2017年9月22日 (金)

【映画評 感想】エイリアン : コヴェナント

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 映画「エイリアン:コヴェナント」Alien: Covenantを見ました。「エイリアン」シリーズの生みの親、リドリー・スコット監督によるシリーズの集大成的な作品です。
 コヴェナントとは「契約」の意味です。聖書で説かれる、神とユダヤの民との「契約」がその下敷きにあります。神との契約によって預言者モーゼに十戒が授けられ、その石板を入れた「契約の箱」(Ark of the Covenant=「インディ・ジョーンズ」に出てきた、あの失われた「アーク」のこと)を携えた人々は、神との「約束の地」を目指し遠い旅に出たわけです。これにちなみ本作では、人類にとっての約束の地を目指す植民宇宙船の名になっています。スコット監督はモーゼの出エジプトを描く史劇「エクソダス:神と王」を2014年に製作していますが、これも偶然ではなく、同監督にとって重要なモチーフなのでしょう。
 シリーズの第一作「エイリアン」が公開されたのは1979年。私が中学1年生のときでした。今よりもテレビで映画のコマーシャルがよく流れる時代でしたので、「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」というキャッチコピーと共に映し出される映像の気持ち悪さに辟易した記憶があります。その後、しばらくたって、この作品を初めてテレビで見たときも、悪夢に出そうな、トラウマになりそうな印象を持ちました。
 何よりも気味が悪かったのは、巨匠ギーガーがデザインした化け物ですが、それも意図的に、正体が分からないように映されているのですね。それがとにかく得体のしれない恐怖感を醸し出していました。
 この作品は、ちょうど「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」でSFが映画ジャンルとして確立した直後に登場し、ホラー的な展開の「SFスリラー」という新分野を切り開いたと言えます。この一作で、まだ無名だったスコット監督と、映画史に残るタフなヒロイン、リプリーを演じたシガニー・ウィーバーが有名になり、以後の多くの作品に影響を及ぼしました。たとえば、密室的環境からの逃避行という図式は、今、上映中のクリストファー・ノーラン監督「ダンケルク」にまで影響を与えているほどです。
 しかし、あれから40年余りでエイリアンはあまりに有名になりすぎました。一作目から20年近く続いたシリーズも97年の「エイリアン4」でついに完結したとされ、それからでもさらに20年がたっています。2012年に前作「プロメテウス」が公開された際には、エイリアン・シリーズに登場する悪徳企業ウェイランド・ユタニ社の前身会社、ウェイランド社が出てくることなどから、どう考えても同シリーズの前日譚のように見えるものの、監督も制作サイドも明確にシリーズの一部であるとは公言しませんでしたし、題名にも「エイリアン」の言葉は入っていませんでした。
 しかし、「プロメテウス」の続編である本作は、タイトルからしてエイリアン・シリーズの正統な一作であることを公式に明示しており、これにより、逆説的に「プロメテウス」も正統な前日譚であったことがはっきりした、という流れになっています。
 そういう経緯があり、前作は明らかにエイリアンだとしか思えないものの、神話的なタイトル通りにどこかシリーズのノリとは異なる深遠さというか、哲学的な香りが強い作風でした。しかし、今回の作品は明らかにそれが、バイオレンス・アクション映画であると共に、SFスリラーの開祖でもある本シリーズらしい展開に舵を切っています。要するに、より娯楽作品らしく、第一作に近い作風に回帰しています。これはもちろん意図してそのように製作されたものでしょう。
 というのも、本作の位置づけは、前作「プロメテウス」の時代設定(2089~94年)の10年後、そして第一作「エイリアン」の時代設定である2124年からは20年前にあたる2104年、ということになっています。つまり、この映画から20年後に、あのノストロモ号の悲劇的な航海が起きるわけです。なぜ、エイリアンという化け物が生まれたのか、というのが「プロメテウス」と本作が担う最も重要なテーマになるわけですが、その副産物として、そもそも地球人類と言うものも、なぜ生まれたのか、という話にまで及んだわけです。
 「プロメテウス」では、考古学者エリザベス・ショウ博士(ノオミ・ラパス)が古代の遺跡の発掘成果を基に、地球人類を導いてきた神=異星人「エンジニア」の星を目指す旅を企図し、それを巨大企業ウェイランド社の総帥、ピーター・ウェイランド(ガイ・ピアース)が後押しして、宇宙船プロメテウス号が旅立つ話が描かれました。結局、その星でエンジニアたちは危険な生態兵器「エイリアン」のプロトタイプを開発しており、エリザベスと、アンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)を残して探検隊は全滅。エンジニアの宇宙船を奪った2人が、彼らの母星に向けて出発するシーンで幕切れとなりました。
 よって、続編である本作では、異星人の母星に着いた2人のその後が描かれるのだろう、と誰しもが予想したのですが、それがちょっと違っていたのです。

 プロメテウス号が出発する以前から映画は始まります。ピーター・ウェイランド(ピアース)は自分が製作した人造人間のプロトタイプ(ファスベンダー)を起動させます。それは、自分自身でダビデの彫刻にちなんでデヴィッドと名乗ります。ウェイランドが「私がお前を作り出したのだ」と言うと、デヴィッドは「では、あなた方を作り出したのは誰ですか」と問います。その質問の中に、危険な兆候を感じ取ったウェイランドは不機嫌になり、デヴィッドに絶対的な服従を求めて威圧的な態度をとるようになります…。
 それからかなり後、プロメテウス号が行方不明になってから10年後の2104年。ウェイランド社の新型植民船コヴェナント号が、惑星オリガエ6を目指して宇宙を進んでいました。ブランソン船長(ジェームズ・フランコ)率いるこの船は、15人のクルーと、入植者2000人、人間の胚胎1140個を乗せた人類初の大規模植民を目指しています。クルーと入植者は冬眠状態で7年以上の長い航海を過ごし、その間は疲れを知らぬ人工知能「マザー」と、新型のアンドロイド、ウォルター(ファスベンダーの2役)が船を管理しています。しかし、予期せぬトラブルで船が損傷し、クルーが冬眠から強制的に蘇生される中、不幸な事故でブランソン船長は亡くなってしまいます。船長の妻で、惑星改造の専門家ダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)は半狂乱となりますが、船長に昇格した副長オラム(ビリー・クラダップ)は部下に冷徹な態度をとり、乗組員の間に不協和音が生じます。
 そんな中、これまで探査されたことのない星域から謎の信号が届きます。それはどうも誰かの歌声のようで、しかも、よく知られたジョン・デンバーの名曲「カントリー・ロードTake Me Home, Country Roads(故郷に帰りたい)」の一節のように聞こえるのです。調べると、その発信地の星は、海と陸地のある地球型惑星で、オリガエ6より植民に適しており、しかも距離的にずっと近いことが分かります。船長オラムは急きょ、この星に進路を変えることを決断しますが、ダニエルズは突然の方針変更を無謀な冒険として反対します。しかし決定は覆らず、コヴェナント号はその惑星に向かいます。
 地上に降り立った一行は、その星に豊かな植物が生い茂っている反面、鳥も虫もその他の動物も全くいないことに気付きます。さらに不思議なことに、地球の麦が繁殖しており、一体、誰がこれを植えたのか、疑問は尽きません。やがて彼らは、異星人の宇宙船の廃墟らしきものを見つけ、10年前に行方不明となったプロメテウス号のエリザベス・ショウ博士(ラパス)が身に付けていたものを発見。さらに、ホログラム映像でエリザベスらしき人物が「カントリー・ロード」を歌う情景を見て、これが発信源であることを確認します。
 しかし、この星の恐ろしさはここから徐々に明らかになっていきます。黒い粉を吸い込んだ隊員が不調を訴え、その身体を破ってエイリアンが出現。混乱の中、死傷者が続出して地上着陸船も破壊されてしまいます。妻のカリン(カルメン・イジョゴ)が死んだことで落胆し、指揮官としての自信を失うオラムをダニエルズは励ましますが、エイリアンに包囲されて探査隊は全滅の危機に瀕します。
 そこで、思いがけず一発の信号弾が発射されて、驚いたエイリアンは退散していきます。一行を救ったのは、プロメテウス号のクルーだったアンドロイド、デヴィッドでした…。

 ということで、エイリアンの星に足を踏み入れて恐怖に陥る、というパターンはまさに第一作「エイリアン」の再現で、この後、話を引っ張るのが、女性主人公ダニエルズである点も、非常によく似ています。
 大変、よくできた映画で、シリーズ集大成として恥じない出来栄えである、ということを先に記しておきつつ、率直な感想も述べてみます。
 どうも、あの79年の一作目の衝撃度とどうしても比較して見てしまうのですが、私たちはエイリアンというあの怪物を、今やよく知り過ぎてしまっているのですね。一作目で味わった、得体の知れなさが、もうここにはないのです。これは仕方がありません。人体に寄生して腹を食い破る誕生の仕方、ヨダレを垂らす特徴的な二重構造の口、細長い頭、悪魔のような尻尾、強い酸性の体液…、何しろ40年も愛されてきたキャラクターですので、今や、ゴジラとかガメラのような懐かしのモンスターなのです。どうしても「ああ、懐かしいな」と思ってしまう。それで、どうしても一作目のときの衝撃は蘇ってこない。ちょっとそういうもどかしい感想は否めないものがありました。本作を初めてのエイリアン映画として見る若い世代の方なら、全く違った感想になるのでしょうが。
 一作目から一貫して描かれる人造人間への親愛と不信感というテーマ。人間そっくりだが人間でない、という存在は、「ブレードランナー」なども制作したスコット監督がこだわりを持つテーマなのですが、一作目のアッシュ(イアン・ホルム)は、非常に人間らしく振る舞い、途中までロボットであることが全く分かりません。それがまた最後に頭部だけになって笑う不気味さを増幅させました。しかし本作に出てくる2体(デヴィッドとウォルター)は、初めからアンドロイドであることが分かっている。テーマとしては深化しているのですが、意外性はそこにはないわけです。このへんも一作目との大きな相違点ですね。
 なにかそういった要素もあって、残酷シーンは散々見せられながら、意外にも淡々とした、落ち着いた一作のように感じられたのは、私の世代的なものなのでしょうか。今時は残酷な映画も、ものすごい映像の刺激的な映画も次から次に作られていることもあり、そういう点では案外に、本シリーズの売り物だったショックがありませんでした。また、「エイリアン」第一作に続く前日譚、と言いながら、エンドシーンからそのまま、20年後のノストロモ号に直接つながるような話でもなく、これはさらに続編が作られるのでしょうか。もしこの作品で「完結」というと、ちょっと物足りない感じも受けます。
 「ファンタスティック・ビースト」でヒロインを演じたウォーターストンの、芯は強いのだけれど、どこか哀愁漂うヒロイン像は、リプリーのような豪快なヒロインとは異なる新魅な力を感じます。それから、同じく「ファンタスティック…」でアメリカ魔法議会の議長を演じていたカルメン・イジョゴが出ていたのも興味深いです。なんといっても本作の中心人物はアンドロイド役のファスベンダーで、難しい2役の撮影を見事にこなしています。
 早い段階で退場してしまうジェームズ・フランコはカメオ出演扱いですが、意外に出番は多く、一方、前作のヒロイン、ノオミ・ラパス演じるエリザベスは、展開上は重要な人物ですが、シーンとしては、ほとんど出番なし。私は前作でのラパスの熱演ぶりに、彼女が「新シリーズのリプリー」なのか、と注目していたので、この点はちょっと残念です。
 近年も意欲的に新作を発表しているスコット監督。もう一本、本作とノストロモ号をつなぐ作品でシリーズを完結してくれないだろうか、と私は密かに期待しております。

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2017年9月14日 (木)

【映画評 感想】ダンケルク

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 クリストファー・ノーラン監督の話題の映画「ダンケルク」
DUNKIRKを見ました。さすがに鬼才の作品、戦争映画というジャンルに新たな可能性を拓いた傑作が登場しました。

 この作品は、19405月、第二次大戦の初期を舞台にしております。フランス・ダンケルクの海岸に取り残された英仏軍の兵士40万人。ドイツ軍が迫る中、彼らがいかに英国に生還したか…「史上最大の撤退作戦」が描き出されます。これまで、このダンケルクの戦いをテーマとした作品には1958年の「激戦ダンケルク」や、1964年の「ダンケルク」などがあります。後者は主演がジャン=ポール・ベルモンドでした。1969年の「空軍大戦略」も冒頭部分でダンケルクの撤退から話を受けて、その後の英独航空戦が描かれました。2007年の「つぐない」(キーラ・ナイトレイ主演)でも登場しました。しかし、この戦いを真正面からとらえた新作映画が、21世紀になって登場したのは、それ自体が驚きでした。

通常の戦争映画なら、陸・海・空の戦いを立体的に、時間軸の流れに沿って配置して描くものでしょう。しかしノーラン監督は、非常に思い切った手法を使います。地上戦と、海の戦いと、そして飛行機による空中戦ではどうしてもスピード感が違います。ノーラン監督は、この三つの様相を違う時間軸に置いて、地上戦は1週間、海の戦いは1日、空戦は1時間の出来事として描き出します。しかし地上での1週間と、時速500キロで移動する空中での1時間は確かに同じ濃度で、息詰まるような死闘が描かれるのです。そして巧妙な脚本に導かれて、地上の兵士の物語と、海を渡り兵士たちを救出に向かった民間船の船長の物語、そして英国空軍のパイロットの物語が、映画の終盤で一点に交錯していく。素晴らしい描き方です。こういう手があったか、という感じです。今後、この作品はいろいろな後続の映画に影響を与えそうに思います。

 さらに、本作で大きな特徴。それは「敵がほとんど登場しない」ということです。本作は戦争の初期の史実を基にしているので、イギリス軍、フランス軍と、ドイツ軍が戦っています。真珠湾攻撃は翌年末のずっと先のことですので、当然、日本もアメリカも参戦していない時期です。よって、英軍兵士たちを中心に描く本作で「敵」といえばドイツ軍なのですが、これが奇妙なほどにはっきり描かれない。いいえ、恐ろしい強敵の存在はこれでもか、というほどに暗示されています。しかし、個人個人としての「ドイツ兵」はほとんど出てきません。最後のシーンになって、不時着した英国のパイロットを捕えに来るドイツ兵の姿がほんの申し訳に映し出され、その特徴的なヘルメットからドイツ兵だな、と分かるのですが、そこでも故意にぼやけた映し方で、ドイツ兵の姿がはっきり登場しない。ドイツ軍の戦闘機や爆撃機、そしてどこからともなく飛来する銃弾、砲弾、さらに魚雷。こういう形で敵が描かれる。もちろんこれらは故意に採用されている手法です。本作は、制限時間が迫る中、絶体絶命の密室的な環境から脱出を図るタイプのスリラー映画(たとえば近年で言えばメイズ・ランナー)に驚くほど似ており、ノーラン監督も「いわゆる戦争映画ではない」と明言しています。つまり、本当の敵はむしろ「時間」であり、ドイツ軍は迷宮に配置されたトラップのような存在として示されている。これがしかし、非常に効果的なのは間違いありません。本作に影響を与えた先行作品の中に「エイリアン」が挙げられているのもよく理解できるところです。ドイツ兵は、どこからともなく襲いかかる恐怖のエイリアンのような存在として描かれているわけです。

 先ほども書いたように、ダンケルクの戦いは1940年の526日から64日にかけて行われたもので、まだ日本もアメリカも参戦していない時期の戦いです。当事国である英国やフランス、ドイツではよく知られていますが、英国人であるノーラン監督が製作会社である米ワーナー社に企画を売り込んだときにも「ダンケルクって何? よく知らないんだけど」という反応だったそうです。もちろん日本ではもっと知られていないでしょう。

 しかし、第二次大戦の流れを大きく変えたのが、このダンケルクの戦いです。破竹の勢いで進撃するナチス・ドイツ軍が瞬く間に全欧州を席巻し、このまま英国まで攻め込むのか、というところ、この戦いの結果、英仏軍の兵士35万人がフランスからの脱出に成功したことで、英国本土の守備は固められ、さらにちょうど4年後の194466日、ノルマンディーへの連合軍の上陸作戦につながっていくわけです。つまり、この「史上最大の撤退」ダンケルクが、4年後の「史上最大の上陸作戦」の布石となった。非常に重要な歴史の転換点だったのです。訓練され実戦を経験した兵士35万人、というのがどれだけ貴重で意味があるかと言えば、たとえば現在の日本の陸上自衛隊の規模が15万人であることを考えても理解できます。今の陸自隊員の倍ほどもの人数の兵士が生還できた、というのは大変な意味があったわけです。

 この映画の前提として、なぜか524日にドイツの地上軍が「止まった」という事実があり、これは第二次大戦の戦史の中でも大きな謎とされています。ここでドイツ軍が止まらなければ、40万人の全員が死ぬか、捕虜となったことでしょう。ドイツの装甲師団もここで一息入れる必要があった、というのが最大の理由でしょうが、ドイツ空軍の最高司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が大言壮語し、空軍の力だけで敵を撃滅する、と高言したのも要因だったとされます。それで、本作でもドイツ兵がほとんど出てこない代わりに、ドイツ空軍機が多数、登場して執拗に攻撃してきます。

 実は本作を見た後、私にとって最も印象的だったのは、映像もさることながら「音」でした。ものすごい音響です。ドイツ軍の銃撃の重い音。ギャング映画などでの軽々しい音とは違います。耳に刺さるようなモーゼル小銃やMG34の銃声。それから、作中でも語られますが、英軍戦闘機スピットファイアのロールスロイス社製マーリン・エンジンの音と、ドイツ軍のメッサーシュミットBf109戦闘機のダイムラーベンツ・エンジンの音の相違、英軍戦闘機の7・7ミリ機銃の発射音と、ドイツ軍のハインケルHe111爆撃機が積んでいる20ミリ機関砲の重々しい音の違い…など、とにかく音が生々しいのです。

何よりすさまじいのが、ドイツ軍のユンカースJu87急降下爆撃機「スツーカ」が攻撃時に鳴らす「キーン」というサイレンの音。あのキューン、という音は連合軍の兵士を恐怖させ、トラウマになった者も多いと聞きますが、なるほど、この映画で聞くと、いかに恐ろしい攻撃であったかが体感できます。

 そしてこれは、音の再現のリアルさにもつながる話ですが、本作の撮影のために、実物の今でも飛行可能なスピットファイア3機、それから戦後もスペイン空軍で使用されているメッサーシュミット系の後継機(エンジンの形状が異なりますが、遠目では戦時中のBf109にそっくり)もそろえて、実機を飛ばして撮影しています。さらに大戦当時の民間船(その中には、本当に80年近く前のダンケルクの撤退に参加した船もあったそうです)や病院船、掃海艇、さらにフランス海軍の記念艦として保存されていた戦時中の本物の駆逐艦まで借り出されて、撮影に参加しています。「どうやってあんなリアルな船を撮影したんだろう、セットにしてはすごすぎるし、CGにしても生々しすぎるし…」と驚嘆したのですが、すべて実物で再現しているのですね、それはすごいはずです。

 何よりすごいのが、撮影はほとんど、実際にダンケルクの海岸で行い、エキストラもほとんどがダンケルクの市民だそうです。実際に史実があった場所、というのは当然、出演者たちに大きな影響を与えたそうで、それがこの作品のなんとも底知れない迫真力を生んでいるのは間違いありません。

 本当にクリストファー・ノーラン監督、恐るべし、です。すごい監督です。

 

 19405月末。突然、ドイツ軍が進撃を停止しました。英国兵士トミー(フィン・ホワイトヘッド)は自分の部隊が全滅し、命からがらダンケルクの海岸に到達。そこには40万人もの敗残兵がひしめいており、英国への撤退は遅々として進まず、トミーを失望させます。輸送指揮官のボルトン海軍中佐(ケネス・ブラナー)は、陸軍の撤退指揮官ウィナント大佐(ジェイムズ・ダーシー)と協議し、ドイツ軍が再び動き出す前に、少しでも多くの兵士を生還させる決意を固めますが、状況は絶望的でした。

トミーは海岸で、死体を埋めていた兵士ギブソン(アナイリン・バーナード)と出会いますが、彼はなぜか一言もしゃべりません。負傷兵が優先的に脱出できることを知ったトミーとギブソンは、担架を運びながらなんとか病院船にたどり着きますが、船は沈んでしまいます。さらにその船から逃れた兵士アレックス(ハリー・スタイルズ)を助けたトミーたちは、アレックスの部隊に紛れ込んで別の掃海艇に乗ることに成功。これでダンケルクから逃げ出せた、と思ったのも束の間、またもドイツ潜水艦の魚雷が襲ってきて、船は沈没。3人はダンケルクの海岸に戻ることになりますが…。

 ダンケルクで40万人もの兵士が取り残され、軍艦だけではとても輸送できないため、民間船が海軍に徴用されることになりました。ムーンストーン号のドーソン船長(マーク・ライランス)も、息子ピーター(トム・グリン=カーニー)、その友人のジョージ(バリー・コーガン)と共に船出します。途中、沈没寸前の船から一人の英国兵士(キリアン・マーフィー)を助け出しますが、彼は名前も名乗らず、船がダンケルクに向かうと知ると激昂して「英国へ引き返せ」と要求します。そんな中、ドイツ軍爆撃機が飛来し、船に危険が迫ります…。

 ダンケルクの撤退作戦を援護するべく、スピットファイアの3機編隊が英国の基地を出撃しました。しかし緒戦で隊長機が撃墜され、3番機のコリンズ(ジャック・ロウデン)もメッサーシュミットとの交戦で海に着水します。一人残されたファリア(トム・ハーディー)は燃料計が敵機の銃弾で破壊され、あとどれだけ飛べるのか分からないまま、英国の船団に襲いかかるハインケル爆撃機に向かっていきますが…。

 

 ホワイトヘッドとグリン=カーニーは、演劇歴はあるものの、ほぼ無名の新人です。一方アレックス役のスタイルズは、世界的な人気アイドルグループ「ワン・ダイレクション」のメンバーです。しかしノーラン監督は、スタイルズも選考の中で非常に良かったから起用したまでで、話題性での抜擢ではないといいます。ケネス・ブラナーとマーク・ライランスがさすがの存在感です。二代目マッドマックスのトム・ハーディーも、ほとんど表情の演技に終始する難しいパイロット役を好演しています。

 それから注目なのは、スピットファイア編隊の隊長の「声」で出演しているのが、あの名優マイケル・ケインです。ノンクレジットなのですが、特徴のある声ですぐわかります。1969年の「空軍大戦略」において、キャンフィールド少佐役でスピットファイア部隊を率いた彼が、ここで声だけではありますが英国空軍に「復帰」したわけです。こういう旧作へのオマージュも嬉しい配慮ですね。

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2017年9月 3日 (日)

【映画評 感想】関ヶ原

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原田眞人監督の映画「関ヶ原」を見ました。原作は司馬遼太郎が
1964年から3年がかりで書いた壮大なスケールの大長編小説。映画化は無理、と言われ続けてきた題材です。何しろ登場人物がやたらに多い。史実を見ても、徳川家康が豊臣秀吉の亡き後、何年も掛けて諸大名を味方に付け力を蓄え、反対派の石田三成に挙兵をさせて関ヶ原の戦いでたたきつぶす、そして天下の覇権を握り幕府を開く・・・考えただけで面倒くさそうな話です。たくさんの大名や周辺の女性、庶民なども含め、とてつもない群像劇にならざるを得ません。

あくまで小説であり、エンターテイメントですので、その後の研究で史実としては疑問符が付くような逸話も多いのですが、別にドキュメンタリーではないので、そういう点でいろいろ文句を付けるのは野暮と私は思います。この原作を下敷きにする映像作品も、そういう意味で、あくまでも司馬作品の映像化であることを前提とするわけですが、それにしても巨大な作品なので、一筋縄ではいきません。

しかし今まで、一度だけこの映像化に成功した例がありました。おそらく現在、50歳代以上の方ならご記憶にあると思いますが、1981年にTBSが制作した超大型時代劇「関ヶ原」です。今でも時折、TBS系の放送局で再放送することもあり、最近になってブルーレイ版で再販されましたので、若い世代でもご存じの方もいらっしゃるでしょう。この作品が高い評価を受けたのは、まずテレビの特性として長尺番組でも放送出来る、ということで、このドラマは3夜に分けて、なんと6時間半ドラマとして放映されたわけです。時間がたっぷり取れれば、この壮大な物語も丁寧に描くことが出来ます。

それから、すごかったのが出演者です。今もってテレビ界では「奇跡のキャスティング」といわれているそうです。ざっと挙げただけでも徳川家康=森繁久弥、石田三成=加藤剛、島左近=三船敏郎、大谷刑部=高橋幸治、本多正信=三國連太郎、鳥居元忠=芦田伸介、福島正則=丹波哲郎、加藤清正=藤岡弘、細川忠興=竹脇無我、堀尾忠氏=角野卓造、山内一豊=千秋実、毛利輝元=金田龍之介、宇喜多秀家=三浦友和、直江兼続=細川俊之、小早川秀秋=国広富之、島津義弘=大友柳太朗、前田利家=辰巳柳太郎、豊臣秀吉=宇野重吉。女優陣では北政所=杉村春子、淀殿=三田佳子、細川ガラシャ=栗原小巻、初芽=松坂慶子。さらにチョイ役にもかかわらず笠智衆、藤原鎌足、木の実ナナなども出ており、ナレーションは石坂浩二。もう当時の映画界の大御所級、主演級スターが勢ぞろいしています。音楽は山本直純で、テーマ曲を演奏したのが、当時、水曜ロードショーのテーマ曲で有名だった世界的トランペッターのニニ・ロッソ。これがまた名曲で名演奏でした。

はっきり言って、これを見てしまうと「これ以上の映像化なんて無理でしょう」と思ってしまいます。私もそうでした。しかし、映画化となると、いろいろ話が違ってきます。「ロード・オブ・ザ・リング」みたいに初めから3部作6時間、という映画化もできなくはないですが、それはビジネスとしてあまりにリスクが高い。短くカットするとして、編集がものすごく大変になりそうです。

それから、TBSドラマの最大の弱点は、戦闘シーンの迫力がない、ということでした。この点では、本格的な「映画の絵」で見てみたい、と思った人も多いのです。

やはりテレビ画面の制約のせいもあったのでしょう、実際にはそのへんの映画以上の大人数で合戦シーンを撮ったそうですが、なんか物足りなかったのは事実なのです。ただ、あの合戦の実相を考えると、両軍合わせて20万の大軍と言っても、実態は各大名の軍の寄せ集めであり、統一した指揮などとれず、まともな戦術があったとも思えません。あちこちに点在した部隊が適当に遭遇戦を展開し、実際に戦闘に参加したのは半数にも満たない、ということだったようで、実はあの日、合戦場にいたとしても、ろくに戦闘もなく、なんだかよく分からないで終わった人も少なくない。そういう、この合戦の、戦闘としてのいい加減さを描く意味では、これもまた正しい映像的な描写だったのかもしれない。

そもそも関ヶ原の戦いというのは、実際には戦闘の前に、政治戦や外交戦のレベルで決着が付いていた。意外に戦闘そのものはつまらないものだった。司馬遼太郎のいちばん言いたいことはそういうことだったとも思われるのです。

ではあるのですが、これだけ進化している映像技術の世界で、大スクリーンで戦国合戦の本格再現をする監督はいないのか、というのは確かにあったわけです。黒澤明監督の亡き後、大スケールの戦国映画を作る監督はめっきりいなくなりました。ここで果敢にチャレンジした原田眞人監督の心意気はすごいと思います。原田氏はかつて、俳優としてトム・クルーズの「ラスト・サムライ」に出たことがあり、ハリウッドがこれだけやるのなら、日本人が合戦シーンを描かなければ、と強く思ったそうです。

今作を見ますと、私にはTBS版で描かれていた部分は外し、描けなかった部分を描く、という方針があったように思われてなりません。たとえば、TBS版で一番の見所だったのは、いかにも策謀家という感じの森繁さんの家康が、細川俊之さんの直江兼続による挑発「直江状」に激怒したふりをして豊臣家恩顧の諸大名を率い、会津の上杉家征伐に向かう。その前には、伏見城に置いていく芦田伸介さんが扮する鳥居元忠と涙の別れをする。というのも、わざと伏見城を無防備にして三成の挙兵を誘発するための策なので、元忠には城を枕に討ち死にしてもらう必要があるからですね。死んでくれ、という意味です。そして、栃木県の小山まで来たところで三成の挙兵を聞く、いわゆる「小山評定」のシーン。実は真の決戦はここであった、という名場面です。家康はあくまで上杉討伐軍の司令官であって、ついてきている諸侯は、三成を相手とした合戦で家康に従う義務はない。よって、この段階で諸大名が味方しなければ、家康はもうおしまいというわけです。ここのシーンで、丹波哲郎さんの福島正則が、あの押しの強い大声で「わしゃあ、一途に徳川殿にお味方申す!」と叫ぶと、たちまち会議の流れは決まる。そこで、直前に堀尾忠氏から聞いたゴマすりのヒントをちゃっかりいただいた千秋実さんの山内一豊が「拙者は居城の掛川城をそっくり内府に献上いたします」と言い、家康を感動させるシーンが続き、石坂浩二さんの涼しいナレーションで「この一言で、山内一豊は合戦の後、土佐一国を与えられる大出世をした」とかぶさる。まことに見事な展開です。

ところが、上記のようなおいしいシーンを、今回の映画は全く使っていない(!)。それはもう、故意に外しているとしか思えないわけであります。

今回の映画では、とにかく出演者がものすごいスピードでセリフをしゃべりまくります。ほぼ聞き取り不可能です。これはリアリティー追求の立場から意図的にそういう演出をしているそうです。そして、ほかにもたくさんあるドラマ的においしいシーン、三成が佐和山城に蟄居した後、ハンセン病を患う大谷刑部が「昔、茶会があった。わしの飲んだ茶碗を皆、嫌うた。口を付けず飲んだふりをしているのがはっきりわかった。しかし三成だけは違った…。引き返せ、引き返すのだ! お互い目の見えぬ者同士のよしみじゃ、この命、くれてやる。受け取れ」と叫ぶ感動的な場面も、細川忠興の妻ガラシャがキリシタンゆえに自殺できず、家老の手にかかって死ぬシーンも、家康の使者・村越茂助(TBS版では藤木悠)が清州城で福島正則らを奮起させる名シーンも全部カット。だから大筋が分からない人には、何が何だかよく分からないかもしれません。しかしおそらく、そのへんを制作サイドは恐れていない。また、キャストとして役所広司さん以外はものすごい大物を起用していない。むしろ、実力はあるけれど、あまり色が付いていない役者さんを配置しているようです。このへん、TBSのものとは全く違う「関ヶ原」を作らなければならない、という方針を感じます。

原作小説から見てかなり大胆に設定が変わっているところもあります。原作では藤堂高虎が三成のもとに放った女性間者であった架空の人物・初芽。本作では、秀吉の命によって一族皆殺しになった関白・秀次の側室の護衛をする忍者として登場します。裏切り者として有名な小早川秀秋の描き方も、最近の学説などの影響もあると思いますが、新しいものになっていますし、家康を支持していたとされる北政所が三成の娘を養女として保護していた事実(これは史実で、この娘は後に弘前藩津軽家に嫁いでいきます)など、新しい要素も盛り込まれます。福島正則と黒田長政が水牛兜と一の谷形兜を交換する、などというマニアックな逸話が登場したりします。三成が側近の島左近をいかに口説き落としたか、という原作にないシーンも出てきます。登場する女性たちもかなりアレンジされていて、特に阿茶局なんてTBSでは京塚昌子さんがゆったりと演じていたのですが、今回は完全に忍びの者、家康の護衛役として登場します。

とにかく映像はすごい。スピード感がすごい。戦闘シーンがリアル。この点では今回の映画化は確かに意味があった、と思われます。長槍で突き合うのではなく、実際は槍を上から振って、相手の頭めがけてたたきあう、たたいて、たたいて、ねじ伏せるのが戦国の合戦の実相だと言います。そして接近したら殴り合い、小刀で首を取り合う。要するにルールのない喧嘩に近い。整然として指揮官の命令一下、部隊が連携して戦う近代軍とは全く異なる、雑然として荒っぽい戦国の戦がリアルに活写されているのが本作です。

姫路城や東本願寺など現存する桃山時代の遺構で撮影されたシーンも実に豪華です。セットではどうしても出ない重厚感がしっかり出ています。また、原作者の司馬遼太郎が子供時代を回想するシーンで、三成が秀吉と初めて出会った滋賀県の天寧寺が出てきます。TBS版でも本作でも描かれた、三成が鷹狩中の秀吉に茶を献じる有名な逸話の舞台ですが、注目されたのが、司馬の子供時代という場面。ここで、昭五式の軍服を着た日本陸軍の将校が登場するのです。あんなワンシーンでもきっちり時代考証した人物を出す、行き届いた映画作りの姿勢にはいたく感嘆しました。

 

太閤・豊臣秀吉(滝藤賢一)は、愛妾の淀殿が実子の秀頼を生むと、甥の関白秀次が邪魔になり、1595年にこれを切腹させます。さらに、その一族がすべて処刑される京都・三条河原の刑場で、主人を守れず絶望的な戦いをする忍びの者・初芽(有村架純)を目にした秀吉の側近、石田三成(岡田准一)は、彼女を自分の忍びとして取り立てます。さらに、処刑を苦々しい表情で見ていた筒井家の元侍大将で高名な浪人・島左近(平岳大)を見かけた三成は、これを口説き落として自分の右腕とします。秀吉は間もなく世を去り、天下は再び乱れる。そのとき力を貸してほしいのだ、と。

その頃、豊臣政権で最大の実力者、内大臣・徳川家康(役所)は、自分の扱いに不満を持つ豊臣家の一族、小早川秀秋(東出昌大)に接近し、味方に取り込むと共に、三成を憎むようにし向けます。

1598年、秀吉が逝去すると、家康は大きな影響力を持つ秀吉の妻・北政所(キムラ緑子)に接近し、徐々に秀吉子飼いの大名たちを味方に付けつつ、彼らと三成との間の溝が深まるように画策していきます。

いつしか、三成と惹かれ合うようになっていた初芽は、任務の途中で旧知の伊賀者・赤耳(中嶋しゅう)に襲われて行方不明となり、三成は心を痛めます。

家康に匹敵する実力者、前田利家(西岡徳馬)が目を光らせている間はそれでも天下は平穏でしたが、1599年に利家が亡くなるや、三成を憎む福島正則(音尾琢真)や加藤清正(松角洋平)ら武断派の大名たちが動き始めます。彼らに命を狙われた三成は家康の仲裁を得て奉行職を辞し、佐和山城に蟄居。家康はついに事実上、豊臣家の実権を握ります。しかしこの間に上杉家の家老・直江兼続(松山ケンイチ)と協議した三成は、家康に上杉征伐に向かわせ、その隙に挙兵して、上杉勢と三成の組織した西軍とで家康を挟み撃ちにする計略を練ります。病身の大谷刑部(大場泰正)は、正義の人ではあるが、まっすぐすぎる気性で人望のない三成を見かね、その味方をすることにします。16006月、上杉征伐に家康が出陣すると、総大将に毛利輝元、副将に宇喜多秀家ら大大名を据え、西軍を旗揚げした三成ですが、細川ガラシャの死により諸大名の家族を人質に取る策に失敗。そして一方、三成の挙兵を予期していた家康は、諸侯を味方に付け東軍を編成すると西に向かって進軍します。決戦の地は、関ヶ原。こうして1600915日、日本の未来を左右する戦いが幕を開けますが・・・。

 

なんといっても役所さんの熱演がすごいです。ワンシーン、すごい太鼓腹が出てきて驚かされますが、あれはCG処理だとか。もともと大河ドラマの信長役で有名になった役所さんですが、老年期の家康役が似合う年齢になったのですね。岡田さんは自ら馬を乗りこなし、生真面目な三成の雰囲気がよく出ていますが、どうしても黒田如水官兵衛に見えてしまう(笑)。実際に、映画には登場しないけれど、官兵衛の方は関ヶ原の際に九州で大暴れしており、小説には登場します。秀吉を演じた滝藤さんの尾張なまりがあまりに見事です。本当に愛知県のご出身だとか。晩年の秀吉のイヤ~な感じをよく出していました。

ところで、この7月に、本作中で重要な役「赤耳」を演じた中嶋しゅうさんが舞台で急逝されました。近年、急速に注目が集まっていた役者さんですが、残念です。ぜひ、中嶋さんの名演にも注目していただきたいと思います。

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2017年9月 2日 (土)

【映画評 感想】ワンダーウーマン

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「ワンダーウーマン」
Wonder Womanを見ました。全米では6月に公開し、すでに興行収入800億円を超える大ヒット作品です。とにかく評判がよい本作ですが、コミックものの娯楽作品と侮るなかれ。非常にハードな戦争映画そのものでして、現実にあった壮絶な第1次大戦を舞台にして、そこにたまたまワンダーウーマンという架空の人物が入り込んできた、という史実ファンタジーという見方でいいと思います。よって、いわゆるコミック然とした雰囲気は微塵もないのが素晴らしい。

こういう作品が生まれた理由の一つが、いまハリウッドで最高の女性監督であるパティ・ジェンキンスがメガホンを執ったことにあるのは間違いありません。「モンスター」でシャーリーズ・セロンにアカデミー賞をもたらした同監督は、決して声高にフェミニズム的な主張を盛り込んではいませんが、しかし、まだまだ女性の権利が抑制されていた1910年代の英国(たとえば議会に女性が立ち入ることも、発言することも許されなかった、という描写が出てきます)を舞台に選んだことは、異世界からやってきたワンダーウーマンの個性を際立たせることに成功していて、巧妙です。本来、原作のワンダーウーマンは1941年、第2次大戦下で生まれたスーパーヒロインで、最初に相手にした敵は当然、ナチス・ドイツ軍だったのですが、本作がその前の第1次大戦をテーマとしたのも正解だったと思います。ナチス相手の作品はすでにたくさんあり、あのキャプテン・アメリカとも被ってきます。これが第1次大戦となると、時代背景にしても、コスチュームにしても兵器にしても、観客からすると一種の目新しさがあるのではないでしょうか。

本作は、なかなか第1次大戦映画としてみても秀逸でして、この時代を取り上げた作品としては、古典的な「西部戦線異状なし」とか、近年ですとスピルバーグ作品の「戦火の馬」などいくつかありますが、なかなか最新の映像技術を駆使して同大戦を再現している映画はありません。塹壕戦の悲惨な状況や、戦傷者の痛々しい姿、当時の最新兵器、たとえばドイツ軍のエーリヒ・タウベ戦闘機とか、マクデブルク級以後のクラスの軽巡洋艦、マキシム機関銃などなど、いかにも第1次大戦を思わせるアイテムが大量に登場します。

当時のドイツ軍の軍装もかなり正確で、将校と兵隊の制服の生地のクオリティーの差までしっかり見て取れます。連合軍側のスパイという設定の主人公(クリス・パイン)が敵のドイツ軍に潜入するシーンで、ドイツ軍パイロットの姿のときはエースという設定でプール・ル・メリート勲章をぶら下げて騎兵軍服を着ていたり、普通の軍服を着ているときはいわゆるヴァッフェンロック軍服をまとっていたり、と非常に芸が細かい。将校用のシルムミュッツェ(ツバ付き制帽)は上部にドイツ帝国、下部にプロイセン王国(もしくはその他の領邦国)を示すコカルド(円形章)を付け、下士官兵は同じ仕様だがツバのないミュッツェ(クレッチヒェン)を被っている、などしっかり時代考証しています。

今作の悪役はナチスではないので、それに代わるような人物として、実在のドイツ帝国陸軍・参謀本部次長(首席兵站総監)エーリヒ・ルーデンドルフ大将が登場します。ルーデンドルフの姿は、ちょっと軍服の襟の形状が第1次大戦期のものらしくなく、第2次大戦風なのと、将官用の襟章が第2次大戦期の「元帥用」らしいものを着けているのが減点ポイントですが(笑)なかなか雰囲気が出ています。襟元にプール・ル・メリート勲章と大十字鉄十字勲章、さらに黒鷲勲章の星章と、ホーエンツォレルン王室勲章らしきものの星章を帯びており、常装で礼装用のベルトを締めているのはご愛嬌ですが、実際にそういう例もあるのでまあいいでしょう。

しかしまあ、この映画でのヒンデンブルク元帥(参謀総長)とルーデンドルフ大将の描き方は、ちょっと問題が・・・。歴史に詳しい人、特にドイツ人が見たらどう思うのだろう、とはちょっと思いました。ルーデンドルフといえばやはり知将という印象。この映画に出てくるような粗暴な体力系武闘派というのとは違う感じがします。気に入らない部下を射殺するシーンまでありましたが、マフィアや蛮族じゃないのだから、ドイツ軍でそんな人殺しをしたら、いかに将軍だろうが参謀次長だろうが、即座に憲兵に逮捕されるのではないでしょうか。それに、2人とも戦後まで元気で活躍してくれないとその後のナチス政権が・・・おっと、このへんはネタバレなのでもう言いませんが、まあ基本的には娯楽作品の悪役ですからしょうがないのでしょうね。もっとも「史実のルーデンドルフ将軍」だとはそもそも断言していないので、パラレルワールドの同将軍ということなのでしょう。ただ、全体的に、やはりナチス・ドイツならともかく、ドイツ帝国軍をあんなに悪の軍団のように描いている点には、違和感があったのは事実です。

そういう点を除けば、第1次大戦映画としてシリアス作品から娯楽作品まで含めて最高レベルの映像表現になっていると思います。ヒーロー・アクションに全く興味がない方でも、戦史や軍装に興味がある方は必見の作品となっていると感じました。

 

時は現代。パリのルーブル美術館に「ウェイン財団」の車が到着します。財団の使者は、ここにいる美女ダイアナ(ガル・ガドット)に一枚の古い写真を渡します。それはバッドマンことブルース・ウェインから贈られた物で、第1次大戦中に撮影された乾板写真でした。そこに写っている若き日の自分と、すでに亡き仲間たちの姿を見て、ダイアナは物思いにふけっていきます・・・。

話は超古代に遡ります。世界を支配した神々の王ゼウスは、自分に仕える人間たちを創造します。人間へのゼウスの寵愛が厚いことを妬んだゼウスの息子、軍神アレスは人類に悪を吹き込み、堕落させます。それを見たゼウスは愛と勇気に満ちた女性だけの種族アマゾネスを創造し、戦乱に明け暮れる人類を救います。怒ったアレスは神々を戦争に巻き込み、アマゾン族を奴隷としてしまいます。やがて、アマゾンの女王ヒッポリタ(コニー・ニールセン)は妹のアンティオペ将軍(ロビン・ライト)と共に反乱軍を率いてアマゾンと人類を解放、アレスはゼウスに倒されます。しかしゼウスもアレスとの闘いで力尽き、地中海の人知れぬ海域にゼミッシラ島を作ると、アマゾンたちをそこに住まわせて世を去ります。それ以来、アマゾンたちは人類の歴史とかかわることなく、何千年もセミッシラ島に閉じこもってきました。ヒッポリタの手元には、ゼウスから授かった島でたった一人の子供ダイアナが残されました。

ヒッポリタはかつての戦乱の記憶を憎み、ダイアナが戦士となることを禁じていましたが、ダイアナは戦闘に興味を抱き、叔母であるアンティオペ将軍に密かに武術を習います。初めはそれに反対したヒッポリタですが、軍神アレスの復活を予期して、ダイアナを強い戦士に育てる方針に転じます。まもなくダイアナは、アンティオペもしのぐアマゾネス第一の最強戦士に成長します。

そんなある日、一機の戦闘機がセミッシラ島の沿海に墜落します。溺れかけていた操縦士を助けたダイアナは、初めて見る男性に動揺します。さらに、彼を追ってドイツ軍の巡洋艦が出現し、島の秘密を破ってドイツ兵が大挙、上陸してきます。いかに精強とはいえ、初めて見る銃や大砲などの近代兵器にアマゾン軍は苦戦し、激しい戦闘の中でアマゾン戦士もたくさん命を落としました。その中に叔母であり恩師でもあるアンティオペもいました。ダイアナは最初にやってきたパイロット、アメリカ陸軍航空隊出身で、現在は英国情報部で働く諜報員スティーヴ・トレバー大尉(クリス・パイン)から、外の世界では世界大戦が勃発していることを知り、軍神アレスが復活したことを確信します。スティーヴはドイツ軍のルーデンドルフ総監(ダニー・ヒューストン)が推進している最強の毒ガス開発計画を阻止するためにトルコの研究施設に忍び込み、天才女性科学者ドクター・マル(エレナ・アナヤ)の開発ノートを奪い取って飛行機で逃げる途中だったと言います。ダイアナは、自らが島を出てアレスを倒し、世界を平和に導こうと決意します。

初めは反対したヒッポリタも、ダイアナが外の世界に旅立つことを受け入れ、見送ってくれますが、「人間の世界はお前が救うに値しない」と言います。その言葉の意味はダイアナには分かりませんでしたが、深く心に刻まれました。

スティーヴの手引きでロンドンにやってきたダイアナですが、アマゾンの島で大らかに育った彼女に、女性差別の厳しい時代の英国は驚くべき事ばかり。議会に乗り込んでも女性に発言権はなく、軍の司令官たちも無責任で、あきれることばかりでした。しかし議会の大立者でスティーヴの上司であるサー・パトリック・モーガン(デヴィッド・シューリス)は、密かにスティーヴとダイアナを援助することにし、ベルギー戦線からドイツ軍の司令部に潜入し、ルーデンドルフとマル博士の計画を止める作戦を承認します。

スティーヴがこの作戦のために集めた面々は、モロッコ出身の詐欺師サミーア(サイード・クグマウイ)、飲んだくれのスコットランド出身の狙撃兵チャーリー(ユエン・ブレムナー)、アメリカ先住民で、故郷を捨てて欧州で武器取引をしている酋長(ユージン・ブレイブロック)と一癖ある者ばかり。最前線に達したダイアナは、そこで機関銃と大砲が血しぶきの嵐を巻き起こす凄惨な塹壕戦の現実を目にします。ルーデンドルフこそがアレス本人だと確信するダイアナと、あくまでも彼の毒ガス計画阻止を目的とするスティーヴの思惑は必ずしも一致しませんが、はたして彼らはこの大戦争を終結に導くことが出来るのでしょうか。

 

ということで、ダイアナ役のガル・ガドットはミス・イスラエルになったこともある極め付きの美人。まさにワンダーウーマンになるべくしてなった人で本当に魅力的です。そして本作では、スティーヴ役のクリス・パインがいい。「スター・トレック」シリーズのカーク船長でおなじみの彼ですが、今作は新たな代表作となったのではないでしょうか。激闘の中でダイアナに惹かれていく微妙に揺れる「男心」を見事に演じきっています。その他の配役も的確で、非常にいいですね。スティーヴの秘書エッタ役のルーシー・デイヴィスもいい味を出しています。2時間半とこの種の作品としては長尺ですが、いささかの緩みもなく、最後まで見事に引っ張る脚本も素晴らしいと思います。

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2017年8月11日 (金)

【映画評 感想】トランスフォーマー 最後の騎士王

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「トランスフォーマー
/最後の騎士王」Transformers: The Last Knightを見ました。製作総指揮のスティーブン・スピルバーグが本作の脚本を「シリーズで最高!」と激賞したそうですが、確かに前作から脚本家を代え、スピード感と新鮮さのある作品になったようです。

 今作は特に、「歴史」というものが大きなバックボーンにある作品です。人類の歴史とあのトランスフォーマーの歴史が関わり合ってきた、というシリーズの核心部分の謎解きがなされるわけです。その舞台として歴史の国、英国を舞台としたのが本作の大きな特徴です。

 

 5世紀のイングランド。ブリトン人の君主アーサー王はサクソン人との戦いに苦戦していました。頼みの綱は大魔術師マーリン(スタンリー・トウッチ)。しかしマーリンの実態は大酒のみのペテン師にすぎませんでした。マーリンはサイバトロン星から飛来したトランスフォーマーの騎士団に頼み込み、苦境を救ってくれるように依頼。騎士たちはマーリンに、エネルギーを蓄えトランスフォーマーに指示を与えることができる杖を授けます。この杖の力でアーサー王は勝利し、マーリンの杖は歴史の彼方で伝説と化していきました…。

 そして現代。正義のトランスフォーマー、オートボットの指導者オプティマス・プライムは独り宇宙に旅立ち、前作で自分たちに刺客を放った「創造主」の真意を確かめに行きます。

 残されたバンブルビーたちですが、前作以後、関係が悪化した人類の側ではトランスフォーマーを根絶やしにする組織TRFが結成され、オートボットたちは追い込まれています。さらに前作で復活した悪のトランスフォーマー、ディセプティコンの指導者メガトロンも行動を再開し、状況は悪化するばかり。

 シカゴでの激戦の廃墟で、偶発的にTRFとオートボットとの戦いが勃発し、これに巻き込まれた少女イザベラ(イザベラ・モナー)を助け出したケイド(マーク・ウォルバーグ)は、偶然、サイバトロンの騎士から伝説の秘宝、タリスマンを授けられます。

 その頃、オプティマスはサイバトロン星で、数千万年前に地球の恐竜を絶滅させ、さらにトランスフォーマーを作り出した創造主クインテッサ女王に捕えられ、洗脳を受けていました。そして、女王はオプティマスに、地球人からマーリンの杖を取り戻すよう命じます。マーリンの杖はもともと女王の物でしたが、騎士たちが女王を裏切って奪い、マーリンに与えたものだったのです。この杖を手にすることで、女王は地球からエネルギーを搾り取り、サイバトロン星を復興させると宣言します。

 危機が迫ったことを悟った英国の貴族フォルガン伯爵エドムンド・バートン卿(アンソニー・ホプキンス)は、オックスフォード大学の女性教授ヴィヴィアン(ローラ・ハドック)と、ケイドを呼び寄せます。伯爵は長きにわたりマーリンの杖の秘密を守ってきたウィトウィック騎士団のメンバーであると言います。そして、伝説のタリスマンを手にしたケイドこそは、かつてのアーサー王と同様、トランスフォーマーの友人であり、地球を守るべき「最後の騎士」であり、そしてヴィヴィアンは実は魔術師マーリンの直系の子孫で、あの杖を起動できる唯一の人物だ、というのでしたが…。

 

 というようなことで、実際にはもっと話は盛りだくさんですが、アップテンポの脚本が見事につないで行って、十分に理解できます。このへんのさばき方は見事なものです。

 今作で何しろ面白いのは、歴史の取り上げ方です。冒頭のアーサー王と円卓の騎士の登場シーンは本格的な史劇そのものです。それから、フォルガン伯爵の屋敷には、今でも第一次大戦が続いていると思っていて、当時のマークⅣ型戦車にしか変身できなくなっているトランスフォーマーがいたりします。ケイドをアメリカから英国に運ぶ超距離爆撃機YB-35や、ヴィヴィアンとケイドをマーリンの杖の在り処に導く英国海軍の戦時中の潜水艦アライアンス号なども、実はいずれも戦争中から現代まで、当時の兵器になりきったままのトランスフォーマーだ、という設定です。

 その第二次大戦中には、バンブルビーが連合軍の特殊部隊「悪魔の旅団」(後のグリーンベレーの前身)に所属していたとか、シリーズ3作目までの主人公サム・ウィトウィッキーが実は、アーサー王の円卓の騎士の流れを汲み、マーリンの杖の秘密を守護する秘密結社ウィトウィック騎士団のメンバーの末裔であったとか…まことに興味深い逸話で満載です。アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争、二つの世界大戦など、歴史の要所でトランスフォーマーは暗躍し、人類の歴史に関わってきたという描き方が、非常に効果的です。

 今回、特に秀逸だったのがフォルガン伯爵の執事コグマン。これがトランスフォーマーで、伯爵家に実に700年も仕えている、という設定であるのも面白いところです。また二人のヒロイン、イザベラとヴィヴィアンも魅力的です。短い登場シーンでその人の背景や性格を的確に描いていて、こういう娯楽作品の枠の中で、うまい描き方だと感じます。

 今作では、シリーズ一作目からの出演者であるレノックス大佐(ジョシュ・デュアメル)やシモンズ捜査官(ジョシュ・タトゥーロ)が出ているのも嬉しいところ。

 今後、本作の流れを受けてさらにシリーズはクライマックスに突入していく予感がしますが、この出来栄えなら期待大ですね。

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2017年8月 5日 (土)

【映画評 感想】ザ・マミー/呪われた砂漠の王女

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「ザ・マミー
/呪われた砂漠の王女」The Mummyという映画を見ました。主演はトム・クルーズ、共演にラッセル・クロウ、ソフィア・ブテラと豪華キャストで、古代エジプトのミイラが現代によみがえるストーリーを展開します。

 と聞けば、ああこれは何かミイラもの映画のリメイクなのだろう、とピンとくるわけですが、その通りでして、本作は1932年公開のミイラ映画の元祖「ミイラ再生」The Mummy(主演:ボリス・カーロフ)を下敷きにした作品。1920年代に大センセーションを巻き起こしたツタンカーメンの王墓発掘をイメージして製作されたものでした。そして、これのリメイクとして1999年以後、製作されたのがあのレイチェル・ワイズを有名にした大ヒット・シリーズ「ハムナプトラ」三部作だったわけです。それで今回は、モンスター映画の本家ユニバーサルの新企画「ダーク・ユニバース」シリーズの第一作としてのリメイク、となった次第。よって、同シリーズとして今後も、ハビエル・バルデム主演で「フランケンシュタイン」、さらにジョニー・デップ主演で「透明人間」などを予定している、とのことです。

 しかしそうなってみると、2014年に公開されたルーク・エヴァンス主演の「ドラキュラ ZERO.Dracula Untoldはどうなってしまったのか、というのが気になります。確かあれがユニバーサルの21世紀モンスター・シリーズ第一弾だったのでは? 結局あれは盛り上がらなかったので「なかったこと」にされてしまったのでしょうか。実際、たまたま一作目が当たったので続編に至った、というのと違い、初めからシリーズ物で行く場合の第一作というのは責任重大。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズも、トップバッターの「アイアンマン」が成功したからこそ、今日まで続けることができたわけです。

 そういう意味で、絶対に失敗できない、という意気込みでトム・クルーズを出してきた、ということなのでしょうね。

 

 1127年、ロンドン近郊、オックスフォードの地下墓地にて。密かに埋葬される十字軍騎士の胸元には大きなオレンジ色の宝石「オシリスの石」が輝いています。それは彼らが中東への遠征で掠奪した古代エジプトの魔石なのでした。この秘石は永遠に騎士団の秘密とされるはずでしたが・・・。

 それから時は流れ、現代。地下鉄工事の掘削機が偶然、十字軍の秘密墓地を掘りあてます。ここに重大なものが隠されていると察知したヘンリー・ジキル博士(クロウ)率いる極秘のモンスター対策機関プロディジウムは、工事関係者を墓地から追い出し、接収してしまいます。

 同じころ、イラクの反政府ゲリラが抑えている土地を進むアメリカ軍の偵察兵の姿がありました。ニック・モートン軍曹(クルーズ)とクリス・ヴェイル伍長(ジェイク・ジョンソン)の2人ですが、彼らは軍人とは名ばかりで、行く先々の財宝や文化財を手に入れては売り払うという泥棒そのものの行為を繰り返しています。

 今も、ニックが一夜を共にした女性から盗み出した地図を基に、グリーンウェイ大佐(コートニー・B・ヴァンス)の命令を無視して、財宝があるらしい村に突入し、ゲリラに取り囲まれて絶体絶命のピンチに。無人攻撃機の爆撃でゲリラは逃げ出し、地面に大穴が開きました。穴の奥からは意外なことに、なぜかメソポタミアではなくエジプト文明の遺跡が発見されます。そこにニックから地図を盗まれた考古学者ジェニー(アナベル・ウォーリス)が現れ、遺跡の重要さを力説。グリーンウェイ大佐は緊急に遺跡を調査するように命じます。

 ジェニーとニック、クリスの3人が遺跡の中に入ると、そこは巨大な墓であることが分かります。そして棺の中に眠っているのは、死の神セトと契約を結んで魔道に身を落とし、王位を狙って父親と弟を殺害した罪で、エジプトから遠く離れたこの地に、生きながらミイラとして埋葬されたアマネット王女(ブテラ)であることが分かります。

 大佐は輸送機でアマネットの棺を運び出すことにしますが、クリスは機内で異常な行動をとり始め、大佐を刺殺してしまいます。やむなくニックはクリスを射殺しますが、さらにカラスの群れが輸送機を襲い、ロンドン近郊で墜落することに。ニックはジェニーをパラシュートで脱出させますが、自分は飛行機もろとも地面に激突します。

 しかしどうしたものか、ニックは怪我一つ負わないで助かってしまいます。そこに出現したクリスの亡霊はニックに「お前はアマネットの呪いを受けた。だから死ななかったのだが、お前には死よりも恐ろしい運命が待っている」と告げます。

 同じころ、地上に落ちた棺から蘇ったアマネットは、人から生気を吸い取って力を取り戻していきます。憎悪に満ちた彼女の目標は、生贄としてニックを手に入れ、セト神にささげること。そして、その儀式のために「オシリスの石」を手に入れることでした。アマネットに襲撃されたニックとジェニーは危機一髪のところで、モンスター対策機関プロディジウムに救出されますが、責任者のジキル博士は、実は自分自身も極悪人の二重人格「ハイド氏」を抱えたモンスターなのでした・・・。

 

 というようなことで、なぜかここで「ジキル博士とハイド氏」の設定まで出てきて、ちょっと違和感はあるのですが、さすがにラッセル・クロウの演技力で見せてくれます。彼の着ているスーツが見るからに立派な仕立てなのですが、やはりサヴィル・ローのフルオーダー・スーツだそうですね。

 トム・クルーズはもうお見事。アクションシーンも難なくこなしていますが、本当は55歳ですからね。それで、劇中で「お前は自分が若いと思ってオレをなめているんだろう?」などとハイド役のラッセル・クロウから呼び掛けられるのですが、実はトム・クルーズの方が53歳のクロウより2歳も年上(!)。上官役のコートニー・B・ヴァンスは57歳で、ほとんど同年代。普通、ベテランの鬼軍曹役というならともかく、アウトローで女好き、命知らずな偵察部隊の若手下士官なんてチャラい役柄は、体力以前に雰囲気的に、50代の人は出来ません。もう日頃の鍛錬のなせる技ですね。

 「キングスマン」で一躍、売れっ子になったソフィア・ブテラはさすがにはまっていて、そもそもこの人ありきで制作が決まった映画だそうですから、素晴らしい存在感ですが、なにかここまでやるならもっと派手なアクションをしてほしかったですね。もうちょっとこの人を見たかった。最初のうち、完全復活するまでは干からびたミイラ状態なので、意外に彼女本来の姿が見られるシーンは少ないのですよ。

 もう一人のヒロイン、アナベル・ウォーリスも魅力的です。この人も近年、大注目されて売れっ子になりつつある人ですが、知性と気品がある人ですよね。こういう現代物でも、時代劇でもこれから引っ張りだこになりそうな予感がします。

 本作については、海外の批評で「いかにもシリーズ作品に続く、という感じの制約がスケールを損なっている」という辛口のものが見受けられますが、確かにそういう感じはあります。何か連続テレビドラマの第一話のような、話の決着の付け方が寸止め、という感想を持つ人はいるのかもしれません。比較するなら、「ハムナプトラ」の方が話としては大風呂敷で面白かったような気がするわけです。今作のアマネットは、要するに現代の世界で何をしたかったのかがイマイチ、薄弱な感じは否めないわけです。

 しかし、やはり出演陣の頑張りというもので、一本の活劇としてのレベルは非常に高い。やはりこれはトム・クルーズでなければ成り立たなかっただろう、という気がします。衣装担当は「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのペニー・ローズが担当しています。古代エジプトのシーンの豪華な衣装や、騎士団の衣装などが素晴らしく、ミイラや現代の登場人物の服装もよく考えられています。たとえばラッセル・クロウにはサヴィル・ローの最高級ビスポーク、トム・クルーズには正規のアメリカ兵の戦闘服ではなく、現地で調達したらしい適当なジャケット、という具合です。

 いずれにしても、今後の大河シリーズの発端として、見ておきたい一作です。

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2017年7月12日 (水)

【映画評 感想】ジョン・ウィック:チャプター2

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 映画「ジョン・ウィック:チャプター2」
JOHN WICK CHAPTER 2 を見ました。中年期に入って、ちょっとヒット作のなかったキアヌ・リーブスが、50代を迎えて本格的なアクション映画に挑戦し、従来にない孤独な暗殺者像を演じて大きな反響を呼んだ「ジョン・ウィック」(2014年)。好評を受けて早々に続編製作が決まり、キアヌにとっても久しぶりの当たり役となりました。

 それから3年。製作予算も倍増し、前作よりゴージャスな作品となって帰ってきたのがこの一本であります。

 前作からさらに柔術の特訓なども受けて、華麗な投げ技が増えるなど、アクションがますます激しく見応えあるものになっております。豪華なセットやロケ、夥しい数のエキストラ出演者など、明らかに規模の大きな演出の作品となりました。一方で、前作のちょっと貧乏くさい味わいが役柄に合っていたのでは、という感じもしないではありません。とにかく、このジョン・ウィックが成功し、短時間でスクリーンに帰って来てくれたのは嬉しいです。前作の出演陣も皆、作中で死亡していない人物は再登場してくれております。

 

 前作で愛妻ヘレン(ブリジット・モイナハン)との生活のために、すっぱりと引退した凄腕の殺し屋ジョナサン・ウィック(キアヌ・リーブス)。しかし、病魔のためにヘレンを失い、さらにロシア人の不良に妻が残した愛犬を殺され、妻との思い出が詰まった愛車1969年型フォード・マスタングも盗まれてしまいます。怒りにまかせて不良の父親タラソフが率いるロシア人マフィア組織をたった一人で壊滅させてしまったジョンは、さらに愛車を取り返すために、タラソフの弟アヴラム(ピーター・ストーメア)の組織に乗り込み、ここでも邪魔立てするアブラムの部下を皆殺しにしたうえで、矛を収めてアブラムと講和し、壊れかけた愛車に乗って自宅に帰り着きます。

 旧知の盗難車専門の修理屋オーレリオ(ジョン・レグイザモ)に愛車を預け、2代目の愛犬と共に、再び静かな引退生活に戻るジョン。もう二度と殺伐とした生活に戻る気はなく、ヘレンとの楽しく懐かしい日々の追憶にふけるつもりでした。

 しかしそこに現れたのは、イタリア系の世界的犯罪組織カモッラの幹部サンティーノ・ダントニオ(リッカルド・スカマルチョ)。サンティーノはジョンが闇稼業を引退する際に、手助けしてくれた恩人ですが、その折に、約束を履行する証として、裏世界の絶対的な誓約「血の誓印」を交わしていました。つまり、サンティーノは必ずジョンのために一肌脱ぐ。その代わりに、サンティーノが求める場合、ジョンは必ず何であろうとその依頼を無条件で引き受けなければならない、という相互契約を保証するものです。闇社会ではこの「誓印」は絶対的なもので、命に代えても守らなければならないとされています。サンティーノは誓印を盾に、ジョンに殺人稼業への復帰を求めますが、ジョンはろくに依頼の内容も聞かず、言下に断ります。

 当然ながらサンティーノは報復に出て、ジョンの家を焼き払ってしまいます。ジョンは闇稼業の連中が集まる「コンチネンタル・ホテル」に身を移し、愛犬をホテルのコンシェルジュ・シャロン(ランス・レディック)に預けると、ホテルの支配人であり、闇の世界で隠然たる力を持つウィンストン(イアン・マクシェーン)と面会します。ウィンストンはジョンに、闇世界での鉄則2か条を改めて再確認します。つまり「①休戦地帯であるコンチネンタル・ホテル内では人を殺すな②誓印は必ず守れ」です。これを破ると厳しい死の制裁を受けることになります。ウィンストンの忠告を受け、やむを得ずジョンは改めてサンティーノの依頼を受けることにします。しかしその依頼と言うのは驚くべきもので、カモッラの北米首席の座に就いたサンティーノの姉、ジアナ・ダントニオ(クラウディア・ジェリーニ)を暗殺してほしい、というものでした。

 イタリアに飛んだジョンは、コンチネンタル・ホテルのローマ支店に投宿し、支配人ジュリアス(フランコ・ネロ)の面接を受けた後、武器のソムリエ(ピーター・セラフィノウィッチ)、防弾生地を仕込んだ戦闘スーツの仕立屋(ルカ・モスカ)らに次々に会って準備を整え、カモッラの会合の場に潜入します。ジョンとは旧知の友人であるジアナは、ジョンが誓印を持って姿を現したと知ると、覚悟を決めて自決の道を選びます。ジョンが相手では絶対に助かる道はないと悟ったからであり、不本意な仕事を履行しているジョンに同情したからでもあります。

 しかしその直後、サンティーノの部下アレス(ルビー・ローズ)率いる一団がジョンを襲います。ジョンを殺して口封じをし、円滑に姉が亡き後の後釜の首席に座る、という算段です。怒りに燃えたジョンは敵を一掃しますが、今度はジアナの護衛でやはり凄腕の殺し屋カシアン(コモン)に付け狙われることになります。

 そればかりではありません。ジョンがアメリカに戻ると、サンティーノは闇世界のネットワークを通じて、ジョンの首に懸賞金700万ドルをかけてきました。ニューヨーク中の同業者たちが、次々に容赦なくジョンに襲いかかってきます。さすがに傷つき絶体絶命に陥ったジョンは、カモッラやコンチネンタル・グループとは関係がない独立闇組織のリーダー、キング(ローレンス・フィッシュバーン)に助力を求めます。キングはジョンに、一丁の拳銃と、わずか7発の銃弾を与え、サンティーノが潜む建物にジョンを送り届けます。こうしてジョンの壮絶なたった一人の戦争が始まるのでしたが…。

 

 とにかく前作では、理不尽な目に遭って怒りに燃えるジョンが、犬と愛車の恨みのために、84人(パンフレットによれば)の敵を皆殺しにしてしまったわけですが、今作ではさらにそれがエスカレートし、家を焼かれた腹いせに、国際的な犯罪組織を相手に、もうどんどん死体の山を積み重ねていく(同じくパンフレットによれば141人)、という展開になります。ジョン・ウィックと言う男は、右の頬を殴られたら殺せ、売られた喧嘩は殺せ、やられたら倍返しではなく、とにかく無言で殺せ、という信条の人です。絶対に手を出してはいけない相手なのに、なぜかバカな人たちが次々に彼を挑発してしまう(笑)。お前ら、そんなに死にたいのか? そんなセリフがつい、口をついてしまいます。

 そして、ジョンのすべての行動の根底にあるのが、たった一人の最愛の女性を失った悲しみと絶望、それだけなのです。その悲しみと怒りが、彼を挑発した馬鹿どもに次々に死の銃弾を叩き込ませるのです。闇の世界は理不尽ですが、ジョンと言う人物はそれを上回る理不尽さの塊のような人で、純真な悪人、善良無垢な犯罪者で人殺し。そこがとにかく新感覚です。

 前作ではホテルのサービスとして「ディナーを予約したい」と注文すると、死体と殺人現場を片付けてくれる、というのがありました。今回はさらに、お客さんのためにワインではなくお薦めの武器を見立ててくれるソムリエとか、戦闘スーツを誂えてくれる高級テーラーとか、殺しの仕事専門の秘密地図屋とか、さらに興味深い設定の裏稼業の住人が登場します。特に、女性オペレーターに電話すると即座にすべての殺し屋の携帯電話に、暗殺の依頼が届く「アカウント部」という組織の存在が非常に面白い。映画ならではの、実際にあるわけはないけれど、実在したら面白いような設定が目白押しです。

 追記しておきますと、仕立屋役のルカ・モスカは、実はこの作品の衣装担当者でもあります。つまりホンモノなのです。登場シーンの撮影場所も実在の老舗テーラーの店内だそうです。

配役面では、まず往年のマカロニ・ウェスタンのスターで「続・荒野の用心棒」Djangoのジャンゴ役で有名なフランコ・ネロの出演が目を引きます。数年前に「ジャンゴ 繋がれざる者」にも出ていましたね。ローレンス・フィッシュバーンは「マトリックス」三部作のモーフィアス役、ピーター・ストーメアは「コンスタンチン」のサタン役でキアヌと共演しています。

ニューヨークでジョンに襲いかかるスモウ力士の殺し屋を演じた日本人俳優YAMAとは、数年前に角界の不祥事疑惑で引退を余儀なくされた本物の元力士、元前頭・山本山関のことだそうです。なんと第二のキャリアとしてハリウッド・デビューしていたわけですね。これはすごい転身です。

 ただそれにしても、ニューヨークでは一ブロック歩くごとに、あんなにスマホを片手に暇を持て余している殺し屋がうろついているのでしょうか。不景気で、あまりおいしい仕事はないのでしょうかね。

 それに、これはちょっと結末部に触れることを申しますが、今回のエンディングは明らかに「続く」という感じなのです。「え、ここで終わりなの?」という感想は否めません。

 この点で肩すかしの感じはぬぐえないのですが、次作は楽しみでもあります。今後も続編や前日譚、ゲーム化の話などもすでに出ているとかで、ジョン・ウィック・シリーズはキアヌ・リーブスの50歳代のキャリアの代表作となりそうですが、既に年初の全米公開以来、大好評につき3作目の製作が確定し、脚本執筆も始まっているそうで、ここは今後の展開に期待するしかないですね。

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2017年7月11日 (火)

【映画評 感想】パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊

 パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズの新作「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」PIRATES OF THE CARIBBEAN DEAD MEN TELL NO TALESを見ました。原題は死んだ者は何も語らない、つまり「死人に口なし」の意味です。20170710231446


2003年にシリーズが開始して以来、すでに14年。撮影開始時にまだ30代だったジャック・スパロウ役ジョニー・デップも50代半ばになっています。ディズニーランドの「カリブの海賊」を基に製作された軽い娯楽作品だったものが、こんなに長く続く大河シリーズに成長するとは、当初は誰も思わなかったと感じますが、今作は特に、大ヒットした第一作のテイストを取り戻しつつ、壮大なスケール感も加えた快作ではないかと個人的に思いました。

一作目の「呪われた海賊たち」にあった軽妙なコミカルな味わいとドタバタ感。あれがよかったという人は多いと思います。その後、二作目「デッドマンズ・チェスト」、三作目「ワールド・エンド」と予算が増えるほどに話が壮大になったのはいいのですが、ちょっと重々しくなり過ぎ、悲愴な感じになりすぎ、という声もありました。そこで、四作目の「生命の泉」では、出演陣も一新してリブートを図ったもののようですが、率直に言って番外編的な展開で、今度は地味になってしまった印象が否めませんでした。

 三作目は、それまでのシリーズを支えてきたウィル・ターナーとエリザベス・スワンの恋が成就はしたものの、ウィルが深海の悪霊デヴィ・ジョーンズの呪いを受け、幽霊船フライング・ダッチマン号に乗って永遠に海をさまよう身になることで、引き裂かれてしまう、という悲劇的な幕切れで終わりました。

 本作は、そのウィルとエリザベスの間に生まれた息子ヘンリー・ターナーが活躍します。そして嬉しいことに、ウィル役にオーランド・ブルーム、エリザベス役にキーラ・ナイトレイが復帰しています。このシリーズで名を上げて、今では押しも押されもしない大スターとなった2人がこの世界に帰って来てくれたことは、初期からシリーズを見ている人には感動的ですらありますね。

 

 幽霊船に捕らわれの身となってしまった父ウィル・ターナー(ブルーム)の呪いを解こうと誓った息子、ヘンリー・ターナー(ブレントン・スウェイツ)は、英国海軍に志願して水兵見習いに。彼は伝説の海賊ジャック・スパロウ(デップ)を探し出し、すべての海の呪いを解除するという幻の秘宝「ポセイドンの槍」を探し出すことを心に決めています。

ヘンリーの乗る軍艦は「魔の三角海域」に差し掛かり、恐怖の悪霊サラザール艦長(ハビエル・バルデム)の幽霊船に襲われ沈没します。サラザールは他の乗組員を皆殺しにした後、恨みのあるジャック・スパロウに、いつか仕返ししてやると伝えるように告げ、ヘンリーだけを解放します。

 生き残ったヘンリーは英植民地セント・マーティンの海軍施設に収容されますが、逃亡兵として処刑されることになります。そんなヘンリーを助け出したのは、18世紀にはまだ異端とみなされた女性天文学者カリーナ(カヤ・スコデラリオ)でした。彼女もまた、父が残したガリレオ・ガリレイの日記を手掛かりに、伝説のポセイドンの槍を見つけようとしており、ヘンリーに興味を持ったのでした。しかし、科学的な知識を持つカリーナは街の人々から誤解され、結局、魔女として告発されてしまいます。

 そのころ、セント・マーティンでは銀行の開業式典が挙行されていました。華々しく最新式の金庫が紹介されると、あにはからんや、金庫の中に忍び込んでいたのはジャック・スパロウその人でした。ジャックの金庫強奪の計画は失敗し、そのドタバタに巻き込まれたカリーナも捕まります。

 逃げ延びたジャックは、酒場でラム酒欲しさに、肌身離さず持ってきた秘宝「北を指さないコンパス」を手放してしまいます。しかしそれは大きな過ちで、コンパスは手放されると、持ち主が最も恐れる敵を解放する、という特性を持っていました。そして、魔の三角海域に長年、閉じ込められていたサラザールは行動の自由を得てしまいます。

 やがて、当局に捕えられたジャックは、見せしめとして、カリーナと共に公開処刑されることとなります。監獄でジャックは、伯父のジャック(ポール・マッカートニー)と再会します。

 処刑場に現れて、ジャックとカリーナを救い出したのは、ヘンリーと、ジャックの片腕ギブス(ケヴィン・R・マクナリー)たちでした。父の呪いを解きたいヘンリー、やはりまだ見ぬ父の残した日記の謎を解きたいカリーナ、そしてサラザールの呪いを封じなければならなくなったジャック。三者ともポセイドンの槍が必要であることで思惑が一致し、こうして一行は海に乗り出します。

 同じころ、サラザールの幽霊船に襲われた海賊バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)も、サラザールに協力して、やはり因縁のライバル、ジャックを追い求めることになります。こうして役者はそろい、伝説の秘宝が眠る未知の島を目指して、話は急展開していきます…。

 

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 ということで、軍装史や服飾史の研究家として一言申せば、シリーズの初期からおそらく
20年以上が経過していることを、登場人物の服装がしっかりと表現していると感じました。物語の途中、ジャック・スパロウが処刑されかけるシーンでは「最近、フランスで開発されたギロチン」が使われるのですが、ギロチン(断頭台)が登場するのは史実ではフランス革命後の1792年。すなわち、今回の映画の時代設定はほぼ、この前後で間違いありません。そして、本作で登場する英国海軍の軍人たちが身にまとっているのは、1774年~1795年の間に使用された軍服に見えました。上の写真のような、紺色の生地に白い襟やベスト、白い半ズボン。金ボタンで金糸の刺繍に、金色のエポレット(正肩章)。そして、髪型は白い巻き髪のウィッグ、三角帽、という具合です。前作でバルボッサ船長が着ていたのは、明らかにこれより古いタイプ、1774年よりも前に使用されていたタイプに見え、さらにシリーズの初期でノリントン代将などが着ていたのも、やはりその頃の軍装に見えました。つまり、服装が新しい時代のものに変化しているようなのです。この後、1795年になると、あのネルソン提督がトラファルガー海戦で着ていたタイプの物に更新され、帽子の形も二角帽となってきます。

 今回の作品でも、ジャックや他の登場人物はほぼ、三角帽を被っています。しかしバルボッサだけは、当時、流行の最先端である二角帽(あのナポレオンが被っていたタイプ)を用いていて、彼が裕福で新しい物好きだったことを示しているようです。二角帽は、フランス革命を契機に「新時代の帽子」として世界的に急速に普及した形式です。

 こうして、徐々に服装が変化して行く様で、カリブの海賊が気ままに活躍する時代が終わりを告げ、近代的な国民国家と近代的海軍、特に大英帝国の海軍が世界の海洋を支配する19世紀が迫りつつあることを予感させているように思います。衣装を担当したペニー・ローズは、荒唐無稽な娯楽作品といいつつも、そのへんをしっかりと時代考証で裏付けし、見る人に感じ取らせようとしているのだと感じました。

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 一方で、海賊退治を専門とするスペインの軍人だったサラザールたちの着ているのは、銀色を基調としたかなり珍しい服装です。
18世紀末から19世紀初めのスペイン海軍の軍装は、上の写真に掲げたような、赤い襟が付いた紺色の軍服だったと思われるのですが、サラザールたちは恐らく、正規のスペイン海軍の軍人と言うより、海賊退治を専門とする私設海軍であり、国家の私掠船免許を持って正規海軍に準じた待遇を受けている民間船、という設定なのではないでしょうか。

 とにかく2人のオスカー俳優、ハビエル・バルデムとジェフリー・ラッシュの演技と存在感が圧倒的です。正直のところ、ジョニー・デップが食われてしまっています。ジャック・スパロウは徐々に本シリーズのアイコンとして、狂言回し的な立場になりつつある気もします。若い2人、「マレフィセント」の王子役で一躍、注目されたスウェイツと、「メイズ・ランナー」シリーズで有名になったスコデラリオの生き生きとした演技もいいですね。特にスコデラリオはハリウッドでも図抜けて目立つほどの美貌の持ち主。今後の活躍が期待されます。

 ポール・マッカートニーの出演シーンも見逃せません。実はあまりに演技がうまいので、かえって彼だと分からない感じです。才能のある人は何をやってもうまいのですね。

 そして、出番は少ないながら、オーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイの登場するシーンはとにかく感動的です。ここを見なければ、このシリーズを見てきた意味がありません。

 本作が、初期シリーズの味わいに対するリスペクトを持ちつつ、微妙な相違点も感じさせるのは、どこかこれまでと違う明快さ、脚本の分かりやすさがあると思います。監督はノルウェーから大抜擢されたヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリの2人監督。脚本は「インディ・ジョーンズ」シリーズや「スピード2」のジェフ・ナサンソンが担当し、シリーズの中でも映画としての流れの良さ、ストーリーの無理のなさが本作の長所であると感じました。要するに、これまではどこか雑然としたストーリーが持ち味だったのですが、今回はスマートな作風に感じます。ここは北欧的な洗練が加わったのかもしれません。

 このシリーズが今後どうなるのか、継続するのか否かは分かりませんが、この時点でひとつの集大成的な作品として結実したように思います。若い2人の成長を今後も見てみたい、という気は大いにしますね。

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2017年6月24日 (土)

【映画評 感想】キング・アーサー

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 ガイ・リッチー監督の「キング・アーサー」
King Arthur: Legend of the Swordという映画を見ました。これまでロバート・ダウニーJr.を主演に据えた異色の「シャーロック・ホームズ」シリーズを成功させた同監督のこと、英国をはじめ欧米文化圏の人にとってはあまりにも有名な「アーサー王伝説」を、かなり自由に解釈した作品となっております。

これまでに何度も映像化されてきた題材で、近年で言っても、2004年の同名作品はクライブ・オーウェンと、当時まだ10代だったキーラ・ナイトレイの共演で話題を呼びました。それだけに、思い入れが強い海外のお客さんの間では、このガイ・リッチー版の個性の強い作風について賛否両論あったようです。

我々、日本人からしてみると、そもそもアーサー王は(モデルになった話はあるにしても)史実と言うよりファンタジーの題材であって、指輪物語やホビットと大差ないように思われるので、特に違和感なく見られるのではないかと思いました。ただ、それにしても、通常、流布している伝説では5~6世紀ぐらいが舞台の話であるのに、北欧のバイキングが現在の英国やフランスに攻め込んできた8~9世紀になっているとか、あの時代にはちょっと考えがたい東洋人の武術の名人がいるとか、というあたりはご愛嬌ですが、さらに設定面で、本来はアーサー王の父違いの義姉の息子、つまり甥(であると共に、実はアーサーと姉との不義の子)として登場し、最後に激しく対立する騎士モルドレッドが、敵の魔法使いとしていきなり出てくるとか、普通はアーサー本人以上に活躍する大魔術師マーリンがほとんど登場せず、その代わりに弟子を名乗る女魔術師が一人登場するだけとか、アーサーの祖父の逆臣として語られてきた王位簒奪(さんだつ)者ヴォーティガンが、今回は父の弟、つまり叔父さんであるがゆえに、話としてはむしろハムレットになってしまったとか・・・おそらくこのへんが、欧米の熱心なアーサー王ファンからは、あまりよく思われなかった点の一端かとも思います。

とはいうものの、先ほども申しましたが、そもそもアーサー王伝説自体が荒唐無稽といっていい話なので、ファンタジー好きの日本人の一人として、私などが虚心に見る限りに於いて、なかなか面白い作品になっていると思いました。上に挙げた変更点も、それで盛り上がっているとも見えますので、映画表現として否定するようなことでもないと感じます。ただ、聞いた話では、本当はマーリン役にイドリス・エルバを迎えたかったのだが、断られたために、マーリンの出番がほとんどなくなった、などと聞きますが、それが本当なら、ちょっとショボイ感じは否めませんね・・・。

 

ブリタニアの王であり、聖なる剣エクスカリバーの使い手ユーサー・ペンドラゴン(エリック・バナ)は、弟ヴォーティガン(ジュード・ロウ)や騎士ベティヴィア(ジャイモン・フンスー)らと力を合わせ、キャメロン城に攻め寄せた悪の魔術師モルドレッドを倒します。しかしその後、兄の存在を疎ましく思い始めたヴォーティガンは、邪悪な魔道の力を用いて兄夫妻を殺し、王冠を手に入れます。幼い王子アーサーは逃げ延び、ロンディウム(現在のロンドン)のスラムにある売春宿で孤児として育てられます。

それから年月が流れ、ヴォーティガン王は自らの野心のまま、国民を虐げ、巨大な魔術の塔を建造しています。しかし、その工事中に城の近くの湖が干上がり、湖底から、岩に刺さったまま抜けなくなっている聖剣エクスカリバーが発見されます。ヴォーティガンの悪政にうんざりしていた国民の間で、聖剣を岩から引き抜ける者こそ、真の国王であり、行方不明になっているアーサー王子だ、という噂が瞬く間に広がっていきます。

ヴォーティガンと手を組んで軍事力を提供する密約を結んだバイキングの指揮官グレービアード(ミカエル・パーシュブラント)と町でトラブルを起こしたアーサー(チャーリー・ハナム)は、捕らえられて聖剣のあるところへ連行されます。国中の若者がこの剣を岩から抜けるかどうか試すように、国王の命令が布告されていたのです。軍人トリガー(デヴィッド・ベッカム)が見守る中、アーサーは剣を握ります。周囲の人々が驚いたことにそれは岩から引き抜かれ、強烈なエネルギーを感じたアーサーは気絶してしまいます。

アーサーは、叔父であるヴォーティガンと対面します。当然ながら、その結論はアーサーを「偽物」として公開処刑する、というものでした。そのころ、反ヴォーティガン闘争を続けているベティヴィアの下を、一人の謎めいた女性(アストリッド・ベルジュ=フリスベ)が訪れます。彼女はただ、大魔術師マーリンの弟子メイジ(魔術師)と名乗り、ベティヴィアにアーサーを救い出し、協力するよう告げます。

ヴォーティガンの面前で、アーサーはメイジやベティヴィアの手により脱走に成功しますが、スラムで育ったアーサーには全く自覚がなく、暴君を倒すことにも、王位を継ぐことにも興味がない様子。そこでメイジはアーサーをダークランドに導きます。そこに行けば、アーサーは両親が命を落としたあの日、何が起こったかを思い出すはず。しかしその真実は、アーサーにとっては思い出したくない辛く悲しい記憶なのでした・・・。

 

というような展開ですが、ガイ・リッチー監督らしく、映像のフラッシュバックで前後の話を強引に進める手法があちこちに使われており、はっきり申して、おそらく予備知識がないとストーリーがよく分かりません。登場人物も多く、そのへんの取っつきにくさもやや敬遠された理由かな、という感じも抱きました。ただ、そういう実験的な手法はファンタジーと相性は悪くなく、むしろ世界観をよく表現しているという評価も出来そうです。このへんは好き嫌いが分かれるかもしれません。

「パシフィック・リム」や「クリムゾン・ピーク」で名を上げてきたチャーリー・ハナムとしては、170億円を超える予算の超大作に満を持しての登場、というところなのでしょうが、何かアーサー王としてのカリスマ性は弱い印象も受けました。アーサー王の話は、水戸黄門的なカタルシス、つまり、スラムで育ったけれど本当は王子、という貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)の要素がほしいところで、「実はすごい人だった」というのが前半の苦労と落差があるほど効果的なのですが、この作品のアーサーはずっと現代的な不良の兄チャン、という感じがして、そういう演出が新しいアーサー像ともいえるのでしょうが、ちょっと重みに欠ける感じはあります。

一方、ガイ・リッチー監督とは「ホームズ」のワトスン役で縁のあるジュード・ロウ。今回は悪役に徹して見事な存在感です。それから父ユーサーを演じたエリック・バナも久しぶりに「ブーリン家の姉妹」以来の王様役ですが、はまっています。この2人は、確かに王様に見えるのですけど、チャーリーのアーサーには最後まで、何かが「ない」んです。王者としてのオーラとか風格というものでしょうかね。

それからメイジという謎の役柄のベルジュ=フリスベは非常に味がある女優さんで、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の前作では人魚を演じて評判になりました。本作では、いかにも謎めいた背景がある魔術師という感じです。結局、この作品では何者か分からないままで終わってしまうのですが、後のアーサー王妃グイネビアにあたる人物のようでもあり、あるいはアーサーを悩ませる義姉であり魔女のモルガン・ルフェイのようでもあり、なんだかはっきりしませんね。またマギーという国王の侍女が出てきます。劇中ではかなり重要な役柄ですが、これを演じたアナベル・ウォーリスは、奇麗な女優さんです。この人、まもなく公開のトム・クルーズ主演映画「マミー」でも活躍しているそうです。

そして、今作で話題になったのが、あのサッカー選手デヴィッド・ベッカムの映画デビュー作だったということ。まあ、ちょい役なわけですが、けっこうセリフもあり、なかなか演技も悪くないようで、興味深いところです。

総括すれば、いろいろ分かりにくい面もあるのですが、ファンタジー作品としては秀逸な一作だと思います。元ネタに思い入れが薄い日本人が、先入観を持たず見れば、大いに楽しめる一級の娯楽作品だと思います。

 

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2017年6月 2日 (金)

【映画評 感想】 ローガン

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 ヒュー・ジャックマンが最後のウルヴァリン=ローガンを演じる「ローガン」
LOGANを見ました。2000年にスタートした「X-メン」シリーズの9作目(番外編的な「デッドプール」を入れると10作目)、そしてヒューのローガン役も17年にして集大成を迎えたわけです。

 それだけでなく、やはりシリーズを最初から支えたプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビア役のパトリック・スチュワートも、本作でシリーズから降板することになりました。2人の出るX-メンはこれでおしまい、ということです。シリーズそのものは今後、どうなるのか分かりませんが、やはりシリーズの顔だった2人が去ってしまうのは残念ですね。

 それにしても、ローガンというのは不老不死で不死身のミュータント、という設定なので、17年の間、ずっと鍛え抜かれた肉体を維持し続けなければならなかったヒューの苦労は如何ばかりだったでしょうか? 実際のところ、限界を迎えつつあったわけです。

そこで今回はなんと変化球を投げてきました。つまり、不死身のはずのローガンがついに、衰えてきたらどうなるか。能力が低下して普通の人となってしまったら? 原作のコミックシリーズでも、そういうローガンの姿を描いた「オールドマン・ローガン」という番外編的な作品があり、今回の映画の参考にしたそうです。といっても、内容的にはほとんど関係なく、能力を失い老人となったローガン、という設定面で影響を与えたようです。また、別のコミック作品では、ローガンが絶命してしまい、その能力を受け継いだ少女ローラが、ウルヴァリンの名を踏襲してX-メンに参加する、というストーリーもあるそうで、今回の映画はそのへんも参考にしたようです。とはいえ、基本的には、日本を舞台にしたローガン・シリーズとしての前作「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013年)でメガホンを執ったジェームズ・マンゴールド監督が、自由に脚本を練ったオリジナル作品です。

 これまでのX-メン・シリーズは、2014年の「フューチャー&パスト」で歴史が大きく変わることになり、それ以前にずっと描かれたマグニートー(イアン・マッケラン。若年期はマイケル・ファスベンダー)と、チャールズ率いるX-メンの抗争という歴史も、一応、なかったことになってしまいました。この作品で1970年代から2023年に帰還したローガンは、何事もなく平和に暮らす懐かしいミュータントの仲間たちと再会し、胸をなでおろしてエンディングを迎えました。

 しかし、今作は2029年が舞台。その平和な2023年からわずか6年後、にしてはかなり世界観が異なっているようです。ずっと荒廃して西部劇のような無法な光景が続く「別の時間軸」の未来が映し出されます。かといって、それ以前の設定であった、2023年でミュータントが壊滅した世界とも異なるようです。従って、本作はあくまでもヒューのローガンのためにわざわざ設定された「別の世界の未来」と考えて差し支えないと思われます。

 実のところ、今作のテイストは非常に西部劇に近く、製作の際に最も参考にされたのはクリント・イーストウッド監督の西部劇「許されざる者」(1992年)だったそうです。髭を伸ばしたヒューも、若いころに西部劇に出ていたイーストウッドに驚くほど風貌が似ています。さらに劇中では往年の名作西部劇「シェーン」(1953年)のシーンが引用され、これが最後まで重要な話の核となりますが、そういう意味でも本作は近未来西部劇、といえるような一作です。

さらにまた、今作のもう一つの味付けとして異色と言えるのが、ロードムービー的な描き方です。そういう感じを強めるために、劇中でチャールズとローガンは逃避行のさなか、ある農家の夕食の食卓に招かれるのですが、そこでの会話は途中から脚本を作らず、即興で演技をしたとか。確かにそのシーンは非常に生々しいというか、作ったセリフではない臨場感にあふれており、2人が本当に父と息子のような絆で結ばれていたことが溢れ出るようにフィルムに記録されています。あれは素晴らしいシーンです。

 さてでは、本作の概要を簡単にまとめますと…。

 

 時は2029年。ミュータントがほぼ絶滅してしまった未来のお話です。なぜか2004年以来、新たなミュータントが一人も生まれず、X-メンの仲間たちもさまざまな原因で世を去りました。残されたローガン(ジャックマン)は、アルツハイマー病が発症して強大なテレパシー能力を制御できなくなった90歳のチャールズ(スチュワート)を匿いながら、富裕客向けの個人リムジン・タクシー運転手として細々と生計を立てています。ローガン自身も長年の無理がたたり、身体に埋め込んだアダマンタイト合金に蝕まれて、不死身の治癒能力が劣化し、急速に老け込んで、「死」を覚悟するようになっています。かつてはミュータント狩りをする人間の側についたこともあるキャリバン(スティーヴン・マーチャント)も、ローガンと共にチャールズの面倒を見ています。

 チャールズは最近になって、「新しいミュータントとテレパシー交信した。もうすぐ自由の女神に、救いを求めてやって来る」と言うようになりましたが、ローガンもキャリバンも、それを痴呆老人の戯言と受け取り、相手にしませんでした。この世界のこの時代には、既にアメリカの自由の女神は破壊されていたのです。

 そんなローガンの元を、ガブリエラ(エリザベス・ロドリゲス)という一人の看護師が訪ねてきます。彼女はローガンに救いを求めますが、ローガンはすげなく拒絶します。続いて、トランジェン研究所から来たピアース(ボイド・ホルブルック)と名乗る男が、ローガンに接触してきます。彼は、ガブリエラという女が間もなくローガンに会いにくるので、彼女が連れている少女を引き渡してほしい、とローガンに依頼します。

 ある日、一軒のモーテル「自由の女神」に呼び出されたローガンは、ガブリエラと再会します。ガブリエラはメキシコ系の少女ローラ(ダフネ・キーン)を連れており、カナダ国境のノースダコタまで連れて行ってくれるようローガンに懇願します。

 その直後、ガブリエラは何者かに殺され、ピアースが率いる戦闘部隊が襲撃してきます。キャリバンは捕えられ、やむを得ずローガンは、チャールズとローラを連れて逃げることになりますが、戦闘に巻き込まれた際のローラを見て、ローガンは驚愕します。彼女は拳からアダマンタイトの爪を出して敵に斬り付けるミュータントであり、その戦闘スタイルはあまりにもローガンにそっくりでした。

 ガブリエラが残した画像により、ローラはトランジェン研究所で行われた人体実験によって生み出された「兵器」であることが分かります。その研究は突然、打ち切られ、ローラのような子供たちは全員、殺されることとなりました。ガブリエラはローラを連れて研究所を逃げ出し、ローガンを頼ってきた、というのです。それというのも、ローラの遺伝子上の父親はローガンであり、つまりローラはローガンの娘である、というわけです。

 その後、一行は親切にしてくれた農家、マンソン一家の厚意を受け、温かい家庭的な雰囲気に包まれて久しぶりの安穏を得ます。チャールズとローガンとローラは、一家の前で祖父、父と娘としてふるまいますが、実際になんとなく、本当に一家のような絆を感じ始めます。しかし、その場にもピアースたちの魔の手が迫っており、さらに、もっと驚くべきミュータント兵器がローガンを待ち構えていました…。

 

 というようなわけで、悲しい物語が終盤に向けてひた走っていくわけですが、とにかくコミック映画とかX-メンという枠組みで見るよりも、先に申しましたように、近未来の西部劇ドラマとして鑑賞した方がいい作品だと思います。もちろんこれまでのX-メンの世界を踏襲しているのですが、前に書いた通り、従来の大河シリーズの歴史の流れを必ずしも汲んでいないので、全く独立した「親子三代」の物語として見ても違和感がない作風となっています。

 今作はシリーズで初めて子供が鑑賞できない残酷シーンがある映画、というR指定になっています。このへんも、監督やジャックマンが熱心に上層部を説いて実現したそうです。つまり、完全に大人向けの映画、ということです。

 シリーズ最後となるヒューとパトリックの鬼気迫る名演技は、もうこれを見逃してはもったいない、と思います。自分の持ち役の老いた姿を演じるのは難しかったと思います。ローガンはまさに老眼になって、眼鏡なしでは文字が読めないほどになっています。17年間の思いが詰まった美しい幕切れとなりました。まことに感動的です。

 それから、本作で抜擢された子役、ローラ役のダフネ・キーンの戦闘シーンがすごいです。「キック・アス」のクロエ・グレース・モレッツを思い出させます。この子はすごい存在感ですし、このまま大きくなればラテン系美女に育ちそう。何年かしたら有名になっているかもしれませんよ。楽しみな新人さんです。

 これでX-メン卒業の2人も、もちろん、他の作品でさらなる活躍を見せてくれると思いますが、それにしても寂しいことです。彼らのシリーズ最後の雄姿を、しっかり目に焼き付けておきたいと思いました。

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