2019年4月 4日 (木)

【映画評 感想】ソローキンの見た桜

Photo_20 映画「ソローキンの見た桜」を見ました。日露戦争(190405年)当時、四国の松山にあったロシア兵捕虜収容所を舞台にした物語です。

これまで、第一次大戦当時のドイツ兵俘虜収容所をテーマにした「バルトの楽園」とか、トルコ海軍の遭難兵を救助した際の「海難1890」といった作品がありましたが、基本的には似たようなテイストのお話です。そもそも、日露戦争100周年の時期に作られて評判になったラジオドラマを基にして映像化したそうです。ラジオドラマ的な、ストーリーの起伏といいますか、ひねりが上手い、と感じます。特に後半になると、むしろミステリー・ドラマのような謎解きの要素も加わって来て、最後まで引っ張ってくれます。

日露戦争のロミオとジュリエット、という宣伝コピーにあるように、ロシア兵捕虜の将校と、日本人の看護婦との悲恋を描いているわけですが、これも後半になりますと、「ロミオとジュリエット」というよりは、むしろ生活や親の圧力で、好きな人と別れてお金持ちの男性と結婚する、そういう大人の事情を描いた「シェルブールの雨傘」のような雰囲気に似てくるあたりも興味深い作品です。

ロシア軍の捕虜の軍服が、素晴らしく存在感があり、質感、素材感の重厚さが素晴らしいのですが、これはロシアで調達した物を、わざと着古した感じにして使用しているそうです。だから、さすがの「ホンモノ」感がありますね。井上雅貴監督の奥様で、製作を担い、さらにロシア人看護婦ソフィア役で出演もしている井上イリーナさんの尽力によるものだそうです。

ただ、よくよく見ると、設定どおりのアイテムを付けているのかな、という部分もあります。たとえばロシア軍の少尉という設定のはずなのに、星の数からして、大尉の肩章のように見える、という人物が見受けられる感じがしました。

日本軍のものも、衣装であるにしても、新調品ではなくアンティークなのでしょうか。かなり重厚感があって、ちょっとくたびれている感じがリアルでいいです。イッセー尾形さんの演じた収容所長の河野春庵大佐の持ち味はまことに秀逸です。ただし、史実の河野大佐は騎兵科の将校で、収容所を任された当時は予備役からの再召集だったようです。騎兵科なら、ズボンも本当は赤いズボンに緑色の側章、という方が正しいのかもしれません。上着の袖にも大佐ともなれば、たくさんの装飾ラインが入っていそうですが、よく見えませんでした。

ロシアの名優アレクサンドル・ドモガロフさんが演じた、戦艦ペレスウェート艦長ワシーリー・ボイスマン大佐は、実際には重傷を負っており、19052月までを描いている物語の後、9月には松山収容所で亡くなっているので、史実としては、あんなに活躍していないようですね。

それから、ソローキン少尉が乗っていたという軍艦は、機雷敷設艦アムールのことだと思います。字幕で「戦艦アムール」とあったような気がしますが、戦艦ではないと思われます。

その他、私のような(!)時代考証にうるさい人から見ると、多少の問題はあるのですが、しかし全体としては非常に雰囲気が出ていて、よく出来ている映画です。関係スタッフの執念を感じます。冒頭に「史実に着想を得た物語である」と明記されている通り、フィクションですので、重箱の隅をつつくような見方は宜しくないかもしれませんね。

史実に実在する人物は3人だけ、だそうです。先ほども名前を出した、収容所長の河野大佐、ロシア側のボイスマン大佐、それからヒロインとは別に、ロシア兵と恋に落ちてしまう看護婦として登場する竹場ナカ(海老瀬はな)。実はこの竹場ナカと、ロシアの砲兵中尉ミハイル・コステンコの2人の名前を刻んだコインが、近年になって収容所の跡地で発見されたのです。従って、日本人女性とロシア兵との間で、禁断のロマンスがあったことは間違いないらしい、ということが前提にあって、こういう物語が生まれたわけです。

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2018年、愛媛の地元テレビ局の新人ディレクター、桜子(阿部純子)は、先輩の倉田(斎藤工)から、松山にあるロシア兵捕虜の墓地を取材するように命じられます。この墓地は、桜子の祖母・菊江(山本陽子)が大切にしている場所でもあり、桜子にとってもなじみのあるものですが、これまで個人的にはあまり関心がありませんでした。

しかし、この墓地には日本で亡くなった100人あまりのロシア軍人の墓がありますが、記録に残っているソローキン少尉のものが見当たらない、と倉田は言います。さらに最近になって、ロシアでソローキンの日記が発見された、つまりソローキンは日本で死んでいなかったことが分かった、というのです。倉田はこのソローキンの謎を解く特集番組を作り、やがて書籍にしたり、映画にしたりしたいので協力してほしい、と桜子に言います。

その話を聞いた菊江は、菊江の祖母に当たり、日露戦争当時は収容所の看護婦を務めていた、ゆい(阿部の二役)の日記を桜子に示します。というのも、ゆいはソローキンと深い関係があった、というのです。

桜子は倉田と共に、かつてソローキンが住んでいたサンクトペテルブルクに向かいます。その中で、桜子は自分が、実はソローキンの子孫であるという事実を知り、衝撃を受けます。

 

1905年、松山の捕虜収容所にやって来たソローキン少尉(ロデオン・ガリュチェンコ)は、看護婦のゆいと運命的な出会いをします。ゆいの弟は、ソローキンの乗っていたロシア艦が敷設した機雷で沈没した戦艦の乗組員として戦死しており、ゆいはソローキンに対する憎しみを抑えきれません。しかし、2人は徐々に理解し合い、やがて禁断の恋が2人を包んでいきます…。

しかし、ゆいの実家であるロウソク店は、長男が戦地で負傷して障害者となり、弟は戦死して、経営にも困窮しています。ゆいの父親勇吉(六平直政)は、ゆいとエリート銀行員との縁談を勝手に進めてしまいます。

ソローキンも苦悩していました。彼は実は、ロシアで革命を起こそうと画策しているグループのメンバーで、故国が心配でなりません。革命派を応援する日本の軍部は、彼をロシアに送り返そうと画策します。収容所の通訳・室田(山本修夢)は、河野所長やボイスマン大佐とも協議のうえで、密かにある計画の実行をソローキンに持ちかけますが…。

 

というようなわけで、収容所の通訳である室田という人物が、後半部のカギを握ってくるのですが、これは史実でも行われた、明石元二郎大佐(後に大将)が率いた諜報機関によるロシア革命煽動計画を下敷きにしているようですね。室田は下士官の軍服を着ており、大した人物ではないように装っていますが、実際には明石大佐の機関のメンバーで、おそらく本当は将校なのでしょう。このあたりから、純愛ロマンス的なお話が、ちょっとサスペンス調になってくるのが巧妙なストーリーです。そして、最後の現代のパートに移って、全ての謎が解けるわけですが、ここが感動的です。

主演の2人、阿部さんとロデオン・ガリュチェンコの新鮮な演技がいいです。文句なく素晴らしいです。

今、日ロ関係そのものは一進一退、という感じですが、歴史的にはいろいろ縁が深い国です。見終わって、見てよかった、と思える感慨深い一作でした。

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2019年3月30日 (土)

【映画評 感想】ダンボ

 映画「ダンボ」DUMBOを見ました。言うまでもなく、あのディズニーの名作アニメの実写化です。メガホンを執るのは名匠ティム・バートン監督。バートン監督の「アリス・イン・ワンダーランド」がヒットしたことで、ディズニーによる「過去の名作アニメを、最新の映像技術で実写化する」という試みに弾みが付きました。「シンデレラ」「マレフィセント」に「美女と野獣」と、原作の持ち味や音楽を生かしつつ、現代的な解釈を織り交ぜて、「昔はアニメでしか表現できなかった」映像が次々とリアルになって登場しています。今後も「アラジン」「ライオンキング」「マレフィセント2」と、力の入った作品が待機している模様です。

 オリジナルのダンボと言えば、なんと公開は1941年の秋! つまり、日本軍が真珠湾攻撃をする寸前だった、というから驚きます。ディズニー・アニメの第一作「白雪姫」から「ピノキオ」「ファンタジア」と続き、ダンボは4作目でしたが、これ以前の3作は予算が巨額の割に興行的には伸びず、ダンボこそが最初のヒット作品、と言えるようです。ちなみに次作は「バンビ」で、さらに戦後の「シンデレラ」や「眠れる森の美女」へとつながって行きます。つまり、ディズニーにとってもダンボは、大事な分岐点を担った一作でした。この作品の成功がなかったら、その後のアニメ文化も、あるいは手塚治虫先生以後の日本のアニメも、存在しなかったかもしれません。Photo_19

スピルバーグ監督の映画「1941」では、ジョセフ・W・スティルウェル中将役のロバート・スタックが、劇場でダンボを見て涙するシーンがありました。確かに、あの時期にヒットしていた映画だったわけです。その後、日本軍がシンガポールを占領した後、こうしたディズニー・アニメや「風と共に去りぬ」などのフィルムが日本側の手に入り、これを見た日本軍将校の一部は「こんな総天然色(フルカラー)のすごい映画が作れる国と戦って勝てるわけがない」と密かに思った、というのはよく知られているお話です。そういう時代背景のため、日本でダンボが公開されたのは、戦後もかなり経った1954年だったといいますが、その時点でも、手塚先生を始め、日本人に大きな衝撃を与えたわけです。

 しかしオリジナルの1941年版のアニメは、長編というにはぎりぎりというか、かなり尺も短い64分で、動物中心のシンプルな内容でしたよね。コウノトリさんが、お母さんゾウのジャンボの元に赤ちゃんを運んで来てくれる。でもその赤ちゃんゾウは耳が大きくて、仲間のゾウたちからは仲間外れにされ、みんなの笑い者にされる。やがてダンボを守ろうとして怒ったジャンボは、危険なゾウとして監禁されてしまう。ピエロとなって失意の日々を送るダンボを、ネズミのティモシーが励まし、誤って酒を飲んでしまったダンボは、ピンク色のゾウの夢を見ながら空中に飛ぶことになる。カラスたちから魔法の羽根をもらい、ついにダンボは自由に飛行できるようになり、サーカスの大スターとなって、ハリウッドと契約して大成功、母のジャンボと再会する…基本的にはそういうストーリーで、周囲の人間はサーカス団長以外、ほとんど描かれていないものです。

 今回の作品も、ネズミやカラスを中心とした、擬人化された動物だけで構成することはできたでしょうが、それでは実写化の意味がない。そこで、サーカス団の人間たちとダンボ母子との関わりを描くことで、物語を大きく広げた、という感じです。

 1919年という、第一次大戦が終わった直後を時代背景とし、負傷して腕を失い、障害者となった軍人が戦地から帰還する、といった社会派的な要素も盛り込みました。さらにダンボ母子が「その後、どうなったのか」まで語ろうとする、など、より実写映画にふさわしいリアルな設定を加えながら、ダンボそのものは、アニメのままのかわいらしさを見事に再現している、といったさじ加減が巧妙です。このへんはさすがに、ティム・バートンの仕事です。

 その一方で、オリジナルの楽曲を使い、コウノトリや、ネズミのティモシーも扱いは小さいながらちゃんと登場、ピンクのゾウまで別の形で姿を見せるなど、リアリティーを維持できる範囲で、原作とファンへの配慮も忘れていない点が心憎いです。

 考えてみますと「シザーハンズ」とか「バットマン リターンズ」「マーズ・アタック!」「ダーク・シャドウ」「ミス・ペレグリン」など、バートン監督は、社会の主流から外れて孤立する者、阻害される「アウトサイダー」を好んで取り上げてきました。ダンボは、まさにそういう存在の先駆け的なキャラクターで、社会的にも大きな影響を与えてきましたので、この監督がダンボを手掛けるのは、ある種、必然だったと言えるかもしれません。

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 第一次大戦が終わって間もない1919年。全米を興行して回るメディチ・ブラザーズ・サーカスに、戦地からかつての花形馬術師、ホルト・ファリア大尉(コリン・ファレル)が帰ってきます。娘のミリー(ニコ・パーカー)と息子のジョー(フィンリー・ホビンズ)は、父が左腕を失っている姿を見てショックを受けます。ホルトが出征している間に、世界中を襲った恐ろしいスペイン風邪にかかり、ホルトの妻アニーは病死していました。

 サーカス団自体も経営不振で、団長のメディチ(ダニー・デビート)は、ホルトの曲芸用の馬を全部、売り払っていました。自分の芸が出来なくなったホルトは、メディチが最近、買い込んだアジアゾウのジャンボの世話係をすることになります。

 やがて、ジャンボは赤ちゃんゾウを出産します。しかしそれは、まるで羽のように大きな耳を持っており、みんなから笑い者にされてしまいます。公演に初出演した際には、赤ちゃんを守ろうとしたジャンボが怒って暴れ、テントが倒壊して死傷者まで出ます。

 メディチは扱いに困ったジャンボを売り払ってしまいます。母親と引き離された赤ちゃんは大きな耳の「ダンボ」と呼ばれるようになり、サーカスの道化役に。しかし、ダンボに同情したミリーとジョーは、ある日、ダンボが大きな耳で空を飛べることに気付きます。

 その後の公演で、空を飛んだダンボは一躍、大人気を呼んで一座のスターになります。しかし、これを聞きつけた大規模遊園地ドリームランドの経営者、ヴァンデヴァー(マイケル・キートン)がメディチを口説き、メディチのサーカスはそっくり全て、ドリームランドに吸収合併されます。ダンボは、ドリームランドのアクロバット・スター、コレット(エヴァ・グリーン)と空中芸の共演をすることになりますが、コレットはヴァンデヴァーの急な命令に不服を覚え、ホルトに不信感を抱いています。母と別れて悲しみ続けるダンボとも息が合

わず、なかなかうまくいきません。

 メディチも「副社長」という肩書を与えられただけで仕事はなく、徐々にヴァンデヴァーの凶暴さと野心がむき出しになってきます。大金の出資を狙い、大物銀行家レミントン(アラン・アーキン)を招いた大事な公演で、ダンボはコレットを乗せて、絶対に飛行に成功しなければならない、という局面に追い込まれますが…。

 

 出演陣を見ると、コリン・ファレル以外はバートン組といってよいメンバーが総動員されています。妖艶なエヴァ・グリーンは見るからにサーカス団の花形ですが、実は、本来は高所恐怖症だそうで、にもかかわらず、半年近くプロの曲芸家の元でアクロバットの訓練を受けて、撮影に臨んだということです。女優魂というか、根性がすごいです。

 久々に見たダニー・デビートもはまり役です。どこか憎めない飄々とした団長ぶりがいいです。アラン・アーキン、マイケル・キートンといったベテランもしっかり締めております。

 そして、コリン・ファレルの戦地帰りの哀愁漂う(でもいざ、となると頼れる)お父さんぶり、非常にいいです。中年に差し掛かって、演技の幅が広がってきた感じです。これまで、本人は熱演しているのに、出演作が伸び悩んで不遇、というイメージの強かったファレルですが、同じくディズニー製作「ファンタスティック・ビースト」への出演が、今作の起用にもつながったのではないかと思われ、いい流れに乗ってきているように見受けます。冒頭の軍服姿のファレルもカッコいいです。陸軍殊勲勲章などを左胸に着け、軍隊では騎兵隊の英雄と見なされていた彼が、ゾウの用務係に回される、という描写が痛々しかったですね。

 ダンボは、共演者とのからみではちゃんと、モーション・キャプチャーでゾウになりきって演じた役者さんがいました。エド・オズモンドという人ですが、毎日、12時間も赤ちゃんゾウになって、四つん這いになっているのは本当に大変だったそうです。実際に赤ちゃんゾウの動きを研究して、真似してみせたそうですが、いや、本当に頭が下がります。

 ということで、独特のバートン節で、非常に上出来のリメイクになったと思います。アニメの実写化は、これまで失敗例も多いわけですが、近年のディズニーはずっと外すことなく、ヒットを続けています。実写化のお手本というか、ノウハウが築かれてきたように感じます。

 いちばん大事なのは、オリジナル作品と、ファンに敬意を払うこと。そのうえで、実写化に見合った現代性や適切な設定の変更、リアルさも、バランスを崩さないように盛り込むこと。そこを外すと痛い目に遭うのだと思います。本作は、このあたりの兼ね合いがうまくいっている、一つの典型例ではないでしょうか。

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2019年3月17日 (日)

【映画評 感想】キャプテン・マーベル

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映画「キャプテン・マーベル」
CAPTAIN MARVELを見ました。マーベル・コミックを原作とする、マーベル・シネマティック・ユニバースもついに21作目にして、女性スーパーヒーロー(こういう場合はヒロインとは呼ばないようですね)の単独作品が登場しました。そして、この作品から直接、流れを受けて、来月公開の「アベンジャーズ/エンドゲーム」の内容に関わっていくことになっています。

前の「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」のエンディングで、強敵サノスの行った「宇宙の全生命の半分を抹殺する」という計画が発動しました。ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は自らが消滅してしまう直前、誰かに向かって信号を発していました。その相手というのが、このキャプテン・マーベルだったわけです。

それで、キャプテン・マーベルが以前にフューリーと出会ったのが、1995年のことだといいます。今となっては四半世紀も前ですね。そこで、今回の映画では、1990年代の若いフューリーを、当時のジャクソンの出演映画を基にCGで再現し、若返らせています。さらにこのシリーズの長年のファンには嬉しい話ですが、初期のアイアン・マンやマイティ・ソー、アベンジャーズで活躍したものの、殉職してしまったフューリーの部下、コールソン捜査官(クラーク・グレッグ)も若き日の姿で登場します。

そして、ニック・フューリーはなぜ眼帯をしているのか、という理由や、フューリーがヒーロー軍団の創設を企画した時に、なぜ「アベンジャーズ」と名付けたのか、といった重大なお話も語られます。つまり、シリーズのファンとしては必見の一作、ということで、またまたうまい仕掛け方だな、と感心してしまいますね。

なお、亡くなったマーベルの総帥スタン・リー氏も、本作に元気に登場しており、おなじみのカメオ出演を果たしていますのでお見逃しなく。

 

地球時間で1995年のこと。宇宙空間ではクリー帝国とスクラル帝国という二大勢力が死闘を繰り広げていました。クリーのエリート特殊部隊スターフォースに属する新人隊員ヴァース(ブリー・ラーソン)は指揮官ヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)の薫陶を受けながら、出撃の日に備えていました。しかしロッグも、またクリーの全システムを統治し、個人を支配する超コンピューター「スプリーム・インテリジェンス」も、ヴァースについて、能力は高いのだが、精神が不安定ですぐに感情的になるのが弱点で、不完全な戦士と見なしています。ヴァースはなぜか6年より前の記憶を失っており、しばしば、今の自分とは無関係の別人の記憶を想起してしまうことに悩んでいます。

ある日の戦いでスクラル軍の罠にはまったヴァースは捕虜となり、スクラルの将軍タロス(ベン・メンデルスゾーン)に脳内の記憶を覗かれます。ところが、そこで彼女は、自分がこの世界でC-53惑星と呼ばれる、文明の遅れた星での記憶を思い出します。

スクラルの宇宙船を脱出したヴァースは、ある惑星に墜落します。ビデオ・レンタル店の屋根を突き破って目覚めた彼女は、すぐにそこが問題のC-53、つまり地球であることに気付きます。

ヴァースを追って、タロスの率いるスクラル人の部隊が地球に潜入してきます。彼らはどんな姿にも自由に見た目を変えられる特技を持っており、発見は困難を極めます。ふとしたことからヴァースと出会った国際平和維持組織シールドSHIELDの中堅捜査官フューリー(ジャクソン)は、ヴァースがこの地球で「本来の自分」探しを望んでいることを理解し、協力することになります。

タロスの尋問を受けた際に、ヴァースは自分の記憶から手掛かりを得ていました。地球のアメリカ空軍で進んでいたペガサス計画の一環として、ローソン博士(アネット・ベニング)が開発していたある技術が、スクラル人にとって興味のあるものらしいこと。そして、かつては自分もこの計画に関わる空軍のパイロットで、当時の同僚のマリア(ラッシャーナ・リンチ)に会えば、かつての自分が分かるかもしれない、ということでした。

スクラル人との攻防を重ねた末、空軍のペガサス計画の資料庫で、ヴァースはローソン博士が、実はクリー人の諜報部員マー・ベルだったことを知ります。

さらに、ついに再会したマリアから、ヴァースは自分の本名を聞かされます。キャロル・ダンヴァース空軍大尉。自分はもともと生粋の地球人であるという事実を知ったそのとき、タロスの部隊が襲ってきます…。

 

ということで、予備知識がないと、冒頭の宇宙戦争の部分が分かりにくいかもしれませんが、ここで登場する人物のうち、クリー軍爆撃隊の指揮官ロナン(リー・ペイス)と、ヨン・ロッグの副官コラス(ジャイモン・フンスー)は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で敵キャラとして登場した2人です。彼らはその後、クリーに対する反逆者として身を落とし、ガーディアンたちに倒されるに至ったようですね。

本作で久々に登場する「四次元キューブ」とは、元々、マイティ・ソーの父オーディン王が地球に隠匿していたものを、ナチス・ドイツの一派ヒドラ党のシュミットが悪用しますが、キャプテン・アメリカが奪取して冬眠状態に。その後、クリー人であるローソン博士が回収して研究していた、ということのようですね。さらにこの後、SHIELDが武器に使用しようとした後、同組織の解体を経て、アスガルドに戻り、ソーの弟、ロキが所有していたものの、前作ではサノスに強奪されてしまった、ということになります。

それにしても、アカデミー賞女優のブリー・ラーソンを始めとして、ジャクソンに、ジュード・ロウに、と豪華絢爛たる配役。もはやCGがどうの、映像が素晴らしいのというのは当たり前のことで、むしろ、こういう役者としてはいろいろ制約の多そうな物語を、果敢にアクションにも挑戦して、大物たちが演じきっている、というドラマの部分こそが際立って見えるように感じます。この「アベンジャーズ」を核とした大河シリーズが、延々と20作以上、続いており、成功を重ねている理由も、この手のジャンルを、お子様向けのコミック作品、というものから、予算と豪華キャストを惜しげもなく投入した重厚な映画作品として昇華しているからだ、というのがよく感じられる一作です。

なんといっても、まだ苦労知らずで、異星人の存在すら認識していない(そして、左目が健在な)無邪気で動物好きな捜査官ニック・フューリーのコミカルな演技が見ものです。ここで描かれるキャロルとニックのどこか間抜けたコンビは、シリーズの中でも白眉のひとつで、今後、この時代の2人でスピンオフを作ってもらいたいような気もします。

キャプテン「大尉」という軍の将校の称号を正式に持ち、宇宙戦士として実力的にも圧倒的に他のヒーローより強いと思われるキャプテン・マーベル。それは、これまで「アベンジャーズ」を統率してきたキャプテン・アメリカのように、指揮官の器であることを意味するのかもしれません。キャプテン・アメリカやアイアン・マン、ソー、ハルクが中心となってきた、これまでのシリーズは、次作で一応のリセットを迎えるとされており、今後は彼女が第二期の中心人物として、舵取りを任される可能性もあちこちで示唆されます。

シリーズのファンなら、ここは絶対に、見逃せない作品と言えそうです。

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【映画評 感想】ふたりの女王メアリーとエリザベス

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 「ふたりの女王
 メアリーとエリザベス」Mary Queen of Scotsを見ました。本作は2月末のアカデミー賞で、アレクサンドラ・バーンが衣装デザイン賞にノミネートされていた作品です。バーンはケイト・ブランシェット主演の「エリザベス」と「エリザベス:ゴールデンエイジ」でも衣装を担当してノミネートを受け、後者では受賞しています。この他にも「オペラ座の怪人」「オリエント急行殺人事件」といった時代物や、「アベンジャーズ」の1作目、2作目、「マイティ・ソー」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「ドクター・ストレンジ」といったヒーローものでも手腕を発揮している人です。

 そういう経歴なので、エリザベス朝の時期の服飾は完全にマスターしているデザイナーであり、実際にケイト・ブランシェットの作品では、徹底的な時代考証を踏まえた再現性が高く評価されました。

 しかし、本作はかなり、「正確性」という点では史実から離れた表現を故意に選んでいるようです。どちらかといえば、今回のアカデミー賞でやはり衣装デザイン賞の候補だった「女王陛下のお気に入り」(衣装:サンディ・パウエル)の方針に近いものを感じます。特に男性のスタイルは相当に史実から自由です。16世紀当時の紳士服は、カボチャのように膨らんだ半ズボン、ヘンリー8世の治世からエリザベス1世の初期にかけては、股間にコッドピース(股袋)、脚は長靴下で覆い、上半身はやたらと膨らんだダブレットという上着、首周りには巨大な襟飾り(ラフ)。そんな感じで、今の目で見るとかなり滑稽といってよい服装でした。色彩は色とりどりで、サテンや金銀の刺繍を施し、現代人からするとフェミニンにすら、見えるものです。

しかし本作の男性たちは、皆が皆、そろって黒か濃紺の地味な色です。恐らく、この当時にはなかったと思われるダブルの前合わせの人物もおり(ダブルの上着というのは、基本的には18世紀半ばからの流行なので、おおよそ200年ぐらい未来の服装です)、皮革素材を多用し、足元に至っては、タイトなデニム生地のジーンズのようなパンツを穿いています。スタイリッシュというか、ちょっと今時のアルマーニみたい、というような感じの服装ばかりなのが異色です。皮革とデニムの取り合わせは、ちょっとロック・ミュージシャンのようでもあり武骨です。

 ところが面白いことに、映画の最後の方で登場する、次の時代の国王、ジェームズ1世の姿は、当時の有名な肖像画通りを完全に再現したような色彩と姿をしているのです。つまり、著名人はその通りの服装にしないと誰だかわからないので、時代考証的に正しいものとし、さらに「やろうと思えば正確な服も当然、出来るのだけれど、あえて外しているのです」というメッセージも込めているように見受けます。Photo_2


 女性たちについても、侍女や女官は19世紀のヴィクトリア時代のように黒ずくめです。その一方で、「ふたりの女王」であるエリザベス1世と、スコットランド女王メアリー・スチュアートは、場面に応じて鮮やかな色彩の衣装を着ています。それもしかし、フランス帰りで派手なファッション・センスで有名だったメアリーも、青色系のシックな服装で押し通しており、特に物語が悲劇的な方向に向かうほど暗い色になっていく傾向です。エリザベス女王については、おおむね史実を反映した服装を目指しているようですが、今回は彼女が中心の映画ではないので(原題も、「ふたりの女王」ではなくて、あくまでも「スコットランド女王メアリー」です)、あえてグロテスクな雰囲気が漂う晩年の服装やメイクを強調していると感じます。「エリザベス」シリーズでも登場した、カツラを愛用していたことを示すシーンも出てきます(実際にエリザベス女王は何百個もカツラを所有していました)。

 服を脱ぎ、着るたびに、大勢の侍女が群がって世話をし、ことに、この時代まで残っていた「上着の袖を着用のたびに結び付ける」面倒くささ、といった史実はしっかり描きます。生理の日の世話まで侍女たちにさせ、女王は仁王立ちで立っているだけ、といった描写は実に興味深いです。男性が寝室にやって来る場合も、お姫様と性的行為をしたい殿様が、侍女に「彼女の服を脱がせろ!」といちいち命令する、というシーンがあって面白いですね。

 16世紀の戦闘というものも、かなり忠実に視覚化しており、広く戦場で使われ始めた小銃(火縄銃)が散発的に火を噴く、その一方で弓矢は廃れつつあり、戦闘は歩兵中心、馬上の騎士も姿を消し、重い甲冑も使われなくなっている、という感じがよく出ています。日本でいえば織田信長が活躍した同時代なわけで、このへんの戦術の過渡期という部分もよく分かります。

 史実を重んじたシーンもある一方で、事実としてはあり得ないこととして、主要キャストに黒人や中国系の人がいる、という問題もあります。いかに人種的なダイバーシティを重視する今の風潮とはいえ、16世紀の英国に中国系の侍女は実在しなかったと思われますね。

 このように、几帳面なほど史実の再現をしている部分と、大胆に時代考証的な史実から離れている描写が共に見られます。それは、本作の姿勢そのものを反映しているようにも思われるのです。パンフレットで関東学院大の君塚直隆先生が「エリザベスは織田信長より1歳年上、メアリーは徳川家康より1歳年上」と書いておられます。なるほど、と思いますが、まさに日本の戦国時代と同時代のお話です。そして、エリザベス(15331603)とメアリー(154287)の年齢差は、信長と家康の差と同じく、ほぼ一回り違いであることも本作で認識させられます。寿命の短い当時において、10歳近く年長のエリザベスが、メアリーを妬ましくも、危険にも思ったのは当然、ということです。

 

 スコットランド女王でありながら、フランス王妃として大陸に渡っていたメアリー・スチュアート(シアーシャ・ローナン)は、夫の死後、1561年にスコットランドに帰国します。彼女が長年、国を離れている間、摂政として統治してきた異母兄マリ伯(ジェームズ・マッカードル)や大臣メイトランド(イアン・ハート)は表面的には温かく出迎えますが、内心では微妙なものがある様子。メアリーを支える勇猛な将軍ボスウェル伯(マーティン・コムストン)といきなり対立します。

 さらに、堅固なカトリック信者であるメアリーに対し、スコットランドのプロテスタント宗派・長老派の重鎮ノックス(デヴィッド・テナント)が公然と反旗を翻し、いきなり窮地に立たされます。

 隣国イングランドの女王エリザベス(マーゴット・ロビー)も、若きカトリック信者であるスコットランド女王の欧州大陸からの帰還を穏やかならぬ感情で見ていました。カトリックを廃止して結婚と離婚を繰り返した父王ヘンリー8世の所業のために、一度は王位継承権を失ったこともあるエリザベスは、特にローマ教皇やスペイン王、フランス王室などカトリック勢力からは正統な女王と見なされておらず、むしろヘンリー8世の姉の孫に当たるメアリーこそが正統なイングランド女王だと認識されていました。こうした国の援助を受け、メアリーを担ぐ勢力が台頭すれば、エリザベスとしては身の破滅ということです。

 エリザベスはメアリーを手なずけるために、自分の寵臣で愛人のロバート・ダドリー(ジョー・アルウィン)とメアリーを再婚させ、コントロールしようと画策しますが、天然痘に罹患してしまい政治力が低下、その事実を知ったメアリーから足元を見られてしまいます。

 その頃、スチュアート王家の親戚であり、イングランド王室の親戚でもあるダーンリー卿(ジャック・ロウデン)が、父のレノックス伯(ブレンダン・コイル)と共に、エリザベスの宮廷で不興を買い、イングランドからスコットランドに逃れてきます。ダーンリーはメアリーに急接近し、メアリーは周囲の反対を押し切って再婚します。

 しかしこれがエリザベスを激怒させ、その重臣セシル(ガイ・ピアース)は駐スコットランド大使ランドルフ(エイドリアン・レスター)に指示して、スコットランド国内の反メアリー派を刺激します。ノックスが宗教勢力を煽って反乱が始まると、メアリーの兄マリ伯も反乱側について内乱に発展してしまいます。

 自ら軍を率いてこれを鎮圧したメアリーは、やがてダーンリーとの間に妊娠し、結婚もせず子供も作らないエリザベスに対して優位に立っていきます。

 ところが、メアリーの世継ぎが生まれてしまえば、ダーンリーは単なる夫であって、正式な国王になる可能性がなくなり、無能なダーンリーの元で国政を支配したいレノックス、メイトランドたちには都合が悪い。そこでまず彼らは、女王が寵愛しているイタリア人秘書リッチオ(イスマエル・クルス・コルドバ)が女王と不倫している、という噂を流し、ダーンリーも一味に加盟させたうえで、メアリーの目の前でリッチオを惨殺してしまいます。

 その後、ダーンリーはリッチオ暗殺計画に加担したことが暴露されて、メアリーと別居。さらに何者かに暗殺されてしまいます。再び未亡人となったメアリーは、生まれたばかりの息子ジェームズと引き離され、今度はレノックスたちに唆されたボスウェルに強姦されるような形で再婚します。だが、一連のことは反対派の思惑通りで、メアリーは夫を殺害して不倫相手のボスウェルと結婚した悪女、ということにされ、国民の支持を失い、ついに強制的に退位させられてしまうのです。わずか1歳の息子はジェームズ6世として即位、そして国外追放されたメアリーが向かった先は、長年のライバルであるもう一人の女王、エリザベスが統治するイングランドの地でした…。

 

 このように、史実としては諸説あるところですが(特にリッチオ惨殺事件や、ダーンリー卿暗殺事件の真相は、今もって闇の中です)おおむね、史実通りにストーリーが展開していきます。後半、イングランドでエリザベスとメアリーが秘密会談するシーンが出てきますが、これは史実ではありません(もっとも、2人が同じイングランドにいる間に、一度も会見したことがない、という証拠もないようです)。

 主要キャストについては、2人のヒロインを始め、ベテランのガイ・ピアースなどが史劇にふさわしい重厚な演技を見せています。ロバート・ダドリー役のジョー・アルウィンは、「女王陛下のお気に入り」でヒロインの夫になる軍人役で注目された期待の新人で、時代劇に合いそうな人です。ダーンリー卿役のジャック・ロウデンもどこかで見た顔だな、と思えば「ダンケルク」で、洋上でボートに救助される戦闘機パイロットの役をやっていました。それからもう一人、興味深いのが、エリザベスの筆頭女官ベス・オブ・ハードウィックを演じたジェンマ・チャン。この人は、日本では同日公開の「キャプテン・マーベル」にも主要キャストとして出演しています。私は同じ日に2本とも見たのですが、SFアクションで活躍する姿と、こちらの16世紀の女官姿では、とても同じ女優さんには見えませんでした。

 基本的にはエリザベスの視点から語られることが多い英国史を、メアリーの側から描いた非常に興味深い作品です。メアリー自身は結局、男性たちに翻弄されて破滅しました。君主としては、男性を遠ざけることで政治権力を維持し続け、歴史に残る偉大な女王となったエリザベスに敵わなかったといえますが、本作にも描かれる通り、メアリーの息子ジェームズ6世が、スコットランド国王を兼任したまま、エリザベスの死後にイングランド国王ジェームズ1世として即位し、その曾孫の世代のアン女王の時代に二つの王国は正式に統合、アンの死後にドイツの傍系から迎えられたのが現在の英国王室です。つまり、その後の英国王家はすべて、メアリーの子孫ということになります。

 メアリーを苦しめた兄のマリ伯、夫ダーンリーの父(つまり義父)レノックス伯といった人物も、幼いジェームズ6世の元で権力者となりますが、その後の政争で皆、暗殺されています。また、3番目の夫、ボスウェル伯は北欧に逃れますが、デンマークで収監されそのまま獄中で死んだそうです。つまり、周辺にいて彼女を利用しようとした男性たちはことごとく、不幸な最期を迎えたようで、もって瞑すべきところではないでしょうか。そのあたりを考えると、また余韻の残る一作でした。

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2019年3月 2日 (土)

【映画評 感想】移動都市/モータル・エンジン

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  映画「移動都市/モータル・エンジン」
Mortal Enginesを見ました。フィリップ・リーヴの小説『移動都市』を基に、あの「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビット」などの監督として有名なピーター・ジャクソンが脚本を書き、ジャクソン監督の右腕として長年、視覚効果を担ってきたクリスチャン・リヴァーズが監督を務めました。リヴァーズはジャクソン監督の「キング・コング」でアカデミー視覚効果賞を受賞しています。現在の特殊映像、モーション・キャプチャーなどの映像技術は、この2人のコンビが基礎を作ってきた、といえます。長い間、「映像化は無理」と言われ続けた「ロード…」を見事に映画にしてみせた時、世界の映画人が「そうか。もうなんでもコンピューターで思い通りに絵にできる時代になったのだ」と気付いたのです。

本作も、キャタピラ付きで2キロ四方もある巨大な移動都市が轟音を立てて疾走する、という斬新な発想で、これまた「とても映像化は難しいだろう」といわれた原作を、さすがの技術力で、まさに見たこともない映像に仕上げています。しばしば「この映画は名作だろうけれど、テレビで見ればいいや」というものと、「これはとにかく劇場で見ておかないと」という作品とがありますが、本作は典型的な「劇場で見ないと」という作品。

なんとなく、日本人の目からすると、初期の宮崎駿監督や大友克洋監督の、サイバーパンク色の強い作品に似ているようにも見えます。また、設定が「スター・ウォーズ」や「マッド・マックス」のようだ、というのもうなずけるところです。それにしても、なんとも摩訶不思議な移動都市「ロンドン」の威容は、一度は大画面で見ておきたいものです。

本作は、2118年に起きた「60分戦争」で荒廃し、文明が崩壊してから1600年後、3718年の物語、ということで、この時代の博物館では、21世紀などは「古代」に分類されております。いろいろ期間の長さで名前が付いている戦争がありますが、たとえば百年戦争、八十年戦争、三十年戦争、七年戦争、それに機動戦士ガンダムの「1年戦争」というのもありました。十日戦争とか、六日戦争、「ぼくらの七日間戦争」なんていう短期決戦もあります。しかし「60分」というのはすごいです。超短期決戦。これは、22世紀に使用された恐怖の量子エネルギー兵器「メデューサ」により、アメリカを中心に世界中の地核が崩壊し、人類が地上に住めないほどの破壊をもたらした、という戦争だと言います。

急速に悪化する環境の元、人々が考えたのが、巨大な都市ごと移動して、常に最適な環境に逃れるような「移動都市」の開発でした。かくて、名だたる大都市が移動都市となり、小さな都市を食い物にして、食料や燃料を強奪する弱肉強食の「大捕食都市時代」が1000年以上も続いた、というのです。中でも、西方で最強の捕食都市(プレデター・シティ)として生き残ったのが、かつての大英帝国の首都「ロンドン」なのです。

 

 移動都市ロンドンは、久しぶりにヨーロッパに帰ってきました。近年は捕食するべき小さな都市もめっきり減り、獲物に飢えていたのです。その日も、ドイツの小型移動都市ザルツハーケンを襲撃し、呑み込もうとしていました。

 小山のようにそびえるロンドンの威容を、厳しい眼光でひたと見据える覆面の女性の姿がありました。その女性、ヘスター・ショウ(ヘラ・ヒルマー)は、交易のために停止中のザルツハーケンに飛び乗り、これがロンドンに捕食されると、捕虜たちと一緒にロンドンの下層に侵入。ロンドン市長クローム(パトリック・マラハイド)の腹心で、事実上の指揮権を握る考古学者サディアス・ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)に襲いかかり、刺殺しようとします。このとき、ヴァレンタインの娘キャサリン・ヴァレンタイン(レイア・ジョージ)を案内していた博物館の見習い研究員トム・ナッツワーシー(ロバート・シーハン)は、ヘスターを止めに入ります。トムは、へスターの顔に残る痛々しい大きな傷痕を見てショックを受けます。

 トムに暗殺を妨害されたヘスターは、排出口からロンドンの外に逃れますが、去り際にトムに「私はヴァレンタインに母親を殺された」と言い残します。その直後、姿を見せたヴァレンタインは、トムがヘスターの言った言葉を口にすると態度を豹変し、トムを排出口に突き落としてしまいます。

 キャサリンは、トムの転落と父親の態度に不審を抱き、現場を目撃したトムの友人ベヴィス・ポッド(ローナン・ラフテリー)から真相を聞くと、ヴァレンタインがロンドンの最上層の大聖堂で行っている秘密実験の内容を探り始めます。

 一方、地上に落ちたヘスターとトムは、南方の奴隷商人に売られてしまう寸前で、伝説の空賊アナ・ファン(ジヘ)に救出され、天空の秘密基地エアヘイヴンに赴きます。

 ヴァレンタインは刑務所に捕えられていた古代のサイボーグ、「ストーカー」の生き残りであるシュライク(スティーヴン・ラング)を解き放ち、ヘスターの後を追わせます。というのも、シュライクはヘスターに強い恨みを抱いている様子だったからです。

 やがて、ロンドンは方向を東に変更します。その先には、移動都市の争いに加わることなく繁栄している静止都市シャングオがあり、高さ1800メートルもある「楯の壁」で護られています。ヴァレンタインの恐るべき野心に気付いたクローム市長は、停止を命じるのでしたが、時すでに遅く、ヴァレンタインの研究は後戻りできない段階に達していました…。

 

 というわけで、見終わった後の私の最初の感想は、「やっぱり巨神兵は復活させてはならぬ」というものでした(笑)。最後まで一気呵成に進むストーリーは、こういうSF冒険ものの王道です。とにかく設定といいデザインといい、斬新さに満ちた映像は、それだけで一見の価値があると思います。

 ピーター・ジャクソン監督自身もそういう傾向がありますが、本作においても、いわゆる有名俳優は「ロード…」「ホビット」6部作のほか、ウォシャウスキー姉妹監督の「マトリックス」や「クラウド・アトラス」でも知られるヒューゴ・ウィーヴィングぐらいで、後は比較的、無名の新人を起用しています。

ヒロインに抜擢されたヘラ・ヒルマーは、よくこういう人を見つけたな、と思います。これまでキーラ・ナイトレイ主演の「アンナ・カレーニナ」で主要キャストの弟の奥さん、という役をやっただけで、本国アイスランドでは活躍しているものの、国際的にはあまり知られていない女優さんですが、気が強くて本当は繊細なヘスターという人物像をよく表現しています。トム役のロバート・シーハンもニコラス・ケイジ主演の「デビルクエスト」やジェラルド・バトラー主演の「ジオストーム」で大事な役を演じていますが、大きな主演作はこれが初めて。

もう一人、注目したのがキャサリン役のレイア・ジョージ。長編映画は本作が初出演のようですが、この人、数年前にショーン・ペンがシャーリーズ・セロンと別れた後、「32歳差の若い新恋人」として騒がれた時の当事者です。2016年当時、ペンが56歳で、レイアは24歳だったのですが、その後はどうなったのでしょうか。レイアのお父さんは、俳優のヴィンセント・ドノフリオ。よく知られているところでは「メン・イン・ブラック」でゴキブリ型の宇宙人に身体を乗っ取られる男エドガー役で有名ですが、この人のお嬢さんです。ちなみに、現在のショーン・ペンは58歳、ドノフリオは59歳で、ほぼ同い年です。

 シュライク役のスティーヴン・ラングは、今回はモーション・キャプチャーで誰だかよく分かりませんが、あのジェームズ・キャメロン監督の「アバター」で頑迷な傭兵隊長クオリッチ大佐を演じた人。今後も「アバター」続編で登場する予定とのことです。

 現在の最新鋭の映像技術で何ができるか、というのを見せつけている作品です。ぜひ、劇場の大画面でご覧ください。やはり「捕食」シーンは圧巻です。

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2019年2月23日 (土)

【映画評 感想】アリータ: バトル・エンジェル

映画「アリータ: バトル・エンジェル」Alita: Battle Angelを見ました。ジェームズ・キャメロンが脚本、製作を務め、「エル・マリアッチ」や「シン・シティ」で知られるロバート・ロドリゲス監督がメガホンを執っている本作。実は日本の漫画を原作にしています。1


 

ここでちょっと脱線して、個人的な話を書きます。

私は子供のころ、それほど熱心な「漫画読み」ではありませんでした。漫画雑誌を毎号、買う、という習慣がなかったのです。しかし一方で、近所の床屋さんの店主が漫画好きな人で、待ち時間には新しい漫画雑誌が読み放題、という環境でもありました。この床屋さんのおかげで、たまたま手に取った漫画雑誌の中で、私はいくつか、記憶に残る印象深い作品に出会いました。「サーキットの狼」「ドカベン」「Dr.スランプ」「ガキデカ」「こちら亀有公園前派出所」といった作品の最初の1回目を、かなり鮮明に覚えています。いずれも最初ですから、全く無名な漫画です。しかし非常に印象が強く、その後になって超有名作品に成長したことを知りました。思うに、自分にも目利きの能力はあるのだろうと感じます。

といっても、たまたま床屋で読むだけですから、2回目以後の展開は知らないことも多く、「ドカベン」などは、後になってこのあだ名で有名になった野球選手が登場した際に驚愕しました。というのも、あの作品は、主人公の中学時代を描いた初期は柔道部が舞台で、1回目しか知らない私は、長い間、ドカベンというのは柔道漫画だと信じていたからです。

こんな感じで、熱心な読み手ではないけれども、たまたま出会った印象的な作品をよく覚えている、という経験は、大人になってからもあったのです。思い返すと1991年頃、平成の初めの時代です。確か会社の同僚から「もう読んだからあげるよ」と「ビジネスジャンプ」誌を渡されました。その当時、長らく漫画など全く読んでいなかったので、最近の漫画はこんな感じか、と思いました。たくさんの作品があったはずですが、記憶に残っているのは2作品だけ。ひとつは女性下着の開発をする人たちを描く「甘い生活」という作品の最初の方で、なんでもその後、何十年も続く人気作品になったそうですね。

そしてもうひとつ、ものすごく運動神経のいい少女が、深い竪穴の中に飛び降りて、スタッ、と地底に立つ、というだけの作品。「ガリィ」と名乗る少女のシャツの袖は破れており、機械の腕が見えることから、おそらく彼女は人間ではなくアンドロイドかサイボーグなのだろう、というのは分かりました。絵の描写が大きく伸びやかで、非常に魅力的なのですが、たっぷり余白を使ったコマ割りで、その1回では穴に飛び降りる以外、ほとんどストーリーが進みません。ガリィの育ての親らしき人物がちょっと登場するだけ。もっぱら彼女が走り、跳躍し、人間離れした身体能力を見せつけるだけ、なのですが、これがなんとも印象深いのです。何事も起きない「つなぎ」的な回ですが、大変、インパクトがあると思いました。

その時は、漫画の題名も覚えないままで終わりました。それから30年近くたって、キャメロンが日本の漫画を原作にした映画に取り組んでいる、という話になり、初期の予告映像を見て、私はすぐにピンと来たのです。これは「アリータ」と名を変えているが、あの「ガリィ」だ、と。

こうして、遅ればせながら、私はあの漫画が木城ゆきと作の「銃夢」(がんむ)であったことを知ったのです。やはり私には、漫画を目利きする能力はあるようです。Photo


 

キャメロンに「銃夢」を紹介したのは、日本の漫画やアニメに詳しいギレルモ・デル・トロで、それから二十数年、キャメロンは本作の映画化をずっと模索していたそうです。しかしあの「アバター」が、キャメロン自身が「タイタニック」で打ち立てた歴代興行収入記録を塗り替え、全世界で3000億円に達しようというほどの超大ヒットを収めてしまったことで、計画は狂いました。「アバター」の続編4本を同時製作することとなり、「アリータ」は着手できずじまい。そこに現れたのがロバート・ロドリゲスだった、という次第です。

クリストフ・ヴァルツ、ジェニファー・コネリー、マハーシャラ・アリと、主要なキャストは皆、アカデミー賞俳優で固めています。主演のローサ・サラザールは、「メイズ・ランナー」シリーズでブレイクした伸び盛りの若手。オーディションを勝ち抜いて大抜擢されました。その他は、ミュージカル出身で映画初挑戦のキーアン・ジョンソンなど、期待の新人からベテランまで、いろいろな人が配置されています。

 

時代は26世紀の未来。火星連邦(URM)との「没落戦争」から300年が経過し、人類の文明は荒廃。戦争で唯一、生き残った空中都市ザレムが、地上のクズ鉄町「アイアンシティー」を支配しています。空中都市は地上の人から見て憧れの別世界で、上がっていくことは許されません。この時代、人々は身体をサイボーグ化した者と、生身のままの者に分かれており、また法律により銃の携帯は一切許されていません。

アイアンシティーの医師イド(ヴァルツ)は、ザレムから落ちてきたゴミの山の中に、生きているサイボーグの少女の頭部を発見します。彼はこれを持ち帰って蘇生し、「アリータ」と名付けて娘のように見守ります。

自分の本名も忘れ、それまでの記憶もなく、存在する意味も分からないアリータは、街で親切な青年ヒューゴ(ジョンソン)と知り合い、親しくなります。また、謎の女性チレン(コネリー)から声をかけられ、いぶかしく思います。

しかしヒューゴには裏の顔があり、ザレムの指導者の指示を受けて地上を統括しているベクター(アリ)の配下として、何やら秘密の行動をとっています。

アリータは育ての親のイドが、夜になると密かに出かけて行って、日によっては怪我をして、血を流しながら帰ってくることに気が付きます。

ある晩、イドの後を密かに尾行したアリータは、イドが夜になると、お尋ね者のサイボーグを狩る賞金稼ぎ「ハンター戦士」として活動していることを知ります。その日、ニシアナ(エイサ・ゴンサレス)とグリュシカ(ジャッキー・アール・ヘイリー)という凶悪なサイボーグと戦い、窮地に陥っているイドを見て、アリータの中で何かが動き出します。圧倒的な格闘の強さで、ニシアナを倒し、グリュシカを撃退したアリータは、自分が本来、精強な戦士であったことを知るのです。

やがてアリータは、自分が300年前の戦争の生き残りで、URMが製造した最強兵器の一人であることを知ります。宿敵のグリュシカや、アリータを敵視するハンターのザパン(エド・スクレイン)との戦いを通じて、アリータは自分が本来、何者なのかを徐々に思い出していきます。

ベクターは、ザレムの指導者ノヴァから指令を受け、アリータと親しいヒューゴを利用して、自分が興行を支配している命がけの格闘球技「モーターボール」の試合に、アリータを出場させようと目論みます。ノヴァの命令を受けるベクターの傍らには、チレンの姿もありました。実は彼女は、かつてイドの妻であり、「アリータ」というのも、本来は、イドとチレンの間に生まれた娘の名前だったのです…。

こうして、ベクターの思惑通り、モーターボールの試合に出場することになったアリータですが、それは彼女の命を奪うために仕組まれた罠でした。同じころ、ヒューゴはザパンに襲われ、絶体絶命のピンチに。アリータは自分の危機を乗り越えたうえで、ヒューゴを救出しなければならなくなりますが…。

 

ということで、さすがにジェームズ・キャメロンが携わった作品です。原作の持ち味を生かしながら、驚くべき映像を次々に繰り出してきます。また、ドラマの核となる少女の成長、イドとアリータの間の、父娘のような愛情や、ヒューゴとの恋愛模様なども、丁寧に描き出されて感動を呼びます。これは「ターミネーター」であっても「アバター」「エイリアン2」であっても言えることですが、キャメロン独特のヒューマニティーが色濃いため、キャラクターが生き生きと描写され、凡百なSF作品にありがちな、映像頼み、ギミック頼みのこけおどしに落ちることは決してない、ということが本作でもいえると思います。

何よりも、キャメロンとロドリゲスが原作に対して敬意を払っている、と感じられます。アリータの目は非常に大きく、まさに漫画のようですが、このために彼女が人間ではないことがはっきりと示されています。これは、原作の「ガリィ」のイメージを大事にしたかった、という要素も大きいそうです。

映画を見ていて、はっきりと分かりました。アリータが、地下に潜むグリュシカと戦うために、深い穴に飛び込んでいく情景が確かに描き出されました。これこそ、私が30年近く前にたまたま読んだ「銃夢」のあのシーンだ、とすぐに理解できました。しばしば原作が何だったか分からなくなるほど損なってしまう、いや破壊してしまう「実写映画化」が行われますが、そういう企画はおおむね死屍累々、まず成功しません。もちろん「銃夢」の熱心なファンの方がどう思われるのか、はちょっと分からないのですが、少なくとも、これほど丁寧な映像化をされて、原作も冥利に尽きるのではないかと思う次第です。

キャメロンほどの人が二十何年もかかって実現した本作は、期待を裏切らない出来栄えだと思います。それだけ時間がかかったために、「アバター」などによる映像の革新の成果が取り入れられ、モーション・キャプチャーの完成度も驚異的なレベルに到達しています。そういう意味で、満を持して登場した、という一作です。原作に従って、二作目以後が当然、あってよい、というかあるべきエンディングになっておりますので、ぜひ続編も、と期待されるところです。

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2019年2月20日 (水)

【映画評 感想】女王陛下のお気に入り

映画「女王陛下のお気に入り」The Favourite を見ました。原題はまさに「お気に入り」そのものですね。ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス監督の新作で、今年のアカデミー賞レースでは「グリーン・ブック」「ローマ/ROMA」「ボヘミアン・ラプソディ」などと競り合う有力作品と目されています。何しろ作品賞、監督賞、主演女優賞(オリヴィア・コールマン)に助演女優賞(レイチェル・ワイズとエマ・ストーン)、脚本賞、さらに衣装デザイン賞ではサンディ・パウエルが本作と、「メリー・ポピンズ・リターンズ」の2作でいずれもノミネート、という具合です。Photo


 有力候補作の中で、純然たる史劇というのは18世紀初頭を舞台とする本作だけですが、 いわゆる時代考証的な意味で正統な歴史劇なのか、というと、それは違うかもしれません。たとえば衣装についても、これまで「ヴィクトリア女王 世紀の愛」などでオスカーを受賞していて歴史ものが得意のサンディ・パウエルが、監督の方針もあって、歴史的な正しさからはあえて逸脱した作家性を打ち出していることが見て取れます。もちろん、一見すると思いっきり18世紀です。同時代のフランスにはルイ14世が君臨している時代で、男性たちは高く盛り上げた奇妙なカツラを被り、顔におしろいをつけて、付けボクロを付け(このおしろいや付けボクロも、アン女王の時代よりも、フランスでいうとルイ15世の時代、英国ではハノーヴァー王家が登場する少し後の時代の流行かもしれません)、袖を大きく折り返してたくさんのボタンで飾り立てたジュストコールという長いコート状の上着。帽子は三角帽で、手にステッキを構え、半ズボンに長い靴下、足元はハイヒールです。

 女性はパニエという補助具で膨らませたスカートが流行した時代で、少し前の時代の釣り鐘型のファージンゲールや、19世紀半ば以後に流行る円錐形のクリノリン、お尻だけ膨らませたバッスル、などとは異なり、いかにもこの時代を思わせる「横方向に四角く膨らんだ」スカートが特徴です。

 このように、一見した特徴は完全にこの時代そのものなのですが、色や素材は史実にとらわれず、その当時にはあり得ない現代的な素材なども駆使して製作したそうです。特に、暗鬱な宮廷内の闘争を描く作品なので、女性たちは皆、ほとんど白と黒の2色しか使わない衣装を着ています。実際に、16世紀以後のスペインや、19世紀のヴィクトリア女王の時代の英国で、黒色が大流行しますが、アン女王の治世には本当はもっといろいろな色彩の絢爛豪華なドレスがあったと思われます。

 男性については、英国陸軍の軍人たちが赤い軍服を着ているのは当然(1645年以来の伝統)として、政治家の描写では、当時の2大政党であるトーリー党が青色、ホイッグ党が赤色の服を着ていますが、これも史実というより視覚効果を狙った演出のようです。トーリーは実際に青の印象ですが、ホイッグは黄色、というのが一般に言われるイメージカラーで、赤色は20世紀に入って出現した労働党というのが基本でしょう。19世紀初めの有名なダンディー、ボー・ブランメルが日中の服装としてしばしば黄色いベストを選んだとされるのも、彼の単なるファッションの好みではなく、政治的にホイッグ支持者だったからです。その後、20世紀においてはトーリーの後身である保守党が青、労働党が赤、ホイッグの後身の自由党(後に英自民党)が黄というのが定着したはずです。

 その他、時代考証的な正統性、というものには捉われず、特にギリシャ人監督の自由な発想や作家性を生かした異色史劇として比較的、低予算(15億円ほど)で製作した、というのが狙いの本作ですので、そういうものとして見るべきでしょう。

 セリフ回しも現代的で、要するに日本の時代劇においても、60年代、70年代の映画など見ると歌舞伎のような言葉づかいを普通に使っていますが、最近のドラマではかなり現代語に寄ったセリフにします。それは、そもそも「当時の言語」など完全再現しても理解できないほど、現代とはかけ離れているからで(つまり能や狂言みたいな言葉になるでしょう)、単なる雰囲気ものなのだから、「当時はあり得なかった言葉だけは使わない」という最低ルールだけ守ろう、という機運に変わってきたからです。本作も、最低限の基本を除いて、かなり普通の英語を話しているようですが、本作の原型は20年ほど前にデボラ・デイヴィスが脚本を書き、BBCラジオで放送されたラジオ・ドラマだったという起源を知れば、なるほどと思われます。

 

 ところで、アン女王といわれても、エリザベス女王(1世、2世ともに)やヴィクトリア女王のように有名ではありません。エリザベス1世の姉のメアリー1世も、妹との絡みでよく映画などで登場しますし、反対勢力への激しい粛清から「ブラッディ(血まみれ)メアリー」の名でカクテルに名を残しています。それから、名誉革命を経て王位に就いたアンの姉、メアリー2世も著名で、この2人のメアリーにちなんで豪華客船や戦艦の名に「クイーン・メリー」号というのがあるなど、他の歴代女王は英国史の中でもスター扱いですが、アンという女王は、はっきり言って、スチュアート王家の最後の一人であり、その後に現在の英国王室ハノーヴァー朝ウィンザー家がドイツからやって来る前の「つなぎの女王」と見なされがちの、影の薄い人物です。

 しかし、この人の時代には、フランスではあの太陽王ルイ14世がおり、英国との戦いに明け暮れていたわけで、スペイン王位後継問題をかけた「スペイン継承戦争」という全欧州規模の大戦に巻き込まれておりました。特にこの一連の戦争の中でも、北米の植民地をかけた戦争は、「アン女王戦争」と呼称されています。また、彼女はイングランドとスコットランドの「連合王国」の初代女王である、つまり本当の「英国女王(国王)」として初代である、というのも重要な点です。それまでの王様は、いずれもイングランド王であり、あるいは他の国との同君国として国王を兼任している、という状態であって、アンの時代から英国が統一的にまとまり、さらにフランスとの闘争を経て、18世紀半ば以後に「大英帝国」として世界を支配する基盤を担った、という意味でも、実は重要な分岐点にいた君主なのです。

 さらに、彼女はいろいろな曲折の結果、女王に就いた側面もあります。16世紀、チューダー王朝のヘンリー8世は、愛人アン・ブーリンと結婚したくなりカトリックから破門、英国国教会を立ち上げます。ヘンリーの後に1代おいて即位した正妻の娘メアリー1世は、カトリック回帰を図りますが、急逝。そこで、白羽の矢が立ったアン・ブーリンの娘エリザベス1世は、当然、カトリックから離れて国教会を盤石化するわけです。さて、そのエリザベスはヴァージン・クイーンであり、生涯、結婚もせず、子供もいませんでした。それで、彼女が処刑したライバル、スコットランド女王メアリ・スチュアートの子ジェームズ1世が、結局は後継者に指名されてスチュアート朝を開くわけです。このジェームズ以後、イングランド王とスコットランド王が同じ人物として兼任する、という形になります。その後、ジェームズの息子チャールズ1世の時代にまたもや宗教問題から清教徒革命を招いて国王は処刑され王制廃止、その子のチャールズ2世の時代に王政復古した、というのは有名な話。

 このように、宗教がらみがずっと騒動の火種だったので、チャールズ2世は2人の姪、メアリーとアンの宗派をプロテスタントのまま維持させた、といいます。というのも、弟のジェームズおよび、2人の娘の母親は熱心なカトリックだったためで、実際、チャールズが亡くなると即位した弟ジェームズ2世はカトリック回帰を唱え、結局、名誉革命を招いてしまいます。

 それで、プロテスタントのままだったメアリーが、嫁ぎ先のオランダから呼び戻されてメアリー2世となり、夫のオランダ総督ウィレムがウィリアム3世として、珍しい夫婦国王の時代となります。その後、メアリー、ウィリアムが亡くなり、この夫婦に後継ぎがいなかったために、妹に王位が回ってきた、というのがアン女王なわけです。そんなこんなで、王室もずっとドタバタを繰り返していた時期に、宗教問題から祖父が処刑され、父親が追放され、姉夫婦が亡くなった結果、擁立された人で、いろいろ屈折しているのは当然と言えます。

 ついでに先走ったことをいえば、アン女王は映画で描かれる通り、17人もの子供をもうけますが、誰も成長することはなく、彼女の死でスチュアート王家も途絶えます。それで再び、アンの異母弟でカトリック信者のジェームズを君主に迎えるか、王家と縁戚のプロテスタントの君主を見つけてくるか、国論は二分されるのですが、最終的にはチャールズ1世の姉の孫にあたる新教徒、ハノーヴァー選帝侯ゲオルクがドイツから迎えられてジョージ1世として即位、現在の英国王室の直系の祖となるわけです。

 

18世紀初め、イギリスは長らくルイ14世のフランスと戦争状態にあり、疲弊していました。女王アン(コールマン)は夫と17人の子供に先立たれ、痛風を患って歩行もままならない状態。女王の信任が厚い筆頭女官で幼なじみのマルバラ公夫人サラ・チャーチル(ワイズ)が、女王の代理人として政務を取り仕切り、政治や経済ばかりか軍事にまで介入している有様でした。しかし、サラの独善的な姿勢が目立つようになり、アンはサラに依存しながらも、徐々にサラを疎ましく思う場面も増えていました。

 そんな中、サラの従妹であるアビゲイル・ヒル(ストーン)がサラの元を訪れます。父親の遊蕩の結果、一家は破産し貴族の階級から没落、すべてを失ったアビゲイルは、サラの女中として働くことになります。

 しかし、痛風に悩む女王の脚を見たアビゲイルは、これをチャンスと捉えて薬草の知識を駆使し、自分を売り込んでいきます。すぐにサラの侍女に昇格したアビゲイルは、女王のサラに対する屈折した感情を察知して、接近していきます。

 夫のマルバラ公ジョン・チャーチル将軍(マーク・ゲイティス)が総司令官として出陣し、フランスとの戦争が重要な局面に差し掛かると、サラは政務や軍事に掛かり切りになり、アンは自分をないがしろにするサラに不満を覚える一方、親切にしてくれるアビゲイルに興味を抱きます。

サラはホイッグ党を率いる大蔵卿(当時の制度では事実上の首相)シドニー・ゴドルフィン(ジェームズ・スミス)と共に戦争の拡大を画策し、戦費調達のために増税することに執着し始めます。一方、連合国から離脱して、フランスとの有利な単独講和を考えるトーリー党の領袖ロバート・ハーレー(ニコラス・ホルト)は、サラと女王に近い立場のアビゲイルに接近。また、侍従武官サミュエル・マシャム大佐(ジョー・アルウィン)も、アビゲイルに興味を抱き始めます。

 アビゲイルは、サラが女王と同性愛関係にあることを知り、自らも性的な手練手管を使って女王に気に入られることに成功します。これを知ったサラは激怒し、アビゲイルを下女に戻すことにしますが、アビゲイルはすぐに女王に取り入って、女王付きの女官に取り立てられます。

 こうして、生き残りをかけたサラとアビゲイルの女の闘いが宮廷で繰り広げられます。自分に気に入られようと、醜い争いを続ける2人を、上機嫌で眺めるアン。そしてついに、アビゲイルは自分の優位を決定的にするとともに、マシャムと正式に結婚して貴族階級に戻るために、恐ろしい実力行使に出ますが…。

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 身長190センチ、「Xメン」では青い獣人ビーストを演じるニコラス・ホルトが、さらにカツラを被り、ハイヒールを履いてものすごい大男になっているのが大迫力です。そもそもあのカツラは、ルイ14世が背の低さを隠すために盛り上げた、というような話もあり、この人がステッキを持ってのし歩く姿は、本当によく目立ちます。時代劇もいけますね。

 メインを務める3人の女優の素晴らしさは、すでに各所で絶賛されているので、言うまでもないでしょう。オリヴィア・コールマンは「サッチャー 鉄の女の涙」でサッチャー首相の娘の役をやっていた人ですが、その後、演技派として急速に評価を高め、ついにアカデミー主演女優にノミネートされました。気まぐれで複雑、無能なようで実は抜け目のない絶対権力者、アン女王の孤独と存在感を見事に演じています。鬼気迫る体当たり演技のエマ・ストーン、レイチェル・ワイズの同時ノミネートも当然と言えます。

 

 史実との相違点をいくつか述べてみます。まず、実際のサラ・チャーチルはそもそも領地にいることを好み、宮廷にはあまり出てこなかった、ということらしく、アン女王がサラの態度を冷たい、としてなじったのは事実ですが、サラがあまり宮中に来ないわけなので、何事も宮廷での密室劇のように描いた映画の内容とはかなり異なるようです。また、アビゲイル・ヒルの処遇も、映画ではサラが、最下級の女中としてシンデレラのように虐待したように描きましたが、このへんも実際には、親戚としてそれなりの待遇で育てた、というのが真相らしいですね。

 アビゲイルとオックスフォード伯ロバート・ハーレーの関係については、これも映画では全くの赤の他人が、たまたま共闘したようなストーリーでしたが、史実の2人は親戚でしたので、初めから一定の関係があったと思われます。

 アン女王は初めからトーリー党を支持しており、サラはホイッグ党の支持者であって、この点では友人同士といえども、当初から対立していました。映画では、「女の闘い」の流れから、女王が行きがかり上、サラが嫌うトーリー党に乗り換えたような描き方でしたが、この点も史実とは遠いようです。また、アビゲイル・ヒル(マシャム)が女王に気に入られた理由の一つは、そもそも彼女がトーリー党支持者であったことが大きいとされております。

 史実と最も異なる点は、大蔵卿ゴドルフィン伯をホイッグ党の党首のように描いている点です。これは全く事実ではなく、彼は実はトーリー党員でした。トーリー党の領袖としてハーレーたちを入閣させると共に、しかしホイッグ党の協力も必要と考えて、若い有能なホイッグ党の政治家も入閣させ、育てました。その中に、アン女王の死後、ホイッグ党内閣を率いて英国の初代首相となるウォルポールや、スペンサー伯もいました。ゴドルフィンは亡くなる直前、サラ・チャーチルに「ウォルポールは必ず大物になるから、私の後継者と思って目をかけてやってくれ」と遺言したそうです。

 このように見ると、映画は史実とかなり離れながら、ドラマとしての自由な描き方を選んでいることがよく分かります。

 

 アン女王が崩御した後の後日譚についてもちょっと触れておきますと、トーリー党のハーレーがマルバラ公夫婦を追い出し大蔵卿に就任、フランスと結んだ講和は結果として、英国にとっては非常に意味のあるものだった、というのが歴史的評価とされております。この際の「ユトレヒト条約」により、英国は北米大陸に確固とした植民地の基盤を築き、後のアメリカ合衆国に至る道を切り開きます。しかし、アン女王亡き後にドイツからやって来た新国王ジョージ1世は、当然ながらフランスとの戦争にも加わっており、英国だけが単独講和を結んで抜けたことを恨んでいました。それで、共に戦ったマルバラ公を呼び戻すと共に、ハーレーたちトーリー党員を逮捕してしまいます。以後、ハーレーは政界を去り、ウォルポールのホイッグ党内閣が成立。トーリー党は急速に力を失うことになります。

アビゲイル・マシャムは宮廷財務官にまで昇りますが、女王の死後はすぐに宮廷を引退し、静かな晩年を過ごしたようです。一方、一連の「女の闘い」の結果、失権したマルバラ公とサラ夫人は、その後もアン女王と和解することはありませんでした。しかし、女王の死後、ジョージ1世の時代にマルバラ公は復権して大将軍(後の元帥位に相当)になり、サラも宮廷には戻りませんが、亡きゴドルフィンとの約束を守ってホイッグ党の政治家たちに協力し、政界に影響力を持ったようです。

 マルバラ公チャーチルの子孫はその後、スペンサー家と合体して存属。この家系から、後の英国首相ウィンストン・チャーチルや、元皇太子妃のダイアナ・スペンサーが生まれています。先日の「ヴィクトリア女王 最期の秘密」に、女王付き女官として登場したチャーチル男爵夫人ジェーン・スペンサーもこの一門に嫁いだ人です。

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2019年2月 9日 (土)

【映画評 感想】アクアマン

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  映画「アクアマン」
Aquamanを見ました。映像の素晴らしさは近年でも最高レベルで、見たこともない海底の世界や生物が描かれます。それに心を揺さぶられる恋愛要素、家族の絆といったドラマの面でも見事です。アクションの質の高さもさすがで、マレーシアが生んだ鬼才ジェームズ・ワン監督の手腕が光ります。

本作はDCコミックスの「DCエクステンデッド・ユニバース」6作目にあたり、すでに興行収入1100億円超えの大ヒット作となっています。

 はっきり言って、スーパーマンやバットマン、ワンダーウーマンと言った「著名なスーパーヒーロー、ヒロイン」と比べると、知名度が低いアクアマン。映像化シリーズにおいても、すでにそういった有名超人と「ジャスティス・リーグ」などで共演していたものの、正直なところ、これまではあまり注目されていませんでした。ところが単独作品化したところ、大化けしてくれた、というわけです。水中では時速160キロで泳ぎ、筋力は普通の人間の150倍、銃弾はおろかグレネード弾の直撃でもビクともしない、という設定は、まさに「海のスーパーマン」です。

 アクアマンは、最近、登場したようなものではなく、第2次大戦中の1941年にコミックに初登場した歴史のあるキャラクターです。38年にスーパーマンが登場してわずか3年後であり、同じ年にデビューした同期にはキャプテン・アメリカがいる、ということで、老舗といっていいキャラですね。当時の時代背景から、最初のアクアマンは、ナチス・ドイツのUボート(潜水艦)と戦うヒーローだったようです。

古代に海底に沈んだアトランティス帝国の末裔で、地上で普通の子供として育ったのだけれど、実は王位継承者である、という、いわゆる「アーサー王伝説」型のヒーローで、それ自体は昔から英雄伝説ではよくあるお話。実際、主人公の名前がアーサーなのも、アーサー王にちなんでいます。ライバル関係の兄弟がいたり、海神ポセイドンに由来するトライデント(三叉の鉾)がテーマになったり、と似たような設定の作品もいろいろ思い浮かびます。

 しかし、なんといっても異色なのは、原作コミックで典型的な金髪美形のヒーローだったアクアマンを、ハワイ出身で荒くれ者のイメージが強いジェイソン・モモアが演じた点です。黒髪で全身にタトゥーを入れた武骨な、だけど知的で愛嬌があって憎めないアクアマン、というのはいかにも現代的なひねり方で、父親役にニュージーランド出身のテムエラ・モリソン、母親役にはオーストラリア出身のニコール・キッドマンを配して、どこか「モアナと伝説の海」を思わせる海洋映画になったことで、非常に魅力的な作風になりました。舞台設定も、アメリカ、海底のほかにサハラ砂漠、イタリア、さらにロシアの潜水艦、といろいろな文化圏を取り上げて、小さな枠に収まらない作風になっています。今のアメリカでは、スーパーマンやキャプテン・アメリカのような、伝統的で直球勝負型のヒーローから、「ブラック・パンサー」や「ワンダーウーマン」「デッドプール」といった、文化的な背景や設定に多様性のあるものが受けるようになって、実際に大ヒットしていますが、この作品もそういう流れの中で大いに存在感を示しているように思います。

 ところで、この作品の世界では、洋上にあったアトランティス帝国が水没した後、この国の人々は高い科学技術力により、水中生活に適した体質に進化した、ということになっています。だから、彼らは水中でしか行動できず、陸上に上がるには宇宙服のようなスーツを着ていないといけません。彼らのヘルメットの内側は、空気ではなくて海水で満ちているわけです。海底国家となって以来、アトランティスの本家のほかに、六つの分家の王制国家に分かれています。アトランティス王国と、隣国ゼベル王国の人々は地上の人類と同じような姿かたちのままですが、人魚のような姿になった魚人王国、ヤドカリのような姿に変化した甲殻王国、さらに知性を失い化け物のように退化してしまった海溝王国、かつては海底にあったが地殻変動により、今ではサハラ砂漠となって事実上、滅亡した砂海王国、さらに作中では登場しないもう一つの王国が存在する模様です。

 そして、陸上では呼吸できないのが基本ですが、いずれの王国においても王族の人々だけは、地上で呼吸できる、とされています。それで、アクアマンをはじめ、母親のアトランナや、アクアマンの弟オーム、ゼベル国王ネレウス、その娘のメラ、といった主要な人物は、地上でも自由に行動できるわけです。

 

 1985年、アメリカ・メイン州の灯台を守るトム・カリー(モリソン)は、嵐の海から岸に打ち上げられた美女アトランナ(キッドマン)を助けます。彼女は海底の帝国アトランティスの女王と名乗り、望まない政略結婚から逃れてきたのだ、と言います。優しいトムに心ひかれたアトランナはほどなく恋に落ち、一人息子アーサー(モモア)が生まれます。

 しかし、彼女の行為はアトランティス国家に対する反逆行為であり、ついに追手が灯台に攻めてきます。愛する夫と息子を守るために、アトランナは後ろ髪をひかれながら海に戻っていきます。「いつかきっと、この桟橋に戻ってくる」と言い残して。

 そして現代。大人に成長し、海賊に襲撃されたロシア海軍の潜水艦を救援するアーサーの姿がありました。彼は、アクアマンと呼ばれて、既に超人として世に知られるようになっています。潜水艦を巡る戦いで、海賊の首領ジェシー・ケイン(マイケル・ビーチ)が命を落とし、その息子デビッド・ケイン(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は父の仇としてアーサーを激しく憎みます。

 その頃、アトランナの息子で、アーサーの異父弟にあたるオーム(パトリック・ウィルソン)はアトランティス王位を継ぎ、さらに七つの海底国家を統合して海の皇帝である「海洋の覇者(オーシャン・マスター)」を名乗ろうと野心を募らせていました。そればかりでなく、地上の世界に侵攻し、全世界を治める覇王となる、という途方もない考えに取りつかれています。古来の取り決めにより、地上侵攻のためには、少なくとも四つの国の同意か服属が必要とされています。アトランティスの分家で、アトランティスに匹敵する有力な海底国家ゼベル国の王ネレウス(ドルフ・ラングレン)は、オーム王の考え方を危険視しています。また、アトランティスの重臣で軍の参謀を務めるバルコ(ウィレム・デフォー)も、オーム王の侵略的な性格を危惧しています。彼は密かに地上のアーサーを育て、アトランティスの情報を教え、武芸を仕込んで、見守ってきた存在です。

 ネレウス王の娘で、オームの婚約者でもあるメラ王女(アンバー・ハード)は、アーサーのもとを訪れ、地上に危険が迫っていること、海底の世界にやって来てオームの暴走を止めてほしいことを訴えます。しかしアーサーはバルコから、母親アトランナが、地上の人間と交わって子供を産んだことを理由に処刑された、と聞かされており、自分の存在が母アトランナを苦しめ、ついには死に追いやった、と自責の念にとらわれており、海底の世界に行くことを拒み続けています。

 しかし、そんなある日、「地上の国の潜水艦」がアトランティスを攻撃してきます。オームは地上への報復を唱え、ネレウスもそれに従わざるを得なくなります。ところが、その潜水艦というのはオームが演出した狂言で、あの海賊デビッド・ケインが加担して行われた謀略だったのです。

 大津波が地上を襲い、父親トムが危うく命を落としそうになるに及び、ついにアーサーはメラと共に海底に赴くことを決意します。そこで彼はバルコから、真の王位継承者を名乗るには、アトランティスの初代アトラン王(グレアム・マクタヴィッシュ)がどこかに秘匿した伝説の武器、トライデントを手に入れる必要がある、と聞かされます。

 まもなく捕えられたアーサーは、王位をかけてアトランティスの国民が見守る中、オームと決闘することになります。長年かけて準備万端を整えていたオームに歯が立つはずもなく、敗北寸前のピンチに陥りますが、見かねたメラがアーサーを救出。そして2人は、アトラン王のトライデントを求めて、アフリカのサハラ砂漠、さらにイタリアのシチリアへと探索の旅に出ますが、その行く手には思わぬ敵が待ち受けていました…。

 

 といったことで、非常に濃厚なドラマが展開しますが、脚本の整理がよいので、分かりにくいこともなく、といって話が飛び過ぎることもなく、巧みな演出に感心しました。過去の話と現在の話があり、海底にいくつもの王国があり、地上の世界も次々に舞台が変わっていくので、下手な脚本だと、何が何だか分からなくなる、という恐れが十分にあるわけで、事実、そういう実例もこの手の作品には多いわけですが、本作は実に見事だと思います。

 キャスティングも非常に凝っていると思います。

 主演のモモアの存在感と、ワイルドなのにチャーミングな人柄はまさにこの映画の核。真っ赤な髪に染めたアンバー・ハードは、強気でじゃじゃ馬なお姫様、という役柄には、まさにはまり役ですね。この主演の2人の魅力が作品を支えているのは言うまでもありません。

なんといってもいい味を出しているのがウィレム・デフォーの古武士のような風格。髪型も日本の武士のようなスタイルで、デフォー本人が「日本のサムライのイメージで」と求めたからこうなったそうです。確かに黒澤明の映画に出てくる戦国時代の侍大将のような、静かな佇まいの中に威厳のあるキャラに仕上がっています。

 ドルフ・ラングレンがこういう形で出てくる、というのも意表を突かれました。人間核弾頭などと呼ばれ、「ロッキー」シリーズで知られるアクション・スターですが、今回は、アクションは若い人たちに譲り、思慮深い国王として存在感を示しています。

 敵役となるパトリック・ウィルソンは、「オペラ座の怪人」以来、「アラモ」「プロメテウス」など、あちこちの映画で顔を出すほか、ジェームズ・ワン監督の大ヒット実話ホラー「死霊館」シリーズで活躍する人。オーム王は原作では一見してダークな悪役ですが、今回は出来るだけモモアのワイルドなアクアマンとは対照的なキャラにしているとか。金髪で徹底的にきれい目なルックスにして、むしろ原作のアクアマンの印象に近い感じです。

 ニコール・キッドマンとテムエラ・モリソンの恋愛ドラマは、この作品の中で時間は短いながら中核ともいえる部分で、監督も「この2人のパートが好き」と言っています。さすがの実力者2人で、しっかりと見せてくれます。モリソンと言えば「スター・ウォーズ」のジャンゴ・フェットで有名で、「モアナと伝説の海」ではモアナのお父さんの役もやっていました。

 アトラン王役のマクタヴィッシュは、「ホビット」シリーズでドワーフの勇者ドワーリンを演じて注目されました。それから、甲殻類の国の王ブラインの声をジョン・リス=デイビスがやっていますが、こちらは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでドワーフのギムリ役として有名な人で、今回も特徴的な声ですぐにそれと分かります。

 最も驚いたキャストが、深海でアトラン王のトライデントを守る怪物カラゼンの声を演じた人。なんとジュリー・アンドリュースなのです! 1964年の「メリー・ポピンズ」や65年の「サウンド・オブ・ミュージック」の、あの人です。アクアマンもビビる、すごいド迫力のナレーションでしたが、後で配役を知ってなるほどと思いました。圧倒的な存在感とか、長い時間を経て生まれた自信と威圧感を自然に発する人、ということでこういうレジェンド的な名優を起用したのでしょうが、素晴らしい着想です。

 とにかく見ていて、映像、アクション、ドラマのバランスがよく、いい作品だと思います。あまりよく知らないキャラクターなので、という理由で敬遠するのはもったいない一作ですね。これだけヒットしたので、きっと続編もあるのではないか、と思います。

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2019年2月 1日 (金)

【映画評 感想】ヴィクトリア女王 最期の秘密

「ヴィクトリア女王 最期の秘密」Victoria & Abdulという映画を見ました。英国での公開は20179月で、昨年2月のアカデミー賞では衣装デザイン賞にノミネートされた作品です。日本では1年半ほど遅れての公開となりましたが、今年、2019年は女王の生誕200年ということだそうですね。20190131201923


それで思うのですが、英国王室もの映画、特に女王をテーマにした映画がこのところ、多いように思います。今年224日に発表されるアカデミー賞でも16世紀のエリザベス1世とスコットランド女王メアリ・スチュアートの確執を描いた「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」、それからメアリ・スチュアートの流れを汲むスチュアート朝の最後の君主アン女王の時代の宮廷内の抗争をテーマとした「女王陛下のお気に入り」の2本がノミネートされており、いずれも衣装デザイン賞でもオスカー争いをしています。こういう時代劇はなんといっても衣装デザイナーの腕の見せどころですが、それだけではなく、やはりEU離脱問題で揺れる現在の英国では、自国の歴史を見直したい、という機運があるように見受けられます。ここ数年、チャーチル首相とダンケルク撤退作戦を取り上げた映画が多かったのも、同じような流れではないかと思います。

ヴィクトリア女王も、偉大な君主としてしばしば映画化されている人物ですが、近年、話題になった作品として、18歳で即位した女王が、ドイツ出身のアルバート公に出会い、様々な妨害を受けながら育んだロマンスを取り上げた「ヴィクトリア女王 世紀の愛」(2009年)がありました。これはエミリー・ブラントの出世作で、アカデミー衣装デザイン賞を見事に獲得。そして、夫アルバート公が42歳の若さで亡くなった後、従僕ジョン・ブラウンとの交流を描いた「Queen Victoria 至上の恋」(1997年)では、ジョディ・デンチが40歳代の女王を演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされました。

最愛の夫は1861年に亡くなり、その後を埋めるように現れたジョン・ブラウンも1883年に亡くなって、孤独な晩年を送る女王が最後に信頼した男性が、インドからやって来たアブドゥル・カリムでした。800pxmunshirudolf_swoboda


ということで、この映画は、晩年の女王を再びジョディ・デンチが演じて話題になったものです。

アブドゥルの存在は、彼が「ムンシMunshi(師匠)」という呼び名で、インド語の語学教師として女王に仕えていたことは知られていたものの、2人の具体的な交流については、女王の死後に英国王位とインド皇帝位を継いだ皇太子エドワード・アルバート(通称バーティー。即位後はエドワード7世)が関係書類や記録を徹底的に破棄したために、よく分からなくなっていました。

しかし、作家シュラバニ・バスの調査で、女王の遺したウルドゥー語の日記が発見され、さらにアブドゥルの親戚筋の子孫の家から、アブドゥル本人の日記も見つかって、2010年に公表されたのが、この映画の原作本だった、という次第です。

難民問題やEU離脱問題で揺れる英国で、大英帝国の栄光の象徴であるヴィクトリア女王が、イスラム教徒のインド人と極めて親密だった、という事実が実証されたことは、大きな話題となり、ついに映画化されるに至ったのです。

 

1887年。ヴィクトリア女王(デンチ)がインド皇帝を兼ね、正式にインドが英国領となってから29年が経っていました。アグラの街の刑務所に勤める24歳の事務官アブドゥル(アリ・ファザル)は、突然、女王に即位記念50周年金貨を献上する大役に抜擢されます。見たことのない英国に行き、女王の御前に出ることを彼はチャンスと捉え喜びますが、もう一人の使者がケガをして、急きょ、代役として英国に赴くことになったモハメド(アディール・アクタル)は全くやる気がありません。

その頃、女王は60歳代の後半を迎え、人生に退屈し切っていました。最愛の夫アルバートが若くして世を去ってから既に26年。その後に寵愛した従僕ジョン・ブラウンが死んでから4年。宮廷には彼女に取り入ろうとする不誠実な貴族たちが集まり、秘書のポンソンビー(ティム・ピゴット=スミス)は朝から晩までつきまとって、公務のスケジュールでがんじがらめにし、首相のソールズベリ卿(マイケル・ガンボン)は陰鬱な国際情勢ばかり語ります。王太子のバーティー(エディ・イザード)とは反りが合わず、うまくいっていませんでした。

アブドゥルとモハメドは、女王に金貨を献上してすぐに帰国するはずでしたが、女王は長身でハンサムなアブドゥルに目を留め、自分の従僕として英国に留まることを命じます。インドの言葉や文化を屈託なく話すアブドゥルは疲れ切った女王の心を癒し、すぐに単なる従僕から、女王の家庭教師であるムンシに昇格して、女王の行くところ、いつでもどこにでも付き従うようになります。

しかし、イスラム教徒のインド人が急速に寵愛されていくのを、周囲の人々が黙って見ているはずはなく、特に王太子バーティーは危機感を覚え、首相もポンソンビーに、インド人を宮廷から追い出すように命じます。

やがて、女王はアブドゥルを騎士(ナイト)に叙任すると言い出し、反発した側近たちが怒り出して大騒動に。しかし、徐々に女王も体力の衰えを自覚し、最期の日が近付いてくるのでした…。

 

ということで、映画を見ていると、ほんの数年の話のように見えてしまいますが、史実としては、アブドゥルが晩年の女王に仕えた14年間ほどの日々が描かれます。

人種や宗教に偏見のない女王は、当時としてはむしろ変わった人でした。そして、何よりハンサムで髭面、長身の男性を好んだようで、これはやはり最愛の夫の面影を追っていた部分もあると思います。

実は夫アルバートも、ドイツから入り婿として英国にやって来ており、女王が一目ぼれして、周囲の反対を押し切り、結婚にこぎ着けました。アルバートは女王を守って宮廷改革に取り組み、大きな成果を収めますが、英国の貴族層からはいろいろな妨害を受け、非常に苦労しています(このあたりは「ヴィクトリア女王 世紀の愛」によく描かれています)。そんな部分も、考えてみるとアブドゥルの立場とかなり似通っていたと言えるのではないでしょうか。

何より、アルバートも、ジョン・ブラウンも、権力者である女王に率直に語る人たちでした。晩年の孤独な女王に自然に接することができたのは、異国からやって来てしがらみのないアブドゥルだけだったのだと思われます。

とはいえ、アブドゥルが単なる無私無欲の好人物だった、というわけではなく、チャンスを捉えて出世を狙う俗物の面もあったことはきちんと描いています。インド国内においても、古くからのヒンズー教徒と、その後にインドを支配したムガール帝国のイスラム教徒とは反目しあっており、アブドゥルがイスラム教徒に都合のいい情報ばかり女王に吹き込んでいた、といった話も描かれます。何より、女王に処刑宣告まで出したセポイの反乱は、エンフィールド小銃の火薬を包む紙袋に豚の脂が防水加工として塗られていたことにイスラム教徒の傭兵(セポイ)が反発して起こした騒動だった、というのは、この映画の中で側近たちが女王に語る通りの史実です。

2人の関係が恋愛に近いものだったのかどうか。それは、その前のジョン・ブラウンとの関係でも取り沙汰される問題です。もっとも、夫の急逝後、まだ若かった時代のブラウンとの交わりと、7080歳代にかかわったアブドゥルとではやはり次元が違うでしょう。

 

さすがにアカデミー賞にノミネートされるだけあって、衣装が実に見事です。本当に息をのむほど素晴らしい従僕たちの宮廷衣装とか、また現代の背広のルーツである、いちばん上のボタンを一つだけかけたアウトドア用の上下揃い(ディトー)スーツなどなど。そして、アルバートの死後、喪服を着続けた女王の衣装もシーンごとに微妙に異なり、ほんの一瞬で終わる場面でも、肩に着けたヴィクトリア王室勲章や、胸に輝くガーター勲章、シスル勲章、聖パトリック勲章などのメダルも克明に再現しています。

ちなみに、映画の終わりの方で、女王はアブドゥルにヴィクトリア勲章のコマンダー章を授与することを発表しますが、このヴィクトリア勲章、というのは有名な「ヴィクトリア十字勲章」とは別物です。「十字勲章」は英雄的な軍人に授与される英国の最高位勲章ですが、ヴィクトリア王室勲章の方は、完全に王室が管理するもので、国家機関に諮問する必要がなく、国王の一存で与えることができるものです。アブドゥルがこの勲章を受けた理由はそのへんにあるわけです。

ところでひとつ気になったのが、最後に登場するドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の服装でした。こちらは灰緑色(フェルトグラウ)のいかにもカッコいいドイツ槍騎兵の制服に身を包み、一目でドイツからカイゼル(皇帝)が見舞いに来た、と分かるシーンでした。ヴィルヘルム2世は女王の長女の息子で、孫にあたるのです。王家が親戚であることもあり、この時代にはドイツと英国は比較的良好な関係でした。

しかしこれ、おそらく分かってやっていることと思いますが、ちょっと皇帝の服装で気付いたことがあるのです。つまり、ドイツ皇帝であることを一目で分かりやすくするために、ドイツと言えば灰緑色、というイメージの軍服を着せたのだろうと思うのです。が、史実としてはおそらく正しくありません。

女王が亡くなるのが1901年。一方、ドイツ軍で灰緑色の軍服を着るようになるのは、1907年のこと。つまり、この時代にはまだこういう色の軍服は着ていないはずで、実際にはここに掲げるような、青色(プルシャン・ブルー)の軍服を着ていたはずです。Photo


とまあ、時代考証的にはそんなことを思いましたが、繰り返しになりますが、そんなことは承知のうえでやっていることと思います。ただ、一応、服飾史家としては一言、蛇足を言いたくなったわけでございます…。

とにかく、史実をうまく組み換え、並び替えてストーリーを展開するスティーヴン・フリアーズ監督の手腕が見事です。この監督はヘレン・ミレンが現女王エリザベス2世を演じてアカデミー主演女優賞を獲得した「クィーン」(2006年)の監督でもあり、史実の料理の仕方が実に巧妙です。

ジョディ・デンチをはじめ的確な配役の面々も素晴らしい演技を見せ、心を揺さぶってくれます。秘書役を好演したティム・ピゴット=スミスはこの後に亡くなり、遺作となりました。

こういう見応えのある史劇を作るのに、英国王室の歴史は中世から現代まで、どこを取り上げても興味深い逸話の宝庫です。「女王ものに外れなし」、という感を改めて強くしました。

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2018年12月 8日 (土)

【映画評 感想】くるみ割り人形と秘密の王国

映画「くるみ割り人形と秘密の王国」The Nutcracker and the Four Realmsを見ました。これはよく知られたドイツの童話、E・T・A・ホフマン作の「くるみ割り人形とねずみの王様」Nußknacker und Mausekönigと、さらにこれを翻案したアレクサンドル・デュマのストーリーを基に書かれたバレエ劇、チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」Щелкунчикをディズニーが実写映画化した、というものです。20181206232807


とはいえ、ホフマンのオリジナルとも、チャイコフスキーのバレエともかなり設定や展開が相違しており、やはり21世紀の映画、という感じはします。

ホフマンという人は19世紀初めのプロイセン王国の法律家で、ナポレオン戦争で焼け出されるなど、さんざん苦労した後、本業の傍ら、作家、作曲家として活動したわけですが、そもそもは友人の娘マリー・ヒツィヒのために即興で作ったお話が、この「くるみ割り人形」というものだったそうで、発表はナポレオン戦争が終わった年の翌年、1816年。多分に戦争の記憶が反映している内容とも言えます。このホフマン版のヒロインは、友人の娘の名前そのままに「マリー」と名乗っています。

その後、デュマのアレンジを経て、チャイコフスキーが作ったバレエ(1892年初演)では、ヒロインの名は「クララ」と変更されていますが、この名前は、原話のモデルとなった実在のマリー・ヒツィヒのお姉さんの名前だったようです。

そんな経緯を踏まえて、ということでしょう。この映画では、ヒロインの名はクララ、母親の名がマリー、そして、ヒロインの姉としては、ホフマンの原話から登場している「ルイーゼ」の名が踏襲されています。この名の由来は定かではないですが、ホフマンが崇拝していたプロイセン王妃ルイーゼの名にあやかったのかもしれません(ホフマンは実際に、自作のオペラ曲をルイーゼ王妃に献呈しているそうです)。

また、原話ではヒロインの兄として登場しているフリッツは、弟の名前になっています。

ここまでの経緯から言えば、原話はドイツ、その後フランスでアレンジされて、ロシアでバレエ化されたわけですから、英語圏とは本来、かかわりが薄いはず。

しかしながら、この映画では、お話の舞台は19世紀末、ヴィクトリア女王時代のロンドン、ということになっています。科学技術と産業革命が進展しつつある時期、を背景に描きたかったようですね。よって、現実世界の人々は、女性はお尻にバッスルという補正具をつけて、スカートのラインに優雅な曲線美を強調したドレスをまとっています。男性たちはトップハットに燕尾服が定番。ただ、現代のホワイトタイの燕尾服が定着する前、という時代背景を意識しているのでしょう。ヒロインのお父さんは、燕尾服にブラックタイという姿です。これは、ひとつには喪に服している、という設定だからでしょうね。

それから、映画の中でクリスマスツリーもたくさん、登場しますが、この風習を英国に持ち込んだのは、ヴィクトリア女王の夫君で、ドイツ出身のアルバート公。当時の英国人にとっては、新しい習慣だったと思われます。

一方で、名前などは英語風にするでもなく、スタールバウムStahlbaumとかドロッセルマイヤーDrosselmeyerなどとドイツ語のまま。また劇中に登場する不思議の国の宮殿は明らかにクレムリンのようなロシア風です。

兵士たちの服装は19世紀当時のドイツ、英国、ロシアの軽騎兵や擲弾兵の軍服を混ぜた感じ。肋骨(ろっこつ)服にシャコー(筒形帽)ですが、シャコーの形状はドイツやロシアでよく見られた、張り出しの大きいスタイルです。一方で玩具の兵士たちのいでたちは、いかにもドイツの槍騎兵(ウーラン)を思わせるもので、頭にはウーラン専用の四角い頂部を持つチャプカという帽子を被っています。衣装デザインのために厖大な19世紀軍服のリサーチをしたのだろうな、と、私のように日頃から服飾史、軍装史を研究している身からすると、まことに興味深いものがあります。

 

クララ・スタールバウム(クレア・フォイ)は科学好き、発明好きの14歳の少女です。しかし今で言うリケジョのクララは、良妻賢母をよしとした19世紀末のヴィクトリア時代には浮いた存在です。最大の理解者だった母親マリー(アンナ・マデレイ)が亡くなり、スタールバウム家は悲しいクリスマスを迎えていました。クララは母の死を悲しむあまり、表面的には平静を装う父、ベンジャミン(マシュー・マクファデン)ともしっくりいかなくなってしまいます。

ベンジャミンは、マリーの遺言に従って、プレゼントを3人の子どもたちに渡します。長女ルイーゼ(エリ・ボマー)には形見のドレス、弟のフリッツ(トム・スウィート)には兵隊人形と、分かりやすい物が渡されますが、クララには金属製の卵のような形の容器が贈られます。しかし容器を開くには特殊な鍵が必要で、肝心の鍵は同梱されていませんでした。母親からのメモには「この中に、必要なものは全てあります」とあり、クララはなんとしても容器を解錠しなければなりません。

毎年恒例のドロッセルマイヤー邸でのクリスマスパーティーに参加した一家。父からは勝手な行動をとるな、と戒められていましたが、クララはまっすぐに屋敷の主人であり、クララの名付け親、そして母マリーの育ての親でもある発明家ドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)の元に向かいました。というのも、卵には製作者として彼の名が刻印されていたからです。ドロッセルマイヤーは、自分も鍵は持っていない、とクララに言いますが、その後、彼からクリスマスプレゼントを贈られたクララは、その指示に従って、屋敷の敷地から不思議な森に足を踏み入れます。

そこは現実からかけ離れた異世界で、マリーがクララに遺した鍵がありました。しかし、クララがそれを手に取ろうとすると、ネズミの王(チャールズ・リレイ)が奪ってしまいます。ネズミを追うクララは、途中で「くるみ割り人形」のようないでたちの真っ赤な軍服を着た兵士(ジェイデン・フォーラナイト)と出会います。彼はフィリップ・ホフマン大尉と名乗り、なぜかクララを「王女様」と呼びます。

大尉は、ネズミを追って先に進もうとするクララに、その先は危険な独裁者マザー・ジンジャー(ヘレン・ミレン)が、凶暴なネズミの王とともに統治している「第4の国」で、足を踏み入れることは出来ない、と諫めます。クララは強引に乗り込んで、ネズミの大群や道化の一団に襲撃され、すんでのところで捕まりかけますが、からくも脱出しました。

大尉は美しい宮殿に、クララを案内します。そこは、ホーソン(エウヘニオ・デルベス)が摂政を務める「花の王国」、シヴァー(リチャード・E・グラント)が摂政を務める「雪の王国」、そしてシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)が摂政を務める「お菓子の王国」と、ジンジャーの第4の国を含めた秘密の王国の中心部でした。この世界を創造したのは母であり、当地では「マリー女王」と呼ばれて神のように畏敬されている事実を、クララは知ったのです…。

 

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  といったわけで、原話ではせいぜい、ネズミの王にスリッパを投げつけるぐらいのヒロインが、この映画では自ら君主として兵隊を率い、ネズミの国との戦争を指揮する、という勇猛果敢さです。クララは肋骨軍服を着て、シャコーを被り、金色のエポレット(正肩章)を肩にきらめかせて出陣しますが、これが実にカッコいい。主演のクレア・フォイ自身、この軍装姿がお気に入りだそうで、「家に持って帰りたい」と思ったとか。フォイは「インターステラー」での演技が大注目された新星で、際立った美貌の持ち主ですが、それがまた
19世紀の女性王族そのものの絢爛豪華な軍服で大活躍する様は、なんとも見事に絵になっており、見惚れてしまいますね。余談ですが、このように女性王族が名誉連隊長として軍服を着る、という習慣は、先述したナポレオン戦争時代のプロイセン王妃ルイーゼが試みたのが、世界初の実例でした。この王妃は、戦争中は指揮官として軍を鼓舞し、戦後もナポレオンとの難しい交渉に力を尽くしたのち、病を得て若くして亡くなり、伝説化されている人物です。

オリジナルの童話やバレエでは、ヒロインと恋に落ちる王子様という役柄のくるみ割り人形。この映画では、彼の立場は王国の一軍人にすぎず、原話やバレエの展開とはかなり違うわけですが、重騎兵か竜騎兵のような派手なヘルメットを被り、どちらかというと軍楽兵のような肩章や房飾りをちりばめた真っ赤な軍服は、彼が本来のタイトルロール(つまり主人公)である、と主張しているようです。演じるフォーラナイトは、今回、大抜擢されたほぼ無名の新人です。

モーガン・フリーマン、ヘレン・ミレン、キーラ・ナイトレイと、そうそうたる大物出演陣が、これらの若い世代をしっかりと支えています。特にナイトレイの役回りは、最後まで見ているとびっくり、というもので、なかなか役作りも難しかったと思うのですが、さすがに上手くこなしています。

チャイコフスキーの美しい楽曲がそのまま、要所に使われており、さらにミスティ・コープランドとセルゲイ・ポルーニンというバレエ界の大スターが舞踏するシーンも盛り込まれています。ポルーニンは近年、「オリエント急行殺人事件」や「レッド・スパロー」などに出演し、映画界でも目覚ましく活躍していますね。

これだけ盛りだくさんなのですが、意外にコンパクトで、上映時間も短め。とにかく豪華な衣装と美術が素晴らしく、映像美として極上といっていい作品です。また大事な家族を失った一家の再生の物語、という側面が心を打ちます。私は個人的に、登場シーンは少なかったものの、ヴィクトリア朝の抑制的な雰囲気の中で、愛妻を失いながら悲しみをぐっとこらえる父親ベンジャミン氏の姿が印象的でした。この役を演じたマクファデンは、「プライドと偏見」でキーラ・ナイトレイの相手役として有名になり、その後もラッセル・クロウ版「ロビン・フッド」でノッチンガムの悪代官、オーランド・ブルームらが出た「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」では三銃士の一人アトス、やはりナイトレイ主演の「アンナ・カレーニナ」でヒロインの兄の貴族オブロンスキー役など、いろいろな役を器用にこなす演技派です。こうして並べて見ると時代劇が得意なようで、本作でもいい仕事をしていると思いました。 

本作は、大ヒット作となった「ボヘミアン・ラプソディ」と公開が重なり、アメリカでの興行的には苦戦した模様。しかも、そもそもはディズニーが製作していた実写版「ムーラン」が延期となってしまい、その本来の公開スケジュールに代わりとして入れられた、という不運な作品ですが、やはりクリスマス映画として今、大画面で見るのにふさわしいと思います。

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