だとするなら、2017年に発表されたジャックマンとスチュワートの「卒業作品」である「ローガン:LOGAN」で描かれた2029年の殺伐とした未来は、ちょっと違う時間をたどった平行世界の出来事のように思われます。23年にあんなに平和で、ミュータントの社会にも異常がなかったものが、わずか6年後に、新しいミュータントが生まれなくなってから既に何年もたっているという、ああいう世界になっているはずはない、と思われるからです。

 

そして、問題なのは本作です。ウルヴァリンの活躍で歴史が変わったために、旧シリーズ三部作で描かれたような、人類社会とミュータントとの鋭い対立や、軍部の暴走、チャールズ派とエリック派の全面的な戦争状態、という流れはなくなったことになります。そんな新しい歴史の中で迎えた1992年に、ジーンはこちらの時間軸でも暴走してしまう、というわけです。この世界でのジーンは、旧三部作では2000年代まで暴走しなかったのに、10年以上も早く暴走してしまうことになります。そして、旧作の世界では、結果的にジーンを倒すことで暴走を止めたウルヴァリンが、92年にはまだX-MENのメンバーになっていません。どんな形であれ、ジーンを倒せるのは唯一、ウルヴァリンだけ、ということなので、今回の暴走は止められない、ということになるわけですが…。

 

◆あらすじ 1975年。強力すぎるテレパシーとサイコキネス能力を持つ8歳のジーン・グレイは、自分の能力を制御できず、交通事故を引き起こし、両親を死なせてしまいます。彼女をエグゼビア学園に引き取ったチャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)は、ジーンの精神に介入し、両親を殺してしまった、というトラウマを隠蔽して、彼女の精神を守ることにします。

 

そして1992年。スペースシャトル「エンデヴァ―」号の事故を受けて出動したX-MENチームは、見事にシャトルのクルーたちを救出しますが、ジーン(ソフィー・ターナー)は宇宙空間で未知の強烈なエネルギー体を体内に吸収してしまいます。

 

シャトルの救出成功により、X-MENは国民に信頼され、チャールズも得意の絶頂にいます。大統領から表彰され、社会的な成功も手に入れます。しかし、そんなチャールズの強引な方針に、レイブン(ジェニファー・ローレンス)は疑問を抱きます。ハンク(ニコラス・ホルト)はX-MENを去ろうと考えるレイブンをなだめますが、自身もチャールズに対して不信感を抱き始めています。

 

そんな中、恋人のスコット(タイ・シェリダン)と一緒にいる時に、ジーンは記憶の裂け目の中で、あの忌まわしい交通事故を思い出してしまいます。ジーンの暴走が始まった瞬間でした。事故で両親が死んだ、と思い込んでいたジーンですが、父親は今でも生きているのではないか、と思い始めます。スコットの制止も聞かず、かつて両親と住んでいた家に向かうジーン。

 

その頃、ジーンを求めて別の勢力が動き始めていました。彼女の中に宿った強力なエネルギーに強い興味を抱く謎の女ヴーク(ジェシカ・チャステイン)が率いる一団です。

 

混乱してさすらうジーンを捜し求めて、チャールズたち、ヴークたち、さらに秘密のコミュニティでひっそりと暮らしていたエリック(マイケル・ファスベンダー)も巻き込み、事態は徐々に大きな広がりを見せて行きますが…。◆

 

という展開で、結果的にジーンの破滅的な暴走は、やはり誰にも止められなくなっていくのです。それでは2006年の作品とどう違うのか。まずエリックがジーンを利用しようとする立場ではありません。そして、ジーンを止められるウルヴァリンがいません。それから、これはちょっとネタバレしてしまいますが、ヴークの率いる第三の勢力というのは、実はコミック版にも登場するエイリアン(異星人)です。彼女たちの介入が事件をより複雑にしていきます。

 

話の結末については、ここでは書きませんが、ひょっとしたら、この本作の時間軸の行き着く先は、「ローガン」で描かれた、X-MENが解散し、ウルヴァリンやチャールズが寂しく世の中から忘れ去られて死んでいく、荒廃した2029年なのでしょうか? ちょっとそんな気もしました。

 

あるいはまた、コミック版の原作では、ジーンが暴走事件から6年もたってから、奇跡的にカムバックする、という形でX-MENに復帰します。ひょっとしたら、結果的にはこの時間軸の行き着く先が、2023年にウルヴァリンが見た、ジーンも何事もなく穏やかに暮らしている平和な未来なのかもしれません。

 

いずれにせよ、本作をもって、20年近くにわたり語られてきたX-MENの世界は幕を下ろすことになりますので、後に残った謎は解明されることはないのでしょう。

 

しかしです。元々、マーベルの映画界進出は、まずこのX-MEN20世紀フォックスが製作することで始まりました。その後、「アイアンマン」の成功から「アベンジャーズ」が始まり、つい最近、4月にシリーズは一応の完結を見ました。

 

ところが、最近になりまして、20世紀フォックスは「アベンジャーズ」のディズニーに買収されましたので、X-MENとその他のマーベルの世界観を統合することに、レーベルの壁はなくなったわけです。実際、今回の作品も20世紀フォックスの製作ですが、配給はディズニーとなりました。今年、X-MENとアベンジャーズの両シリーズがほぼ同時に終わったわけですので、今後は、ディズニーの下で、マーベル・ユニバースにX-MENも加わった新たな世界観が生み出されてくる可能性もありますね。そのへんはどうなっていくのか、ちょっと楽しみです。

 

今回の作品では、いつものレギュラー・メンバーの熱演は言うまでもありませんし、ジーンを演じたソフィー・ターナーがとてもよく、これで終わってしまうのが残念です。やはりコミックのように、事件から6年後ぐらいの設定で復活してほしいものです。それから、当代一の演技派女優ジェシカ・チャステインが演じるエイリアンの首領というのがすごい迫力です。なにかこう、怖いですね。ちょっとジーンも食われてしまいそうな存在感です。さすがですね。

 

かなり悲愴な内容の作品ですが、最後の最後、平和を取り戻したチャールズとエリックが穏やかにほほ笑むシーンがとても美しく、長い間の宿敵同士が和解することで、X-MEN20年にわたる歴史を締めくくりました。これだけ長く続いたものが終わる、ということに感慨深いものがあります。

 

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2019年6月30日 (日)

【映画評 感想】アラジン

20190627192117 「アラジン」Aladdinをようやく見ました。この1か月ほどかなり忙しく、なかなか劇場に足を運べませんでした。ディズニーの実写化はどれも好評ですが、本作も期待を裏切らない出来栄えです。よくアニメ版を、ここまで持ち味を損なわずにリメイクできたな、と思います。あのオリジナルを見たときの楽しい高揚感が、そのまま蘇ってきます!

 

ディズニーが名作の実写化を始めて以来、「シンデレラ」や「マレフィセント(眠れる森の美女)」、最近だと「ダンボ」のように古い作品は、やはりそのままでは現代の感覚からずれるということで、それなりの(ものによっては、かなり)アレンジを加えました。しかしケネス・ブラナー監督の「シンデレラ」などは、そのアレンジが効果的で、本来の魅力を損なわない素晴らしい実写化となりました。一方で、1990年代以後のディズニー黄金時代のミュージカル・アニメについては、誰もが「あの名作を出来るだけそのまま、名曲もそのまま使って、現代の最新技術で実写にしてほしい」と願う傾向にあり、それで成功したのがビル・コンドン監督の「美女と野獣」でした。また、オリジナル版が素晴らしい実写だったためにリメイクはせず、あえて続編を製作した「メリー・ポピンズ」のような例もあります。

 

さてそれで、「アラジン」です。正直に申しますと、私はガイ・リッチー監督がこの実写化に起用されたと聞いて、若干の危惧を覚えました。この監督には「リッチー節」というべき作風、癖があると思われるからです。ストップモーションやフラッシュバックを大胆に多用し、かなり誇張されたアクションを描く、というイメージがあり、「シャーロック・ホームズ」では、それがテーマと合っていて、効果的だったためにヒットしましたが、その後の作品ではむしろケレン味と捉えられたのか、ここ何作かは興行的に不遇となっていました。

 

さらに、アラジンという作品が成り立つか、成り立たないかのカギを握るランプの魔人ジーニー役がウィル・スミスと知った際にも、同じような危うさを感じてしまいました。どう考えても亡きロビン・ウィリアムズの超人的なトークが作り出したジーニーを、実写で演じるのは難役です。そして、ウィル・スミスもここ数年はヒットに恵まれず、俳優のキャリアとしては低調と見られたからです。

 

しかし、蓋を開けてみれば、そういう危惧は全くの杞憂であったことが分かりました! ガイ・リッチー監督は独特の描写法を最小限にとどめて、むしろ「シャーロック・ホームズ」の際に称賛された徹底的な世界観づくりに手腕を発揮しました。豪華絢爛たる映像は、アニメで描ききれなかった豊かな王国アグラバーを、これでもかというほど具体的に実写にしています。巨大なセットを組み上げ、極力、CGに頼らず、こだわりぬいたといいます。

 

そしてウィル・スミスです。口八丁手八丁、歌って踊れて、マシンガントークが炸裂のジーニーを演じるには、確かにこの人しかいなかった、というのが改めて理解できます。結果として、リッチー監督にとってもウィル・スミスにとっても、キャリアの中で久々に大ヒットの成功作となったわけですね。

 

アニメ版と大筋ではほとんど、違いはありません。しかし実写版のオリジナル・キャラとしてジャスミン王女の侍女ダリア(演じるのはナシム・ペドラド)という人物が登場します。これが、最後まで見終わると大きな意味を持ちます。また冒頭の名曲「アラビアン・ナイト」は、アニメでは砂漠の商人が歌うのですが、本作では船乗りが子供たちに聞かせる形でスタートします。この2点のアレンジが、話の結末部分にかかわる伏線となっています。

 

音楽はオリジナル版でアカデミー賞を受賞しているアラン・メンケンが担当し、ウィル・スミスに合うように一部の楽曲をラップ調にするなどアレンジし、新曲も入れています。もちろん「アラビアン・ナイト」や「フレンド・ライク・ミー」「プリンス・アリ」そして「ホール・ニュー・ワールド」などの名曲はすべて登場します。

 

◆あらすじ アラビアの豊かな国アグラバーの下町に住むアラジン(メナ・マスード)は、サルのアブーとコンビを組んで、つまらないコソ泥稼業の毎日。しかしいつかは人生を大きく変えたい、と願っている貧しい若者です。ある日、泥棒と間違われて困っている謎の美女(ナオミ・スコット)の窮地を助け、親しくなります。彼女は王女付きの侍女と名乗り、アラジンはアブーが盗んでしまった彼女の腕輪を返すために、王宮に忍び込みます。

 

ところが、王宮で出会った彼女は、侍女ではなく、実は国王の一人娘ジャスミン王女本人でした。身分違いながら惹かれあう2人。ジャスミンは保守的で過保護な父王(ナヴィド・ネガーバン)から、隣国の王子(ビリー・マグヌッセン)と結婚するように求められ、窮屈な王宮の生活にも飽き飽きしていました。実はアラジンとジャスミンは、もっと広い別の世界に憧れる似た者同士だったのです。

 

しかし王宮を去ろうとしたとき、アラジンは国務大臣ジャファー(マーワン・ケンザリ)に捕まってしまいます。ジャファーはアラジンに、砂漠の奥にある魔法の洞窟に赴き、ランプを取ってくるよう要求します。この洞窟は「ダイヤの原石」のような若者しか入ることが許されないというのです。

 

アラジンは洞窟に入り、古いランプを手にします。それをこすったところ、出現したのはランプの魔人、ジーニー(ウィル・スミス)でした。アブーがランプ以外の財宝に手を出したために、アラジンたちは洞窟内に閉じ込められますが、その中で出会った「魔法のじゅうたん」とジーニーの活躍で外に脱出。ジャスミンとの恋の成就を願うアラジンは、ジーニーに頼んで「アバブア国のアリ王子」に変身します。

 

豪華絢爛たるアリ王子の一行がアグラバーの王都に入ると、国王は喜びますが、ジャスミンは、また金持ちの求婚者が現れただけ、と興味を持ちません。さらに、内心ひそかに王国を奪って国王になりたい野心を抱くジャファーは、新たな邪魔者が現れたことにいら立ちを募らせます。

 

魔法のじゅうたんに乗って夜のデートに誘うアラジンは、ジャスミンに手を差し出し「僕を信じて」と呼びかけます。そのしぐさと言葉に、ジャスミンはハッと気付きます。アリ王子が、実はあのアラジンであることに…。◆

 

ということで、オリジナル版を知っている人には説明無用の展開です。ジャスミンが一国の王女として、原作以上に強い自覚を持った政治家的な人物像になっているのが現代的な描写ですが、それもバランスを崩すほどの変更ではありません。

 

ディズニーのアニメを実写化する際に、いつも難しいのが動物たちの扱いだろうと思います。アニメ版では、動物が単なる擬人化を越えて、主要な登場人物として活躍することが多いわけですが、実写でそれをやると、技術的には可能であっても、やはり実写であることのリアリティーと両立しない場合があります。本作ではサルのアブーと、トラのラジャ、オウムのイアーゴがそれらに当たりますが、原作ほどの人間そこのけの饒舌さはないものの、いずれもうまいバランスで描いていると思います。

 

アラジン役のマスードは、これまでそれなりのキャリアはあるものの、俳優としては初の大役抜擢。まさにアラジンのイメージそのもので、この違和感のなさはすごいです。ジャスミン役のスコットもいいですね。新しい時代のヒロイン像として、気の強さとかわいらしさを絶妙なバランスで演じています。「オリエント急行殺人事件」などでも好演したケンザリが、楽しそうにジャファーを演じています。このドラマは、言ってみればジャファーが野心実現に焦り、空回りし続けないと先に進まないような話です。冷酷な恐ろしさを持ちつつ、どこか間抜けなヴィラン(悪役)という像を的確に演じています。

 

そして、なんといってもウィル・スミスです。この人がいなければ、本企画は成り立たなかったに違いありません。彼の実写版ジーニーは長く映画史に残るでしょう。

 

今後も「ライオン・キング」実写版などが控えていますが、こちらも楽しみです! オリジナルを知っている人ほど、見どころが多いと言えると思います。本作は、期待を超える本当に見事な映像美でした!

 

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2019年6月19日 (水)

【映画評 感想】メン・イン・ブラック:インターナショナル

「メン・イン・ブラック:インターナショナル」Men in Black: Internationalを見ました。実はこのところ、公私ともにかなり忙しく、映画館に行く余裕もなかったのですが、これでようやく「令和初の」映画鑑賞とB4 なりました。

それにしてもMIBの最初の作品から、もう22年もたっている、という事実が驚きです。しばしば、UFOの目撃現場に現れて、目撃者に圧力をかけたり、情報を集めたりする謎の黒服の男たちメン・イン・ブラック。その本来のイメージは非常に恐ろしいもので、もし、偶然にUFOを目撃してしまったり、エイリアン(異星人)と遭遇してしまったりした後に、MIBに拉致されたら生きて帰れない、という噂話までありました。

それを、独特のユーモラスな描き方で表現し、ごく一部のUFO好きの人にしか知られていなかったMIBというものを、一挙に誰もが知るポピュラーな存在にしてしまった、というのがこのシリーズでした。大物俳優ではあっても、誰もが知るほどの知名度はなかったトミー・リー・ジョーンズ、俳優としてはまだ新人だったウィル・スミスをスターにしたのも、このシリーズでした。

かつては、真っ黒の服というのは、燕尾服やタキシードのような純然たるフォーマルか、お葬式で着るもの、というイメージでした。あるいは聖職者や修道女、またはホテルやレストランの従業員、いわゆる黒服の人たちの接客ユニフォーム、という感じでもありました。最も極端な例と言っては、18世紀のプロイセン軽騎兵からの伝統を汲むナチス親衛隊やドイツ軍戦車兵の威圧的な黒い制服がありました。要するに、普通の人が日常的に着るには、ふさわしくない色の服だったといえます。1920年代にココ・シャネルが黒いドレスを発表した時には大騒ぎとなり、80年代の初めに、山本耀司や川久保玲が、パリコレで真っ黒な服ばかりのコレクションを発表した際には「黒の衝撃」と呼ばれましたが、それだけ珍しい、あるいは大胆で突飛なものだったともいえます。

だから、やはり80年代初めにヒットした映画「ブルーズ・ブラザース」の2人が、MIBと同じような黒いスーツに黒いサングラスといういでたちであっても、あくまで奇矯な人たちのおかしな服装、という域を出なかったわけです。その劇中では、黒いスーツ姿の2人に対し、プロモーターが「黒いスーツではお客が怖がるよ」と注意するシーンがありました。ところが、1997年のMIBの大ヒット以後、黒い服が一般社会に浸透した、というのは間違いないように思います。その直後ぐらいから、急速に日本の「就活スーツ」が黒一色になっていった、というのも関係がある話なのかもしれません。

一作目の段階で引退を考え、実際に二作目の冒頭では郵便局長になって引退していたエージェントK(ジョーンズ)は、いよいよ一線を退いたのでしょうか。KとエージェントJ(スミス)の過去の関わりも明らかになり、一応、この2人を軸とした物語もひとつの区切りをつけた、というのが前作のMIB3でした。

そこで、今回は中心人物を代えて、「アベンジャーズ」シリーズで無敵のハンマーを操る雷神ソーを演じたクリス・ヘムズワースと、その片腕となって活躍した騎士ヴァルキリー役のテッサ・トンプソンが、新たなエージェント・コンビを組んだのが本作。「アベンジャーズ」の世界では、強いのだけれど、傲慢で、どこか抜けているソーと、沈着でちょっと冷ややか、しっかり者のヴァルキリー、という描き方でしたが、今回のエージェントH(ヘムズワース)とエージェントMT・トンプソン)の関係も、それをなぞった形に見えます。

敵との格闘シーンで、ヘムズワースが落ちていたハンマーを手にして「これで形勢逆転だ!」と叫ぶシーンがありますが、言うまでもなくソーのパロディーで、なんともおかしいです(もちろん、この映画のハンマーには何の魔力もパワーもありません)。あちらでは、宇宙人であるソーが、黒服を着込んだ秘密組織シールドのエージェントたちに追い回される、という話だったので、完全に逆の役回りをやっていることになります。

 

幼いころに、黒ずくめの男たちに追われている子供のエイリアン、タランシアンを助けてやった経験があるモリー(T・トンプソン)。その際に、両親は男たちの持つ「ニューラライザー」(記憶除去装置)で記憶を消去されてしまったのですが、モリーは彼らの存在に興味を抱き、ずっとその正体を追い続けました。難関であるCIAの採用試験に合格し、きっとこの組織内に、あの黒服の人たちの部署があるのだろう、と思ったモリー。しかし、そんなものは実在しませんでした。落胆してすぐにCIAを辞め、コンピューター会社のカスタマー・センターでアルバイトをしているとき、ついにエイリアンが地球にやって来る情報をつかみます。

黒服の男たちが、地球に密航したエイリアンを捕まえた現場を確認したモリーは、そのまま彼らを尾行し、なんなくMIBニューヨーク本部に潜入します。たちまち正体がばれてしまいますが、モリーのセンスの良さと度胸が気に入った本部長、エージェントO(エマ・トンプソン)は彼女をスカウト。優秀な成績で試験をパスしたモリーは、正式にエージェント見習いMとして採用されます。

本部長Oの指令でモリーことエージェントMが向かったのは、ロンドン支部でした。支部長のハイT(リーアム・ニーソン)は伝説の腕利きエージェントで、数年前にはパリのエッフェル塔で、凶悪なエイリアン、ハイヴの地球侵略を阻止した実績があります。そしてもう一人、Mの目に留まったのが、型破りなエージェントH(ヘムズワース)です。彼もハイTと一緒に「知恵と銃一丁だけで」ハイヴの侵攻をとどめ、地球の危機を救った英雄ですが、合理的で沈着なMから見ると、チャラくて女癖が悪く、やることなすこと行き当たりばったりのHは頼りない人物に思えます。また、ロンドン支部内も一枚岩ではなく、ノリだけで何事も解決していき、周囲に迷惑をかけながら、支部長からの評価が高いHを疎ましく思っているライバルのエージェントC(レイフ・スポール)の存在も気になりました。

そんな中、ジャバビア星の王族ヴァンガスがお忍びで地球にやってくることになり、護衛にはHが指名されます。強引に自分を売り込んで、HのアシスタントとなったMは、ヴァンガスが豪遊するナイトクラブに同行します。しかし、ヴァンガスを狙う2人の殺し屋(ロラン・ブルジョワ、ラリー・ブルジョワ)により、ヴァンガスは暗殺されてしまいます。

HMは責任を問われますが、MMIBの内部にスパイが存在する可能性を指摘。いまわの際のヴァンガスがMに手渡した秘密兵器の存在がますます物議をかもし、ロンドン支部は疑心暗鬼に陥ります。HMは殺し屋が初めに出現したモロッコに飛びますが、そこでCが指揮するMIB部隊に包囲されてしまいます。2人はここを切り抜けて、内部のスパイを発見し、地球の存亡にかかわる危機を回避できるのでしょうか…。

 

といった展開で、SF色というよりも、どこかしら初期の007のような、ユーモアのあるスパイ・アクション作品を想わせます。後半になると、「ミッション・インポッシブル」シリーズで有名なレベッカ・ファーガソンも登場し、一層、そんな感じになってきます。

本作の「ブラック・スーツ」は今まで以上にスタイリッシュで、単なる黒いスーツなのですが、非常にいい感じに仕上がっています。要するにオシャレです。それもそのはず、衣装担当は「パイレーツ・オブ・カリビアン」などで知られるペニー・ローズですが、特に黒服については英国ブランドのポール・スミスが提供しており、最高級のビスポーク(注文服)で対応しているそうです。確かにスーツの襟の形状にポール・スミスらしい個性があります。よく見ると、レイフ・ファインズはベスト付きのスリーピースで、ポケットから懐中時計の金色のチェーンを覗かせ、テッサ・トンプソンのジャケットはボタンが二つだけ(かけるのは一つだけ)というダブル仕立て、と非常に凝っています。おそらく英国人という設定なのだろうHは、ハチャメチャな人物設定にもかかわらず、黒いネクタイを几帳面なウィンザーノットで結んでいるようで、実は本来の育ちの良さが垣間見えます。

実は、ポール・スミス氏本人が「タイプライターの修理屋」という役回りでカメオ出演していますのでお見逃しなく。

それから、異星人の殺し屋役のブルジョワ兄弟は、ビヨンセのツアーでバックを務めたダンサー、モデルですが、日本でも活動歴があり、特にラリーの方はNHKや日本テレビの番組にも出演しています。こちらも注目ですね。

今後、このシリーズの中核を、今作の2人が担うのか、他の誰かが担っていくのかは不明ですが、このシリーズは、MIBという組織の1960年代からの発展史、という側面もありますので、また数年おいて続編が登場してほしいと希望します。主要キャストが代わっても、本当に楽しい一作でした。

 

 

 

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2019年4月27日 (土)

【映画評 感想】アベンジャーズ:エンドゲーム

Photo_33 「アベンジャーズ/エンドゲーム」Avengers: Endgameを見ました。まさに10年以上にわたり、22作の映画で語り継いできた大河シリーズ、マーベル・シネマティック・ユニバースの完結編です。平成最後のアベンジャーズ、といううたい文句はなかなか粋です。

今回の作品は、アクション映画というより、タイムトラベル映画という色が濃いもので、作風もどこか物悲しく、哲学的な要素が強い異色の作品となりました。壮絶な死闘は前作「インフィニティ・ウォー」までで充分に描き切った上で、今作は総決算、総集編的な意味合いが強い一作と言えるでしょう。

前作のラストシーンで描かれたように、サノス(ジョシュ・ブローリン)が六つのインフィニティストーンを使って「全宇宙の生命の半分を消滅」させたことから、トニー(ロバート・ダウニーjr)、スティーブ(クリス・エヴァンス)、ハルク(マーク・ラファロ)、ソー(クリス・ヘムズワース)、ナターシャ(スカーレット・ヨハンソン)、ウォーマシン(ドン・チードル)、ネビュラ(カレン・ギラン)、ロケット(ブラッドリー・クーパー)、キャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)以外の主要キャラは、皆、姿を消してしまっています。また、アントマン(ポール・ラッド)とホークアイ(ジェレミー・レナー)は最終決戦に加わらず、行方が分かりません。

しかしながら、本作のキャストには、ブラックパンサー(チャドウィック・ボーズマン)やワンダ(エリザベス・オルセン)、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)、スパイダーマン(トム・ホランド)、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)、マリア(コビー・スマルダース)、バッキー(セバスチャン・スタン)、ワスプ(エヴァンジェリン・リリー)、ハンク・ピム(マイケル・ダグラス)、ジャネット(ミシェル・ファイファー)、グルート(ヴィン・ディーゼル)らの名があり、これらの「サノスに消された人々」も何らかの形で再登場することは公開前から分かっています。

それだけでなく、これまでのシリーズで活躍して、すでに死亡などの理由で退場したと思われる人物、つまりソーの弟ロキ(トム・ヒドルストン)、ソーの母親フリッカ(レネ・ルッソ)、ソーの元恋人ジェーン(ナタリー・ポートマン)、アイアンマンことトニー・スタークの父ハワード・スターク(ジョン・スラッテリー)、ドクター・ストレンジの師匠エンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)、シールド評議会の理事ピアース(ロバート・レッドフォード)、サノスの養女ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)、さらにキャプテン・アメリカことスティーブと悲劇的な生き別れとなった元シールド長官ペギー・カーター(ヘイリー・アトウェル)などが、続々と登場します。

本作は、かつての時代にタイムトラベルする描写が多く、こういったかつての人物、かつてのシーンが次々に再現されることになります。ずっとこのシリーズを見てきた人には、それだけで感慨深く、それらの人々が、その後、どういう運命をたどるのか分かっているだけに、心を揺さぶられます。

日本人にとっては意外なキャストとして、暴力団の組長の役で真田広之が出演しています。ちょっと「日本」を描いているシーンとしては、疑問を感じるところも多々ありますが、そもそもこの作品に日本とか東京とかいう設定が出てくるだけで嬉しいともいえます。

また、シリーズにずっとカメオ出演を続けていたマーベル・コミックの総帥スタン・リー氏も元気な姿を見せています。昨年11月に95歳で亡くなったリー氏にとって、これが最後の出演になるそうです。

名優ロバート・レッドフォードも本作への出演後に引退しましたので、これが最後の映画となります。

全体的には、多くの人の死を前提とした物語で、暗いトーンの作品と言っていいですが、いろいろとコミカルなシーンが用意されており、たとえば不摂生のために太ってしまったソーとか、ものすごく知的になったハルクとか、子供に戻ってしまったアントマンとか、抱腹絶倒ものの描写が随所に盛り込まれています。

前作の衝撃的な結末を受けて、一体、どう話を決着させるのだろうか、というのが最大の関心事だったわけですが、ラストシーンまで見て「こう来るのか」と唸らせられること必至です。劇場では、感涙するお客さんが多数、いらっしゃいました。

 

Photo_34 国連のソコヴィア協定に基づき、アベンジャーズ・チームとは距離を置いて、家族との平穏な暮らしを送っていたホークアイ。しかし、彼の妻や子供は皆、サノスの「生命半減計画」の犠牲となって消滅してしまい、半狂乱となった彼は姿を消してしまいます。

前作での死闘の結果、宇宙空間に取り残されて漂流していたトニーとネビュラは、ニック・フューリーが最期に送ったSOSにより、新たに加わった新戦力のキャプテン・マーベルに救出され、無事に地球に帰還。ネビュラの情報を得て、サノスが隠棲している惑星を発見したアベンジャーズは、奇襲をかけて彼を捕獲することに成功します。しかし、サノスはストーンを処分してしまっており、もはや起きたことを元に戻せないことが分かります。絶望したソーはサノスの首を斬り、とどめを刺します。

それから5年。心に傷を負った人々は立ち直ることができず、暗い日々を送っています。そんな中、姿を消していたはずのアントマンことスコットが現れ、スティーブとナターシャを驚かせます。スコットは、自分が量子の世界から戻って来られたという事実から、タイムトラベルの可能性を示唆します。過去に戻ることが可能ならば、サノスが計画を発動する以前の時点に戻って、全てをやり直すことができるかもしれません。

アベンジャーズ・チームが再召集され、酒浸りになっていたソーや、ペッパー(グヴィネス・パルトロー)との間に子供が生まれて、新たな試みに消極的になっているトニーも、計画に加わることになります。あの日以来、殺し屋となってすさんだ生活をしていたホークアイも参加し、チームは三つに分かれて、過去のある時点に飛び、六つのストーンをサノスの手に落ちる前に手に入れようとします。

それぞれの時代で、懐かしい人々と再会するヒーローたち。多くの困難が待ち受けており、容易ではない道のりながら、徐々にストーンが集まってきます。しかし、過去に戻って行動しているネビュラから情報を読み取ったサノスは、未来の自分が計画を達成したこと、そしてアベンジャーズが過去にさかのぼって、それを打ち消そうとしている事実を察知してしまいます…。

 

複雑な作品世界と時間軸を、見事にさばいて脚本化している手際には本当に感心します。3時間の長尺ですが、一つの無駄もなくストーリーは、この作品の終着点、そして10余年間、22作品の壮大な起伏のゴールを目指していきます。

こういう大河シリーズの総決算を目撃できる今、劇場の大画面で見るに値する作品ですね。私は、公開初日にこれを体験出来て、本当によかったと思っています。

Photo_35 なお、26日公開記念として、先着来場者特典の人形が配布されていました。起き上がり小法師となっており、全6種類あるようですが、私たち夫婦は2人とも「ホークアイ」人形でした。

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2019年4月 4日 (木)

【映画評 感想】ソローキンの見た桜

Photo_20 映画「ソローキンの見た桜」を見ました。日露戦争(190405年)当時、四国の松山にあったロシア兵捕虜収容所を舞台にした物語です。

これまで、第一次大戦当時のドイツ兵俘虜収容所をテーマにした「バルトの楽園」とか、トルコ海軍の遭難兵を救助した際の「海難1890」といった作品がありましたが、基本的には似たようなテイストのお話です。そもそも、日露戦争100周年の時期に作られて評判になったラジオドラマを基にして映像化したそうです。ラジオドラマ的な、ストーリーの起伏といいますか、ひねりが上手い、と感じます。特に後半になると、むしろミステリー・ドラマのような謎解きの要素も加わって来て、最後まで引っ張ってくれます。

日露戦争のロミオとジュリエット、という宣伝コピーにあるように、ロシア兵捕虜の将校と、日本人の看護婦との悲恋を描いているわけですが、これも後半になりますと、「ロミオとジュリエット」というよりは、むしろ生活や親の圧力で、好きな人と別れてお金持ちの男性と結婚する、そういう大人の事情を描いた「シェルブールの雨傘」のような雰囲気に似てくるあたりも興味深い作品です。

ロシア軍の捕虜の軍服が、素晴らしく存在感があり、質感、素材感の重厚さが素晴らしいのですが、これはロシアで調達した物を、わざと着古した感じにして使用しているそうです。だから、さすがの「ホンモノ」感がありますね。井上雅貴監督の奥様で、製作を担い、さらにロシア人看護婦ソフィア役で出演もしている井上イリーナさんの尽力によるものだそうです。

ただ、よくよく見ると、設定どおりのアイテムを付けているのかな、という部分もあります。たとえばロシア軍の少尉という設定のはずなのに、星の数からして、大尉の肩章のように見える、という人物が見受けられる感じがしました。

日本軍のものも、衣装であるにしても、新調品ではなくアンティークなのでしょうか。かなり重厚感があって、ちょっとくたびれている感じがリアルでいいです。イッセー尾形さんの演じた収容所長の河野春庵大佐の持ち味はまことに秀逸です。ただし、史実の河野大佐は騎兵科の将校で、収容所を任された当時は予備役からの再召集だったようです。騎兵科なら、ズボンも本当は赤いズボンに緑色の側章、という方が正しいのかもしれません。上着の袖にも大佐ともなれば、たくさんの装飾ラインが入っていそうですが、よく見えませんでした。

ロシアの名優アレクサンドル・ドモガロフさんが演じた、戦艦ペレスウェート艦長ワシーリー・ボイスマン大佐は、実際には重傷を負っており、19052月までを描いている物語の後、9月には松山収容所で亡くなっているので、史実としては、あんなに活躍していないようですね。

それから、ソローキン少尉が乗っていたという軍艦は、機雷敷設艦アムールのことだと思います。字幕で「戦艦アムール」とあったような気がしますが、戦艦ではないと思われます。

その他、私のような(!)時代考証にうるさい人から見ると、多少の問題はあるのですが、しかし全体としては非常に雰囲気が出ていて、よく出来ている映画です。関係スタッフの執念を感じます。冒頭に「史実に着想を得た物語である」と明記されている通り、フィクションですので、重箱の隅をつつくような見方は宜しくないかもしれませんね。

史実に実在する人物は3人だけ、だそうです。先ほども名前を出した、収容所長の河野大佐、ロシア側のボイスマン大佐、それからヒロインとは別に、ロシア兵と恋に落ちてしまう看護婦として登場する竹場ナカ(海老瀬はな)。実はこの竹場ナカと、ロシアの砲兵中尉ミハイル・コステンコの2人の名前を刻んだコインが、近年になって収容所の跡地で発見されたのです。従って、日本人女性とロシア兵との間で、禁断のロマンスがあったことは間違いないらしい、ということが前提にあって、こういう物語が生まれたわけです。

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2018年、愛媛の地元テレビ局の新人ディレクター、桜子(阿部純子)は、先輩の倉田(斎藤工)から、松山にあるロシア兵捕虜の墓地を取材するように命じられます。この墓地は、桜子の祖母・菊江(山本陽子)が大切にしている場所でもあり、桜子にとってもなじみのあるものですが、これまで個人的にはあまり関心がありませんでした。

しかし、この墓地には日本で亡くなった100人あまりのロシア軍人の墓がありますが、記録に残っているソローキン少尉のものが見当たらない、と倉田は言います。さらに最近になって、ロシアでソローキンの日記が発見された、つまりソローキンは日本で死んでいなかったことが分かった、というのです。倉田はこのソローキンの謎を解く特集番組を作り、やがて書籍にしたり、映画にしたりしたいので協力してほしい、と桜子に言います。

その話を聞いた菊江は、菊江の祖母に当たり、日露戦争当時は収容所の看護婦を務めていた、ゆい(阿部の二役)の日記を桜子に示します。というのも、ゆいはソローキンと深い関係があった、というのです。

桜子は倉田と共に、かつてソローキンが住んでいたサンクトペテルブルクに向かいます。その中で、桜子は自分が、実はソローキンの子孫であるという事実を知り、衝撃を受けます。

 

1905年、松山の捕虜収容所にやって来たソローキン少尉(ロデオン・ガリュチェンコ)は、看護婦のゆいと運命的な出会いをします。ゆいの弟は、ソローキンの乗っていたロシア艦が敷設した機雷で沈没した戦艦の乗組員として戦死しており、ゆいはソローキンに対する憎しみを抑えきれません。しかし、2人は徐々に理解し合い、やがて禁断の恋が2人を包んでいきます…。

しかし、ゆいの実家であるロウソク店は、長男が戦地で負傷して障害者となり、弟は戦死して、経営にも困窮しています。ゆいの父親勇吉(六平直政)は、ゆいとエリート銀行員との縁談を勝手に進めてしまいます。

ソローキンも苦悩していました。彼は実は、ロシアで革命を起こそうと画策しているグループのメンバーで、故国が心配でなりません。革命派を応援する日本の軍部は、彼をロシアに送り返そうと画策します。収容所の通訳・室田(山本修夢)は、河野所長やボイスマン大佐とも協議のうえで、密かにある計画の実行をソローキンに持ちかけますが…。

 

というようなわけで、収容所の通訳である室田という人物が、後半部のカギを握ってくるのですが、これは史実でも行われた、明石元二郎大佐(後に大将)が率いた諜報機関によるロシア革命煽動計画を下敷きにしているようですね。室田は下士官の軍服を着ており、大した人物ではないように装っていますが、実際には明石大佐の機関のメンバーで、おそらく本当は将校なのでしょう。このあたりから、純愛ロマンス的なお話が、ちょっとサスペンス調になってくるのが巧妙なストーリーです。そして、最後の現代のパートに移って、全ての謎が解けるわけですが、ここが感動的です。

主演の2人、阿部さんとロデオン・ガリュチェンコの新鮮な演技がいいです。文句なく素晴らしいです。

今、日ロ関係そのものは一進一退、という感じですが、歴史的にはいろいろ縁が深い国です。見終わって、見てよかった、と思える感慨深い一作でした。

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2019年3月30日 (土)

【映画評 感想】ダンボ

 映画「ダンボ」DUMBOを見ました。言うまでもなく、あのディズニーの名作アニメの実写化です。メガホンを執るのは名匠ティム・バートン監督。バートン監督の「アリス・イン・ワンダーランド」がヒットしたことで、ディズニーによる「過去の名作アニメを、最新の映像技術で実写化する」という試みに弾みが付きました。「シンデレラ」「マレフィセント」に「美女と野獣」と、原作の持ち味や音楽を生かしつつ、現代的な解釈を織り交ぜて、「昔はアニメでしか表現できなかった」映像が次々とリアルになって登場しています。今後も「アラジン」「ライオンキング」「マレフィセント2」と、力の入った作品が待機している模様です。

 オリジナルのダンボと言えば、なんと公開は1941年の秋! つまり、日本軍が真珠湾攻撃をする寸前だった、というから驚きます。ディズニー・アニメの第一作「白雪姫」から「ピノキオ」「ファンタジア」と続き、ダンボは4作目でしたが、これ以前の3作は予算が巨額の割に興行的には伸びず、ダンボこそが最初のヒット作品、と言えるようです。ちなみに次作は「バンビ」で、さらに戦後の「シンデレラ」や「眠れる森の美女」へとつながって行きます。つまり、ディズニーにとってもダンボは、大事な分岐点を担った一作でした。この作品の成功がなかったら、その後のアニメ文化も、あるいは手塚治虫先生以後の日本のアニメも、存在しなかったかもしれません。Photo_19

スピルバーグ監督の映画「1941」では、ジョセフ・W・スティルウェル中将役のロバート・スタックが、劇場でダンボを見て涙するシーンがありました。確かに、あの時期にヒットしていた映画だったわけです。その後、日本軍がシンガポールを占領した後、こうしたディズニー・アニメや「風と共に去りぬ」などのフィルムが日本側の手に入り、これを見た日本軍将校の一部は「こんな総天然色(フルカラー)のすごい映画が作れる国と戦って勝てるわけがない」と密かに思った、というのはよく知られているお話です。そういう時代背景のため、日本でダンボが公開されたのは、戦後もかなり経った1954年だったといいますが、その時点でも、手塚先生を始め、日本人に大きな衝撃を与えたわけです。

 しかしオリジナルの1941年版のアニメは、長編というにはぎりぎりというか、かなり尺も短い64分で、動物中心のシンプルな内容でしたよね。コウノトリさんが、お母さんゾウのジャンボの元に赤ちゃんを運んで来てくれる。でもその赤ちゃんゾウは耳が大きくて、仲間のゾウたちからは仲間外れにされ、みんなの笑い者にされる。やがてダンボを守ろうとして怒ったジャンボは、危険なゾウとして監禁されてしまう。ピエロとなって失意の日々を送るダンボを、ネズミのティモシーが励まし、誤って酒を飲んでしまったダンボは、ピンク色のゾウの夢を見ながら空中に飛ぶことになる。カラスたちから魔法の羽根をもらい、ついにダンボは自由に飛行できるようになり、サーカスの大スターとなって、ハリウッドと契約して大成功、母のジャンボと再会する…基本的にはそういうストーリーで、周囲の人間はサーカス団長以外、ほとんど描かれていないものです。

 今回の作品も、ネズミやカラスを中心とした、擬人化された動物だけで構成することはできたでしょうが、それでは実写化の意味がない。そこで、サーカス団の人間たちとダンボ母子との関わりを描くことで、物語を大きく広げた、という感じです。

 1919年という、第一次大戦が終わった直後を時代背景とし、負傷して腕を失い、障害者となった軍人が戦地から帰還する、といった社会派的な要素も盛り込みました。さらにダンボ母子が「その後、どうなったのか」まで語ろうとする、など、より実写映画にふさわしいリアルな設定を加えながら、ダンボそのものは、アニメのままのかわいらしさを見事に再現している、といったさじ加減が巧妙です。このへんはさすがに、ティム・バートンの仕事です。

 その一方で、オリジナルの楽曲を使い、コウノトリや、ネズミのティモシーも扱いは小さいながらちゃんと登場、ピンクのゾウまで別の形で姿を見せるなど、リアリティーを維持できる範囲で、原作とファンへの配慮も忘れていない点が心憎いです。

 考えてみますと「シザーハンズ」とか「バットマン リターンズ」「マーズ・アタック!」「ダーク・シャドウ」「ミス・ペレグリン」など、バートン監督は、社会の主流から外れて孤立する者、阻害される「アウトサイダー」を好んで取り上げてきました。ダンボは、まさにそういう存在の先駆け的なキャラクターで、社会的にも大きな影響を与えてきましたので、この監督がダンボを手掛けるのは、ある種、必然だったと言えるかもしれません。

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 第一次大戦が終わって間もない1919年。全米を興行して回るメディチ・ブラザーズ・サーカスに、戦地からかつての花形馬術師、ホルト・ファリア大尉(コリン・ファレル)が帰ってきます。娘のミリー(ニコ・パーカー)と息子のジョー(フィンリー・ホビンズ)は、父が左腕を失っている姿を見てショックを受けます。ホルトが出征している間に、世界中を襲った恐ろしいスペイン風邪にかかり、ホルトの妻アニーは病死していました。

 サーカス団自体も経営不振で、団長のメディチ(ダニー・デビート)は、ホルトの曲芸用の馬を全部、売り払っていました。自分の芸が出来なくなったホルトは、メディチが最近、買い込んだアジアゾウのジャンボの世話係をすることになります。

 やがて、ジャンボは赤ちゃんゾウを出産します。しかしそれは、まるで羽のように大きな耳を持っており、みんなから笑い者にされてしまいます。公演に初出演した際には、赤ちゃんを守ろうとしたジャンボが怒って暴れ、テントが倒壊して死傷者まで出ます。

 メディチは扱いに困ったジャンボを売り払ってしまいます。母親と引き離された赤ちゃんは大きな耳の「ダンボ」と呼ばれるようになり、サーカスの道化役に。しかし、ダンボに同情したミリーとジョーは、ある日、ダンボが大きな耳で空を飛べることに気付きます。

 その後の公演で、空を飛んだダンボは一躍、大人気を呼んで一座のスターになります。しかし、これを聞きつけた大規模遊園地ドリームランドの経営者、ヴァンデヴァー(マイケル・キートン)がメディチを口説き、メディチのサーカスはそっくり全て、ドリームランドに吸収合併されます。ダンボは、ドリームランドのアクロバット・スター、コレット(エヴァ・グリーン)と空中芸の共演をすることになりますが、コレットはヴァンデヴァーの急な命令に不服を覚え、ホルトに不信感を抱いています。母と別れて悲しみ続けるダンボとも息が合

わず、なかなかうまくいきません。

 メディチも「副社長」という肩書を与えられただけで仕事はなく、徐々にヴァンデヴァーの凶暴さと野心がむき出しになってきます。大金の出資を狙い、大物銀行家レミントン(アラン・アーキン)を招いた大事な公演で、ダンボはコレットを乗せて、絶対に飛行に成功しなければならない、という局面に追い込まれますが…。

 

 出演陣を見ると、コリン・ファレル以外はバートン組といってよいメンバーが総動員されています。妖艶なエヴァ・グリーンは見るからにサーカス団の花形ですが、実は、本来は高所恐怖症だそうで、にもかかわらず、半年近くプロの曲芸家の元でアクロバットの訓練を受けて、撮影に臨んだということです。女優魂というか、根性がすごいです。

 久々に見たダニー・デビートもはまり役です。どこか憎めない飄々とした団長ぶりがいいです。アラン・アーキン、マイケル・キートンといったベテランもしっかり締めております。

 そして、コリン・ファレルの戦地帰りの哀愁漂う(でもいざ、となると頼れる)お父さんぶり、非常にいいです。中年に差し掛かって、演技の幅が広がってきた感じです。これまで、本人は熱演しているのに、出演作が伸び悩んで不遇、というイメージの強かったファレルですが、同じくディズニー製作「ファンタスティック・ビースト」への出演が、今作の起用にもつながったのではないかと思われ、いい流れに乗ってきているように見受けます。冒頭の軍服姿のファレルもカッコいいです。陸軍殊勲勲章などを左胸に着け、軍隊では騎兵隊の英雄と見なされていた彼が、ゾウの用務係に回される、という描写が痛々しかったですね。

 ダンボは、共演者とのからみではちゃんと、モーション・キャプチャーでゾウになりきって演じた役者さんがいました。エド・オズモンドという人ですが、毎日、12時間も赤ちゃんゾウになって、四つん這いになっているのは本当に大変だったそうです。実際に赤ちゃんゾウの動きを研究して、真似してみせたそうですが、いや、本当に頭が下がります。

 ということで、独特のバートン節で、非常に上出来のリメイクになったと思います。アニメの実写化は、これまで失敗例も多いわけですが、近年のディズニーはずっと外すことなく、ヒットを続けています。実写化のお手本というか、ノウハウが築かれてきたように感じます。

 いちばん大事なのは、オリジナル作品と、ファンに敬意を払うこと。そのうえで、実写化に見合った現代性や適切な設定の変更、リアルさも、バランスを崩さないように盛り込むこと。そこを外すと痛い目に遭うのだと思います。本作は、このあたりの兼ね合いがうまくいっている、一つの典型例ではないでしょうか。

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