2019年2月 9日 (土)

【映画評 感想】アクアマン

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  映画「アクアマン」
Aquamanを見ました。映像の素晴らしさは近年でも最高レベルで、見たこともない海底の世界や生物が描かれます。それに心を揺さぶられる恋愛要素、家族の絆といったドラマの面でも見事です。アクションの質の高さもさすがで、マレーシアが生んだ鬼才ジェームズ・ワン監督の手腕が光ります。

本作はDCコミックスの「DCエクステンデッド・ユニバース」6作目にあたり、すでに興行収入1100億円超えの大ヒット作となっています。

 はっきり言って、スーパーマンやバットマン、ワンダーウーマンと言った「著名なスーパーヒーロー、ヒロイン」と比べると、知名度が低いアクアマン。映像化シリーズにおいても、すでにそういった有名超人と「ジャスティス・リーグ」などで共演していたものの、正直なところ、これまではあまり注目されていませんでした。ところが単独作品化したところ、大化けしてくれた、というわけです。水中では時速160キロで泳ぎ、筋力は普通の人間の150倍、銃弾はおろかグレネード弾の直撃でもビクともしない、という設定は、まさに「海のスーパーマン」です。

 アクアマンは、最近、登場したようなものではなく、第2次大戦中の1941年にコミックに初登場した歴史のあるキャラクターです。38年にスーパーマンが登場してわずか3年後であり、同じ年にデビューした同期にはキャプテン・アメリカがいる、ということで、老舗といっていいキャラですね。当時の時代背景から、最初のアクアマンは、ナチス・ドイツのUボート(潜水艦)と戦うヒーローだったようです。

古代に海底に沈んだアトランティス帝国の末裔で、地上で普通の子供として育ったのだけれど、実は王位継承者である、という、いわゆる「アーサー王伝説」型のヒーローで、それ自体は昔から英雄伝説ではよくあるお話。実際、主人公の名前がアーサーなのも、アーサー王にちなんでいます。ライバル関係の兄弟がいたり、海神ポセイドンに由来するトライデント(三叉の鉾)がテーマになったり、と似たような設定の作品もいろいろ思い浮かびます。

 しかし、なんといっても異色なのは、原作コミックで典型的な金髪美形のヒーローだったアクアマンを、ハワイ出身で荒くれ者のイメージが強いジェイソン・モモアが演じた点です。黒髪で全身にタトゥーを入れた武骨な、だけど知的で愛嬌があって憎めないアクアマン、というのはいかにも現代的なひねり方で、父親役にニュージーランド出身のテムエラ・モリソン、母親役にはオーストラリア出身のニコール・キッドマンを配して、どこか「モアナと伝説の海」を思わせる海洋映画になったことで、非常に魅力的な作風になりました。舞台設定も、アメリカ、海底のほかにサハラ砂漠、イタリア、さらにロシアの潜水艦、といろいろな文化圏を取り上げて、小さな枠に収まらない作風になっています。今のアメリカでは、スーパーマンやキャプテン・アメリカのような、伝統的で直球勝負型のヒーローから、「ブラック・パンサー」や「ワンダーウーマン」「デッドプール」といった、文化的な背景や設定に多様性のあるものが受けるようになって、実際に大ヒットしていますが、この作品もそういう流れの中で大いに存在感を示しているように思います。

 ところで、この作品の世界では、洋上にあったアトランティス帝国が水没した後、この国の人々は高い科学技術力により、水中生活に適した体質に進化した、ということになっています。だから、彼らは水中でしか行動できず、陸上に上がるには宇宙服のようなスーツを着ていないといけません。彼らのヘルメットの内側は、空気ではなくて海水で満ちているわけです。海底国家となって以来、アトランティスの本家のほかに、六つの分家の王制国家に分かれています。アトランティス王国と、隣国ゼベル王国の人々は地上の人類と同じような姿かたちのままですが、人魚のような姿になった魚人王国、ヤドカリのような姿に変化した甲殻王国、さらに知性を失い化け物のように退化してしまった海溝王国、かつては海底にあったが地殻変動により、今ではサハラ砂漠となって事実上、滅亡した砂海王国、さらに作中では登場しないもう一つの王国が存在する模様です。

 そして、陸上では呼吸できないのが基本ですが、いずれの王国においても王族の人々だけは、地上で呼吸できる、とされています。それで、アクアマンをはじめ、母親のアトランナや、アクアマンの弟オーム、ゼベル国王ネレウス、その娘のメラ、といった主要な人物は、地上でも自由に行動できるわけです。

 

 1985年、アメリカ・メイン州の灯台を守るトム・カリー(モリソン)は、嵐の海から岸に打ち上げられた美女アトランナ(キッドマン)を助けます。彼女は海底の帝国アトランティスの女王と名乗り、望まない政略結婚から逃れてきたのだ、と言います。優しいトムに心ひかれたアトランナはほどなく恋に落ち、一人息子アーサー(モモア)が生まれます。

 しかし、彼女の行為はアトランティス国家に対する反逆行為であり、ついに追手が灯台に攻めてきます。愛する夫と息子を守るために、アトランナは後ろ髪をひかれながら海に戻っていきます。「いつかきっと、この桟橋に戻ってくる」と言い残して。

 そして現代。大人に成長し、海賊に襲撃されたロシア海軍の潜水艦を救援するアーサーの姿がありました。彼は、アクアマンと呼ばれて、既に超人として世に知られるようになっています。潜水艦を巡る戦いで、海賊の首領ジェシー・ケイン(マイケル・ビーチ)が命を落とし、その息子デビッド・ケイン(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は父の仇としてアーサーを激しく憎みます。

 その頃、アトランナの息子で、アーサーの異父弟にあたるオーム(パトリック・ウィルソン)はアトランティス王位を継ぎ、さらに七つの海底国家を統合して海の皇帝である「海洋の覇者(オーシャン・マスター)」を名乗ろうと野心を募らせていました。そればかりでなく、地上の世界に侵攻し、全世界を治める覇王となる、という途方もない考えに取りつかれています。古来の取り決めにより、地上侵攻のためには、少なくとも四つの国の同意か服属が必要とされています。アトランティスの分家で、アトランティスに匹敵する有力な海底国家ゼベル国の王ネレウス(ドルフ・ラングレン)は、オーム王の考え方を危険視しています。また、アトランティスの重臣で軍の参謀を務めるバルコ(ウィレム・デフォー)も、オーム王の侵略的な性格を危惧しています。彼は密かに地上のアーサーを育て、アトランティスの情報を教え、武芸を仕込んで、見守ってきた存在です。

 ネレウス王の娘で、オームの婚約者でもあるメラ王女(アンバー・ハード)は、アーサーのもとを訪れ、地上に危険が迫っていること、海底の世界にやって来てオームの暴走を止めてほしいことを訴えます。しかしアーサーはバルコから、母親アトランナが、地上の人間と交わって子供を産んだことを理由に処刑された、と聞かされており、自分の存在が母アトランナを苦しめ、ついには死に追いやった、と自責の念にとらわれており、海底の世界に行くことを拒み続けています。

 しかし、そんなある日、「地上の国の潜水艦」がアトランティスを攻撃してきます。オームは地上への報復を唱え、ネレウスもそれに従わざるを得なくなります。ところが、その潜水艦というのはオームが演出した狂言で、あの海賊デビッド・ケインが加担して行われた謀略だったのです。

 大津波が地上を襲い、父親トムが危うく命を落としそうになるに及び、ついにアーサーはメラと共に海底に赴くことを決意します。そこで彼はバルコから、真の王位継承者を名乗るには、アトランティスの初代アトラン王(グレアム・マクタヴィッシュ)がどこかに秘匿した伝説の武器、トライデントを手に入れる必要がある、と聞かされます。

 まもなく捕えられたアーサーは、王位をかけてアトランティスの国民が見守る中、オームと決闘することになります。長年かけて準備万端を整えていたオームに歯が立つはずもなく、敗北寸前のピンチに陥りますが、見かねたメラがアーサーを救出。そして2人は、アトラン王のトライデントを求めて、アフリカのサハラ砂漠、さらにイタリアのシチリアへと探索の旅に出ますが、その行く手には思わぬ敵が待ち受けていました…。

 

 といったことで、非常に濃厚なドラマが展開しますが、脚本の整理がよいので、分かりにくいこともなく、といって話が飛び過ぎることもなく、巧みな演出に感心しました。過去の話と現在の話があり、海底にいくつもの王国があり、地上の世界も次々に舞台が変わっていくので、下手な脚本だと、何が何だか分からなくなる、という恐れが十分にあるわけで、事実、そういう実例もこの手の作品には多いわけですが、本作は実に見事だと思います。

 キャスティングも非常に凝っていると思います。

 主演のモモアの存在感と、ワイルドなのにチャーミングな人柄はまさにこの映画の核。真っ赤な髪に染めたアンバー・ハードは、強気でじゃじゃ馬なお姫様、という役柄には、まさにはまり役ですね。この主演の2人の魅力が作品を支えているのは言うまでもありません。

なんといってもいい味を出しているのがウィレム・デフォーの古武士のような風格。髪型も日本の武士のようなスタイルで、デフォー本人が「日本のサムライのイメージで」と求めたからこうなったそうです。確かに黒澤明の映画に出てくる戦国時代の侍大将のような、静かな佇まいの中に威厳のあるキャラに仕上がっています。

 ドルフ・ラングレンがこういう形で出てくる、というのも意表を突かれました。人間核弾頭などと呼ばれ、「ロッキー」シリーズで知られるアクション・スターですが、今回は、アクションは若い人たちに譲り、思慮深い国王として存在感を示しています。

 敵役となるパトリック・ウィルソンは、「オペラ座の怪人」以来、「アラモ」「プロメテウス」など、あちこちの映画で顔を出すほか、ジェームズ・ワン監督の大ヒット実話ホラー「死霊館」シリーズで活躍する人。オーム王は原作では一見してダークな悪役ですが、今回は出来るだけモモアのワイルドなアクアマンとは対照的なキャラにしているとか。金髪で徹底的にきれい目なルックスにして、むしろ原作のアクアマンの印象に近い感じです。

 ニコール・キッドマンとテムエラ・モリソンの恋愛ドラマは、この作品の中で時間は短いながら中核ともいえる部分で、監督も「この2人のパートが好き」と言っています。さすがの実力者2人で、しっかりと見せてくれます。モリソンと言えば「スター・ウォーズ」のジャンゴ・フェットで有名で、「モアナと伝説の海」ではモアナのお父さんの役もやっていました。

 アトラン王役のマクタヴィッシュは、「ホビット」シリーズでドワーフの勇者ドワーリンを演じて注目されました。それから、甲殻類の国の王ブラインの声をジョン・リス=デイビスがやっていますが、こちらは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでドワーフのギムリ役として有名な人で、今回も特徴的な声ですぐにそれと分かります。

 最も驚いたキャストが、深海でアトラン王のトライデントを守る怪物カラゼンの声を演じた人。なんとジュリー・アンドリュースなのです! 1964年の「メリー・ポピンズ」や65年の「サウンド・オブ・ミュージック」の、あの人です。アクアマンもビビる、すごいド迫力のナレーションでしたが、後で配役を知ってなるほどと思いました。圧倒的な存在感とか、長い時間を経て生まれた自信と威圧感を自然に発する人、ということでこういうレジェンド的な名優を起用したのでしょうが、素晴らしい着想です。

 とにかく見ていて、映像、アクション、ドラマのバランスがよく、いい作品だと思います。あまりよく知らないキャラクターなので、という理由で敬遠するのはもったいない一作ですね。これだけヒットしたので、きっと続編もあるのではないか、と思います。

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2019年2月 1日 (金)

【映画評 感想】ヴィクトリア女王 最期の秘密

「ヴィクトリア女王 最期の秘密」Victoria & Abdulという映画を見ました。英国での公開は20179月で、昨年2月のアカデミー賞では衣装デザイン賞にノミネートされた作品です。日本では1年半ほど遅れての公開となりましたが、今年、2019年は女王の生誕200年ということだそうですね。20190131201923


それで思うのですが、英国王室もの映画、特に女王をテーマにした映画がこのところ、多いように思います。今年224日に発表されるアカデミー賞でも16世紀のエリザベス1世とスコットランド女王メアリ・スチュアートの確執を描いた「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」、それからメアリ・スチュアートの流れを汲むスチュアート朝の最後の君主アン女王の時代の宮廷内の抗争をテーマとした「女王陛下のお気に入り」の2本がノミネートされており、いずれも衣装デザイン賞でもオスカー争いをしています。こういう時代劇はなんといっても衣装デザイナーの腕の見せどころですが、それだけではなく、やはりEU離脱問題で揺れる現在の英国では、自国の歴史を見直したい、という機運があるように見受けられます。ここ数年、チャーチル首相とダンケルク撤退作戦を取り上げた映画が多かったのも、同じような流れではないかと思います。

ヴィクトリア女王も、偉大な君主としてしばしば映画化されている人物ですが、近年、話題になった作品として、18歳で即位した女王が、ドイツ出身のアルバート公に出会い、様々な妨害を受けながら育んだロマンスを取り上げた「ヴィクトリア女王 世紀の愛」(2009年)がありました。これはエミリー・ブラントの出世作で、アカデミー衣装デザイン賞を見事に獲得。そして、夫アルバート公が42歳の若さで亡くなった後、従僕ジョン・ブラウンとの交流を描いた「Queen Victoria 至上の恋」(1997年)では、ジョディ・デンチが40歳代の女王を演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされました。

最愛の夫は1861年に亡くなり、その後を埋めるように現れたジョン・ブラウンも1883年に亡くなって、孤独な晩年を送る女王が最後に信頼した男性が、インドからやって来たアブドゥル・カリムでした。800pxmunshirudolf_swoboda


ということで、この映画は、晩年の女王を再びジョディ・デンチが演じて話題になったものです。

アブドゥルの存在は、彼が「ムンシMunshi(師匠)」という呼び名で、インド語の語学教師として女王に仕えていたことは知られていたものの、2人の具体的な交流については、女王の死後に英国王位とインド皇帝位を継いだ皇太子エドワード・アルバート(通称バーティー。即位後はエドワード7世)が関係書類や記録を徹底的に破棄したために、よく分からなくなっていました。

しかし、作家シュラバニ・バスの調査で、女王の遺したウルドゥー語の日記が発見され、さらにアブドゥルの親戚筋の子孫の家から、アブドゥル本人の日記も見つかって、2010年に公表されたのが、この映画の原作本だった、という次第です。

難民問題やEU離脱問題で揺れる英国で、大英帝国の栄光の象徴であるヴィクトリア女王が、イスラム教徒のインド人と極めて親密だった、という事実が実証されたことは、大きな話題となり、ついに映画化されるに至ったのです。

 

1887年。ヴィクトリア女王(デンチ)がインド皇帝を兼ね、正式にインドが英国領となってから29年が経っていました。アグラの街の刑務所に勤める24歳の事務官アブドゥル(アリ・ファザル)は、突然、女王に即位記念50周年金貨を献上する大役に抜擢されます。見たことのない英国に行き、女王の御前に出ることを彼はチャンスと捉え喜びますが、もう一人の使者がケガをして、急きょ、代役として英国に赴くことになったモハメド(アディール・アクタル)は全くやる気がありません。

その頃、女王は60歳代の後半を迎え、人生に退屈し切っていました。最愛の夫アルバートが若くして世を去ってから既に26年。その後に寵愛した従僕ジョン・ブラウンが死んでから4年。宮廷には彼女に取り入ろうとする不誠実な貴族たちが集まり、秘書のポンソンビー(ティム・ピゴット=スミス)は朝から晩までつきまとって、公務のスケジュールでがんじがらめにし、首相のソールズベリ卿(マイケル・ガンボン)は陰鬱な国際情勢ばかり語ります。王太子のバーティー(エディ・イザード)とは反りが合わず、うまくいっていませんでした。

アブドゥルとモハメドは、女王に金貨を献上してすぐに帰国するはずでしたが、女王は長身でハンサムなアブドゥルに目を留め、自分の従僕として英国に留まることを命じます。インドの言葉や文化を屈託なく話すアブドゥルは疲れ切った女王の心を癒し、すぐに単なる従僕から、女王の家庭教師であるムンシに昇格して、女王の行くところ、いつでもどこにでも付き従うようになります。

しかし、イスラム教徒のインド人が急速に寵愛されていくのを、周囲の人々が黙って見ているはずはなく、特に王太子バーティーは危機感を覚え、首相もポンソンビーに、インド人を宮廷から追い出すように命じます。

やがて、女王はアブドゥルを騎士(ナイト)に叙任すると言い出し、反発した側近たちが怒り出して大騒動に。しかし、徐々に女王も体力の衰えを自覚し、最期の日が近付いてくるのでした…。

 

ということで、映画を見ていると、ほんの数年の話のように見えてしまいますが、史実としては、アブドゥルが晩年の女王に仕えた14年間ほどの日々が描かれます。

人種や宗教に偏見のない女王は、当時としてはむしろ変わった人でした。そして、何よりハンサムで髭面、長身の男性を好んだようで、これはやはり最愛の夫の面影を追っていた部分もあると思います。

実は夫アルバートも、ドイツから入り婿として英国にやって来ており、女王が一目ぼれして、周囲の反対を押し切り、結婚にこぎ着けました。アルバートは女王を守って宮廷改革に取り組み、大きな成果を収めますが、英国の貴族層からはいろいろな妨害を受け、非常に苦労しています(このあたりは「ヴィクトリア女王 世紀の愛」によく描かれています)。そんな部分も、考えてみるとアブドゥルの立場とかなり似通っていたと言えるのではないでしょうか。

何より、アルバートも、ジョン・ブラウンも、権力者である女王に率直に語る人たちでした。晩年の孤独な女王に自然に接することができたのは、異国からやって来てしがらみのないアブドゥルだけだったのだと思われます。

とはいえ、アブドゥルが単なる無私無欲の好人物だった、というわけではなく、チャンスを捉えて出世を狙う俗物の面もあったことはきちんと描いています。インド国内においても、古くからのヒンズー教徒と、その後にインドを支配したムガール帝国のイスラム教徒とは反目しあっており、アブドゥルがイスラム教徒に都合のいい情報ばかり女王に吹き込んでいた、といった話も描かれます。何より、女王に処刑宣告まで出したセポイの反乱は、エンフィールド小銃の火薬を包む紙袋に豚の脂が防水加工として塗られていたことにイスラム教徒の傭兵(セポイ)が反発して起こした騒動だった、というのは、この映画の中で側近たちが女王に語る通りの史実です。

2人の関係が恋愛に近いものだったのかどうか。それは、その前のジョン・ブラウンとの関係でも取り沙汰される問題です。もっとも、夫の急逝後、まだ若かった時代のブラウンとの交わりと、7080歳代にかかわったアブドゥルとではやはり次元が違うでしょう。

 

さすがにアカデミー賞にノミネートされるだけあって、衣装が実に見事です。本当に息をのむほど素晴らしい従僕たちの宮廷衣装とか、また現代の背広のルーツである、いちばん上のボタンを一つだけかけたアウトドア用の上下揃い(ディトー)スーツなどなど。そして、アルバートの死後、喪服を着続けた女王の衣装もシーンごとに微妙に異なり、ほんの一瞬で終わる場面でも、肩に着けたヴィクトリア王室勲章や、胸に輝くガーター勲章、シスル勲章、聖パトリック勲章などのメダルも克明に再現しています。

ちなみに、映画の終わりの方で、女王はアブドゥルにヴィクトリア勲章のコマンダー章を授与することを発表しますが、このヴィクトリア勲章、というのは有名な「ヴィクトリア十字勲章」とは別物です。「十字勲章」は英雄的な軍人に授与される英国の最高位勲章ですが、ヴィクトリア王室勲章の方は、完全に王室が管理するもので、国家機関に諮問する必要がなく、国王の一存で与えることができるものです。アブドゥルがこの勲章を受けた理由はそのへんにあるわけです。

ところでひとつ気になったのが、最後に登場するドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の服装でした。こちらは灰緑色(フェルトグラウ)のいかにもカッコいいドイツ槍騎兵の制服に身を包み、一目でドイツからカイゼル(皇帝)が見舞いに来た、と分かるシーンでした。ヴィルヘルム2世は女王の長女の息子で、孫にあたるのです。王家が親戚であることもあり、この時代にはドイツと英国は比較的良好な関係でした。

しかしこれ、おそらく分かってやっていることと思いますが、ちょっと皇帝の服装で気付いたことがあるのです。つまり、ドイツ皇帝であることを一目で分かりやすくするために、ドイツと言えば灰緑色、というイメージの軍服を着せたのだろうと思うのです。が、史実としてはおそらく正しくありません。

女王が亡くなるのが1901年。一方、ドイツ軍で灰緑色の軍服を着るようになるのは、1907年のこと。つまり、この時代にはまだこういう色の軍服は着ていないはずで、実際にはここに掲げるような、青色(プルシャン・ブルー)の軍服を着ていたはずです。Photo


とまあ、時代考証的にはそんなことを思いましたが、繰り返しになりますが、そんなことは承知のうえでやっていることと思います。ただ、一応、服飾史家としては一言、蛇足を言いたくなったわけでございます…。

とにかく、史実をうまく組み換え、並び替えてストーリーを展開するスティーヴン・フリアーズ監督の手腕が見事です。この監督はヘレン・ミレンが現女王エリザベス2世を演じてアカデミー主演女優賞を獲得した「クィーン」(2006年)の監督でもあり、史実の料理の仕方が実に巧妙です。

ジョディ・デンチをはじめ的確な配役の面々も素晴らしい演技を見せ、心を揺さぶってくれます。秘書役を好演したティム・ピゴット=スミスはこの後に亡くなり、遺作となりました。

こういう見応えのある史劇を作るのに、英国王室の歴史は中世から現代まで、どこを取り上げても興味深い逸話の宝庫です。「女王ものに外れなし」、という感を改めて強くしました。

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2018年12月 8日 (土)

【映画評 感想】くるみ割り人形と秘密の王国

映画「くるみ割り人形と秘密の王国」The Nutcracker and the Four Realmsを見ました。これはよく知られたドイツの童話、E・T・A・ホフマン作の「くるみ割り人形とねずみの王様」Nußknacker und Mausekönigと、さらにこれを翻案したアレクサンドル・デュマのストーリーを基に書かれたバレエ劇、チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」Щелкунчикをディズニーが実写映画化した、というものです。20181206232807


とはいえ、ホフマンのオリジナルとも、チャイコフスキーのバレエともかなり設定や展開が相違しており、やはり21世紀の映画、という感じはします。

ホフマンという人は19世紀初めのプロイセン王国の法律家で、ナポレオン戦争で焼け出されるなど、さんざん苦労した後、本業の傍ら、作家、作曲家として活動したわけですが、そもそもは友人の娘マリー・ヒツィヒのために即興で作ったお話が、この「くるみ割り人形」というものだったそうで、発表はナポレオン戦争が終わった年の翌年、1816年。多分に戦争の記憶が反映している内容とも言えます。このホフマン版のヒロインは、友人の娘の名前そのままに「マリー」と名乗っています。

その後、デュマのアレンジを経て、チャイコフスキーが作ったバレエ(1892年初演)では、ヒロインの名は「クララ」と変更されていますが、この名前は、原話のモデルとなった実在のマリー・ヒツィヒのお姉さんの名前だったようです。

そんな経緯を踏まえて、ということでしょう。この映画では、ヒロインの名はクララ、母親の名がマリー、そして、ヒロインの姉としては、ホフマンの原話から登場している「ルイーゼ」の名が踏襲されています。この名の由来は定かではないですが、ホフマンが崇拝していたプロイセン王妃ルイーゼの名にあやかったのかもしれません(ホフマンは実際に、自作のオペラ曲をルイーゼ王妃に献呈しているそうです)。

また、原話ではヒロインの兄として登場しているフリッツは、弟の名前になっています。

ここまでの経緯から言えば、原話はドイツ、その後フランスでアレンジされて、ロシアでバレエ化されたわけですから、英語圏とは本来、かかわりが薄いはず。

しかしながら、この映画では、お話の舞台は19世紀末、ヴィクトリア女王時代のロンドン、ということになっています。科学技術と産業革命が進展しつつある時期、を背景に描きたかったようですね。よって、現実世界の人々は、女性はお尻にバッスルという補正具をつけて、スカートのラインに優雅な曲線美を強調したドレスをまとっています。男性たちはトップハットに燕尾服が定番。ただ、現代のホワイトタイの燕尾服が定着する前、という時代背景を意識しているのでしょう。ヒロインのお父さんは、燕尾服にブラックタイという姿です。これは、ひとつには喪に服している、という設定だからでしょうね。

それから、映画の中でクリスマスツリーもたくさん、登場しますが、この風習を英国に持ち込んだのは、ヴィクトリア女王の夫君で、ドイツ出身のアルバート公。当時の英国人にとっては、新しい習慣だったと思われます。

一方で、名前などは英語風にするでもなく、スタールバウムStahlbaumとかドロッセルマイヤーDrosselmeyerなどとドイツ語のまま。また劇中に登場する不思議の国の宮殿は明らかにクレムリンのようなロシア風です。

兵士たちの服装は19世紀当時のドイツ、英国、ロシアの軽騎兵や擲弾兵の軍服を混ぜた感じ。肋骨(ろっこつ)服にシャコー(筒形帽)ですが、シャコーの形状はドイツやロシアでよく見られた、張り出しの大きいスタイルです。一方で玩具の兵士たちのいでたちは、いかにもドイツの槍騎兵(ウーラン)を思わせるもので、頭にはウーラン専用の四角い頂部を持つチャプカという帽子を被っています。衣装デザインのために厖大な19世紀軍服のリサーチをしたのだろうな、と、私のように日頃から服飾史、軍装史を研究している身からすると、まことに興味深いものがあります。

 

クララ・スタールバウム(クレア・フォイ)は科学好き、発明好きの14歳の少女です。しかし今で言うリケジョのクララは、良妻賢母をよしとした19世紀末のヴィクトリア時代には浮いた存在です。最大の理解者だった母親マリー(アンナ・マデレイ)が亡くなり、スタールバウム家は悲しいクリスマスを迎えていました。クララは母の死を悲しむあまり、表面的には平静を装う父、ベンジャミン(マシュー・マクファデン)ともしっくりいかなくなってしまいます。

ベンジャミンは、マリーの遺言に従って、プレゼントを3人の子どもたちに渡します。長女ルイーゼ(エリ・ボマー)には形見のドレス、弟のフリッツ(トム・スウィート)には兵隊人形と、分かりやすい物が渡されますが、クララには金属製の卵のような形の容器が贈られます。しかし容器を開くには特殊な鍵が必要で、肝心の鍵は同梱されていませんでした。母親からのメモには「この中に、必要なものは全てあります」とあり、クララはなんとしても容器を解錠しなければなりません。

毎年恒例のドロッセルマイヤー邸でのクリスマスパーティーに参加した一家。父からは勝手な行動をとるな、と戒められていましたが、クララはまっすぐに屋敷の主人であり、クララの名付け親、そして母マリーの育ての親でもある発明家ドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)の元に向かいました。というのも、卵には製作者として彼の名が刻印されていたからです。ドロッセルマイヤーは、自分も鍵は持っていない、とクララに言いますが、その後、彼からクリスマスプレゼントを贈られたクララは、その指示に従って、屋敷の敷地から不思議な森に足を踏み入れます。

そこは現実からかけ離れた異世界で、マリーがクララに遺した鍵がありました。しかし、クララがそれを手に取ろうとすると、ネズミの王(チャールズ・リレイ)が奪ってしまいます。ネズミを追うクララは、途中で「くるみ割り人形」のようないでたちの真っ赤な軍服を着た兵士(ジェイデン・フォーラナイト)と出会います。彼はフィリップ・ホフマン大尉と名乗り、なぜかクララを「王女様」と呼びます。

大尉は、ネズミを追って先に進もうとするクララに、その先は危険な独裁者マザー・ジンジャー(ヘレン・ミレン)が、凶暴なネズミの王とともに統治している「第4の国」で、足を踏み入れることは出来ない、と諫めます。クララは強引に乗り込んで、ネズミの大群や道化の一団に襲撃され、すんでのところで捕まりかけますが、からくも脱出しました。

大尉は美しい宮殿に、クララを案内します。そこは、ホーソン(エウヘニオ・デルベス)が摂政を務める「花の王国」、シヴァー(リチャード・E・グラント)が摂政を務める「雪の王国」、そしてシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)が摂政を務める「お菓子の王国」と、ジンジャーの第4の国を含めた秘密の王国の中心部でした。この世界を創造したのは母であり、当地では「マリー女王」と呼ばれて神のように畏敬されている事実を、クララは知ったのです…。

 

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  といったわけで、原話ではせいぜい、ネズミの王にスリッパを投げつけるぐらいのヒロインが、この映画では自ら君主として兵隊を率い、ネズミの国との戦争を指揮する、という勇猛果敢さです。クララは肋骨軍服を着て、シャコーを被り、金色のエポレット(正肩章)を肩にきらめかせて出陣しますが、これが実にカッコいい。主演のクレア・フォイ自身、この軍装姿がお気に入りだそうで、「家に持って帰りたい」と思ったとか。フォイは「インターステラー」での演技が大注目された新星で、際立った美貌の持ち主ですが、それがまた
19世紀の女性王族そのものの絢爛豪華な軍服で大活躍する様は、なんとも見事に絵になっており、見惚れてしまいますね。余談ですが、このように女性王族が名誉連隊長として軍服を着る、という習慣は、先述したナポレオン戦争時代のプロイセン王妃ルイーゼが試みたのが、世界初の実例でした。この王妃は、戦争中は指揮官として軍を鼓舞し、戦後もナポレオンとの難しい交渉に力を尽くしたのち、病を得て若くして亡くなり、伝説化されている人物です。

オリジナルの童話やバレエでは、ヒロインと恋に落ちる王子様という役柄のくるみ割り人形。この映画では、彼の立場は王国の一軍人にすぎず、原話やバレエの展開とはかなり違うわけですが、重騎兵か竜騎兵のような派手なヘルメットを被り、どちらかというと軍楽兵のような肩章や房飾りをちりばめた真っ赤な軍服は、彼が本来のタイトルロール(つまり主人公)である、と主張しているようです。演じるフォーラナイトは、今回、大抜擢されたほぼ無名の新人です。

モーガン・フリーマン、ヘレン・ミレン、キーラ・ナイトレイと、そうそうたる大物出演陣が、これらの若い世代をしっかりと支えています。特にナイトレイの役回りは、最後まで見ているとびっくり、というもので、なかなか役作りも難しかったと思うのですが、さすがに上手くこなしています。

チャイコフスキーの美しい楽曲がそのまま、要所に使われており、さらにミスティ・コープランドとセルゲイ・ポルーニンというバレエ界の大スターが舞踏するシーンも盛り込まれています。ポルーニンは近年、「オリエント急行殺人事件」や「レッド・スパロー」などに出演し、映画界でも目覚ましく活躍していますね。

これだけ盛りだくさんなのですが、意外にコンパクトで、上映時間も短め。とにかく豪華な衣装と美術が素晴らしく、映像美として極上といっていい作品です。また大事な家族を失った一家の再生の物語、という側面が心を打ちます。私は個人的に、登場シーンは少なかったものの、ヴィクトリア朝の抑制的な雰囲気の中で、愛妻を失いながら悲しみをぐっとこらえる父親ベンジャミン氏の姿が印象的でした。この役を演じたマクファデンは、「プライドと偏見」でキーラ・ナイトレイの相手役として有名になり、その後もラッセル・クロウ版「ロビン・フッド」でノッチンガムの悪代官、オーランド・ブルームらが出た「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」では三銃士の一人アトス、やはりナイトレイ主演の「アンナ・カレーニナ」でヒロインの兄の貴族オブロンスキー役など、いろいろな役を器用にこなす演技派です。こうして並べて見ると時代劇が得意なようで、本作でもいい仕事をしていると思いました。 

本作は、大ヒット作となった「ボヘミアン・ラプソディ」と公開が重なり、アメリカでの興行的には苦戦した模様。しかも、そもそもはディズニーが製作していた実写版「ムーラン」が延期となってしまい、その本来の公開スケジュールに代わりとして入れられた、という不運な作品ですが、やはりクリスマス映画として今、大画面で見るのにふさわしいと思います。

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2018年11月30日 (金)

【映画評 感想】ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

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 映画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」
Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwaldを見ました。「ハリー・ポッター」シリーズ8作品の後を受けて、2016年に始動した前日譚シリーズの2作目です。

今作は、アメリカから欧州に舞台が変わり、あのダンブルドア校長の若き日や、1920年代のホグワーツ魔法学校が登場します。いかに、その後のハリーの時代に向けて、お話がリンクしていくのか。非常に楽しみな展開となっております。

たとえば、シリーズ第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」で、いつもターバン姿のクィレル先生が、ヴォルデモート卿復活のために賢者の石を使おうとして執着し、最後にはハリーたちに倒されました。このタイトルにもなった賢者の石を製作した錬金術師ニコラス・フラメルが、今回の映画の終盤に登場します。このNicolas Flamelというのは、1330年生まれ(ということは、百年戦争の時代!)の実在の人物です。当然、20世紀初頭には600歳前後、「ハリー・ポッター」第一作の時点で、665歳だった、とされております。

また、後にヴォルデモートのしもべとして現れる大蛇ナギニ(スネイプ先生の命を奪ったあの蛇です)も、本作で意外な形で初登場します。

 こうした、後のハリーの時代に通じる伏線が、徐々に明らかになってくる感じの「ファンタビ2」なのであります。

 

アメリカで密かに活動していた闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルド(ジョニー・デップ)は、前作の終幕でニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)やティナ・ゴールドスタイン(キャサリン・ウォーターストン)たちの活躍により捕えられました。

彼を収監しているアメリカ魔法議会のピッカリー議長(カルメン・イジョゴ)は、欧州魔法界の要請もあり、グリンデルバルドの身柄を欧州に移送して厄介払いすることを決めます。

しかし、移送の途中でグリンデルバルドはまんまと脱走。同じ頃、ロンドンに戻ったニュートは、アメリカでの一連の騒動の責任を問われ、英国魔法省から海外渡航禁止を命じられます。同省の幹部である兄テセウス・スキャマンダー(カラム・ターナー)は、渡航禁止を解く代わりに、魔法省に入省し、グリンデルバルドの行方を追うよう求めますが、自由を愛するニュートは、拒否してしまいます。この際、前作でグリンデルバルドに操られ、強大な悪の魔法使いの資質を開花させた少年クリーデンス(エズラ・ミラー)が死んでおらず、やはり欧州に潜伏していること、魔法省は彼の行方も追っていることを知らされます。

ニュートはホグワーツ学院時代の恩師アルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)と再会し、クリーデンスやグリンデルバルドの追跡をするよう無理矢理、頼み込まれてしまいます。そんな中、アメリカからティナの妹クイニー(アリソン・スドル)が、前作でニュートと共に行動した一般人(非魔法族)のジェイコブ(ダン・フォグラー)を連れて、突然、現れます。クイニーはジェイコブと結婚したがっていますが、非魔法族との結婚はアメリカの魔法法に違反しているため、クイニーの投獄という結果を招きます。そのことを恐れるジェイコブの煮え切らない態度にクイニーは苛立ち、それが発端で二人は喧嘩別れしてしまいます。

クイニーはパリでクリーデンスの後を追っているティナの元へ向かいます。ニュートとジェイコブも、密かにパリに出国します。その間のやり取りの中で、ニュートは、ティナがニュートのことを誤解して怒っている、という事実を知ります。というのも、最近、アメリカの魔法雑誌に、ニュートがホグワーツ時代の同級生リタ・レストレンジ(ゾーイ・クラヴィッツ)と結婚する、という記事が大きく掲載されたからです。しかし事実は、リタが婚約した相手はニュートの兄テセウスでした。

その頃、グリンデルバルドはパリで活動を再開していました。クリーデンスがパリにいることを知って、再び利用しようという目論見です。

魔法サーカス団の末端メンバーとなっていたクリーデンスは、美女の姿から大蛇に変身し、見世物となっていたナギニ(クローディア・キム)と共にサーカス団を脱走します。クリーデンスは自分の出自を探しており、そのヒントはパリにあると聞いていたのです。

ティナは、クリーデンスの行方を知っているらしいユスフ・カーマ(ウィリアム・ナディラム)を追跡しますが、逆に捕らえられてしまいます。ニュートとジェイコブは、ティナを救出し、ユスフから事情を聞きます。どうもクリーデンスは、ニュートの兄の婚約者リタの出身一族、フランスの名門レストレンジ家と関わりがあるようです。

 テセウスら英国魔法省の幹部は、ホグワーツ学院に赴いてダンブルドアを訪れ、協力を要請しますが、彼はグリンデルバルドと戦うことを拒否し、軟禁状態に置かれてしまいます。どうも彼には、グリンデルバルドと過去に深い関わりがあったようですが…。

 ニュートとティナは、フランス魔法省に赴く中で、お互いの誤解を解き、愛を確かめ合います。そして、資料庫でクリーデンスの過去がレストレンジ家につながることを突き止めます。ここでやはり、問題の発端がレストレンジ家の墓所に隠されていることを知ったリタも加わり、一同はパリ郊外の墓地に向かいますが、そこでは驚愕の事実が明らかになります。

 その墓地のすぐ隣で、グリンデルバルドは支持者を集めた大集会を開催。彼は、非魔法族がこれから引き起こす戦乱(後の第二次世界大戦)を予言し、魔法族による人類の支配を呼びかけるのでした。ダンブルドアの旧友、錬金術師のフラメル(ブロンティス・ホドロフスキー)も登場して、パリでの決戦が近付いていました…。

 

 ということで、原則として学園ものだった「ハリー・ポッター」とは大きく異なり、世界を股にかけた壮大なお話になってきた「スキャマンダー」シリーズです。特に今回は、大都会に潜伏する容疑者を追跡する犯罪捜査もののようなテイストが加わって、非常に見応えのある展開です。グリンデルバルドは正に「魔法界のヒトラー」というべき得体のしれない怪人物で、ジョニー・デップにとっても久々の当たり役となったように思います。ひたすら凶暴で絶対悪だったヴォルデモートと比較しても、本質的な危険さでは、この人物の方が上回っていたように思われます。後年、長年の監禁を経てヴォルデモートに殺される寸前のグリンデルバルドが、「お前にはまだ分かっていないことが多すぎる」とあざ笑ったのも、単なる強がりではなかったのでしょう。

 グリンデルバルドとダンブルドアが、かつて同性愛関係にあったことも、短いシーンですが明瞭に描いていまして、この話が単純な善と悪の戦い、といったものではすまない一面を提示しています。何しろ、ダンブルドアもかつて、グリンデルバルドの同志だったわけで、また彼が最愛の妹を失ったのも、グリンデルバルドとの関わりが一因でした。

 2人の因縁は、結局、ハリーがすべてを終わらせ、グリンデルバルドの「ニワトコの杖」をへし折るまで持ち越されたわけです。それを知っている人には感慨深い描写の数々だと思います。

 やがて単なる蛇となり、人間性を失って、ヴォルデモートに使役される運命にあるナギニも、それを知ってしまうと悲しいです。本作の段階では、決してグリンデルバルドの仲間になることもなく、自分を失ってもいないキャラとして描かれています。彼女が今後、どのような変遷を経て、70年後の物語に繋がっていくのか、も興味深いところです。

 当初は3部作の予定だった本シリーズも、結局、5部作になったそうで、次回作は2020年に公開予定だそうです。今後の展開が楽しみです。

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2018年10月18日 (木)

【映画評 感想】 ルイスと不思議の時計

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  映画「ルイスと不思議の時計」
The House with a Clock in Its Wallsを見ました。原題を直訳すると「壁の中に時計がある家」ということになりますが、実際、原作小説はこれまで『壁の中の時計』というタイトルで知られていました(今後は、映画と同じタイトルに統一して再刊されるようです)。

孤独な少年が、一通の手紙を受け取ったことで、魔法使いの世界に招かれ、世界の運命に関わるほどの大事件に巻き込まれていく…こう大筋を聞くと、「ああ、これもあまたあるハリー・ポッターの亜流作品でしょう?」と思われる方も多いと思います。しかし事実は全く逆でして、作家ジョン・ベレアーズ(193891)の原作は1973年に発表され、その後、12冊もシリーズを重ねたベストセラーです。1997年に世に出た『ハリー・ポッターと賢者の石』よりずっと先輩なわけで、いやむしろ、設定面で影響を与えているとも言われています。

映画を見てかなり驚いたのですが、児童向けの軽いお話か、と思ったらとんでもない。非常にシリアスで大人向けの要素が盛り込まれています。家族の喪失と再生のテーマは、まことに感動的で、心を揺さぶられます。登場する人物は、悪役も含めて、多くが何らかの形で心に深い傷を負った人たちです。そして、どこか社会と溶け込めず、生きづらい「風変わりな人たち」でもあります。そのあたりの丁寧な描写が、ドラマを分厚いものにしています。

時代背景は1955年。第二次大戦の終結から10年しかたっていない時期です。その戦争の影が、こんなに色濃く反映されている作品とは思いませんでした。

考えてみると、本作の製作会社はスティーヴン・スピルバーグ率いるアンブリンで、メガホンを執ったイーライ・ロス監督も、俳優として大戦もの映画「イングロリアス・バスターズ」に出演している経歴があります。おまけに脚本を担当したエリック・クリプキ(著名な哲学者ソール・クリプキの甥です)も合わせて、この3人とも、ユダヤ系アメリカ人。となると、第二次大戦の扱い方が原作と異なってくるのも、そのへんに理由があるのだろう、と察しがつきます。

この作品の主要人物にフローレンス・ツィマーマン夫人という人が出てきます。これを大女優ケイト・ブランシェットが演じているのが本作の最大の話題ですけれど、ツィマーマンZimmerman(ツィンメルマン)とはドイツ系、それも多くユダヤ系とされる姓です。ボブ・ディランの出生時の本名Robert Allen Zimmermanも同様で、ドイツ系ユダヤ人の家系です。原作小説では、この夫人の出自について全く触れられていないそうですが、本作でこの人は、間違いなくドイツ系(少なくとも夫がドイツ系)であり、そして大戦中にナチスの強制収容所に入れられていたことが明確に描かれるシーンがあります。子供向け、と思って見ていると、実に衝撃的な一瞬です。

また、本作で重要なカギを握るアイザックという人物がいますが、彼は大戦中に米陸軍に召集され、欧州戦線で部隊が全滅。一人生き残ってドイツの「黒い森」を彷徨するうちに、いわゆるダークサイドに堕ちてしまいます。背景は明示されていませんが、オカルト的な秘儀に傾倒していたナチス親衛隊の所業が、この事件の発端ではないか、と想像することは、決して的外れではないように思われます(実際、スピルバーグの映画ならさもありなん、という構図です)。ちなみに、アイザック(イサク)という名前も、ユダヤ系に多い、とされます(たとえばSF作家のアイザック・アシモフ、ヴァイオリニストのアイザック・スターンなど)。

このような要素は原作では描かれておりません。原作者ベレアーズは当初から、ある程度、意図して時代設定や登場人物の名前を決めていたとは思いますが、少なくとも児童向け作品である原作には、ナチスや戦争の問題は特に明示されていないのです。映画版では、第二次大戦という時代背景と絡めた描き方をしたことで、物語がきわめて重厚になったことは間違いありません。

もちろん、トータル的には、スリルと冒険がいっぱいの楽しいファミリー娯楽映画、という枠内の作品であって、そういう要素だけでみても非常によく出来ています。見終わって、ことさら政治的な作風とは感じません。製作動機にそういうメッセージが強いとも感じません。もっと普遍的な作品だと思います。

しかし、単純明快な商業作品ですまさなかった製作者や監督の、表現者としての意地とか、こだわりも感じる一作です。戦時中のユダヤ人の問題が、もっと大きな意味で「社会から疎外される人たち」というテーマ性とリンクして、単なる魔法映画と一味ちがう力強さを与えていると感じます。その甲斐もあったのか、大きな予算の大作ではないですが、評判は上々で、興行的にもかなり成功したそうです。

 

 両親が突然の事故で他界し、孤児となった10歳の少年ルイス(オーウェン・ヴァカーロ)。それまで疎遠だった母親の兄、ジョナサン(ジャック・ブラック)から一通の手紙が届き、ルイスはミシガン州の閑静な街ニューゼベディに向かいます。伯父ジョナサンは古い屋敷に住んでいますが、時計や気味の悪い人形だらけの、いかにも薄気味悪い建物です。

 伯父の言動は風変わりなもので、ルイスは面食らってしまいます。隣人のツィマーマン夫人(ブランシェット)もどこか不思議な人物で、2人とも何かを隠しているように見受けられます。反対側に住む隣人ハンチェット夫人(コリーン・キャンプ)も伯父さんにあまりいい印象は持っていない様子で、ルイスは新生活に不安を感じます。

 新しい学校でも、ルイスはうまくいきません。伯父さんを風変わりだと思ったルイスですが、当の本人もテレビ番組のヒーローに憧れていつもゴーグルを愛用している夢見がちな少年で、集団スポーツは苦手、というタイプ。仲間に溶け込めず、浮いた存在になってしまいます。唯一、友達になってくれたのはクラスのリーダー格で、新学期の級長選挙に立候補しているタービー(サニー・スリッチ)だけ。ほかに、こちらもちょっと風変わりで、周囲から浮いている女の子ローズ(ヴァネッサ・アン・ウィリアムズ)がルイスに興味を持ちますが、「もっと普通になれよ」と言うタービーに気に入られたいルイスは彼女を避けてしまい、距離は縮まりません。

 やがてルイスは、ジョナサンとツィマーマン夫人が単なる風変わりな人、ではなく、ホンモノの魔法使いである事実を知ります。そしてこの屋敷のどこかに、世界の運命を左右する魔法の時計が隠されており、2人はそれを見つけ出そうとしていることを聞かされます。今から1年前、この屋敷の前の持ち主だった魔法使いアイザック(カイル・マクラクラン)と、その妻で邪悪な黒魔術師のセリーナ(レネー・エリス・ゴールズベリー)は、危険な実験に失敗して死亡。残された屋敷を引き継いだジョナサンは、アイザックが完成させようとしていた危険な魔法の時計を、何とかして葬り去ろうと苦心していたのです。

 ある夜、寝床に就いたルイスは、夢で亡き母親(ロレンツァ・イッツォ)と出会います。母親は、伯父さんが隠している秘密の本を見つけ出すようにルイスに告げます。

 そして、ジョナサンが隠している降霊術の魔導書を発見したルイスは、級長選挙が終わってから急に態度が冷たくなったタービーの歓心を引くために、墓場で死者を蘇らせる実験を行ってしまいます。

 その結果として、この世に蘇ったのは、世界の破滅を望んだ黒魔術師、アイザックその人でした。ジョナサン、ツィマーマン、ルイスは秘密の時計を見つけ出し、アイザックがこれを起動してしまう前に、彼の野望を止めなければなりませんが、タイムリミットは刻々と迫っていました…。

 

 というようなお話で、なんといっても芸達者なケイト・ブランシェットとジャック・ブラックの漫才のような掛け合いが絶妙です。セリーナ役のゴールズベリーはトニー賞を受けている有名なミュージカル・スターですが、本作では歌うシーンが全くないのは残念でした。

また、ルイス役のヴァカーロ始め子役たちがうまいこと。物語のかなりの部分は子供たちだけが出演するシーンですが、見事に演じています。本作では登場シーンが少ないローズという女の子は、実は原作の2作目以後、ルイスと組んで冒険を繰り広げるヒロイン格になるのですが、映画の方はシリーズ化という可能性はあるのでしょうか?

とにかく、2時間弱の中で、非常に充実した内容でして、豪華なキャストの名演も含め、これは拾い物と言ってよい一作でした。日本ではそんなに話題になっていない作品かと思いますが、かなりお薦め、特に、学校や集団で「変わり者」と見られやすい、という人にはお薦めです。この作品は、そんなちょっと風変わりで、窮屈な社会で生きづらい人たちへの愛に満ちています。

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2018年9月28日 (金)

【映画評 感想】スカイスクレイパー

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  映画「スカイスクレイパー」原題:
Skyscraperを見ました。スカイスクレイパーとは「摩天楼」の意味ですが、本作はそのものズバリ、最新鋭の超高層ビルを舞台に繰り広げられる「密室パニック・アクション」という系譜の一作です。ということになれば、同様に高層ビルからのサバイバルや、テロリストとの死闘をテーマとした過去の大ヒット作品「タワーリング・インフェルノ」や「ダイ・ハード」が想起されますが、本作はそれらのリメイクではないにしても、影響を受けた、と製作側が公言しています。実際、一部では先行作品に話が似すぎている、との評もあるようです。

しかし、本作の主演・製作はドウェイン・ジョンソン。結局、この人が出ることで、映画も「ドウェイン印」の作品という印象になり、スティーブ・マックイーンでもなければ、ブルース・ウィリスでもない現代のお話、というイメージになるのは間違いないところ。

このところのジョンソンの活躍ぶりはすさまじく、「モアナと伝説の海」「ワイルド・スピード」「ジュマンジ」「ランペイジ/巨獣大乱闘」と、関わった作品は軒並みヒットを連発しております。今やアメリカを代表するアクション・スターになった、と言っていいでしょう。この人が、元々はプロレス界の大御所選手「ロック」だった、という事実も、既に若い世代の人は知らない、というほどに映画界で成功しました。

それでも、ドウェイン・ジョンソンというキャラは、その出自から言って、破格の身体能力を持っていることが前提の人物なわけです。別に特撮でもなく、何かの超能力でもなく、本当に格闘すれば相手をねじ伏せる戦闘能力があり、自動車を投げ飛ばせるような怪力の持ち主なので、いってみれば「本物のヒーロー」。画面の中だけのコミック・ヒーローとは勝手が違います。よって、今までは超人的な人物を演じることが多かったのですが、今回は新しい試みとして、ハンデのある身体障害者、かつてある事件に巻き込まれ、左脚を失った人物、という役柄に挑戦しています。

こうなると、さすがにロック様といえども、全力疾走はできないし、派手なキックも決まりません。特に段差を越える、よじ登るといったアクションのたびに、何をするにも制約があります。そういう意味で、ジョンソンが「普通の人」を演じる、いやむしろ「通常以上に制約が多い立場」を演じる、という点が、非常に目新しく感じます。これまでですと、ついつい「彼なら実際に、このぐらいの事はできるだろう」などと、どこか安心して見てしまったわけですが、本作での彼のアクションは、言ってみればパラリンピックの選手を応援しているような、どこかハラハラした感覚になるのが見どころです。

そんな主人公が、決死の難行苦行に立ち向かう理由が、愛する家族を助けるため、というのも巧妙な設定です。家族がビルの中で危険な目に遭っている、という状況でなければ、単なるビジネスマンであるこの主人公は恐らく、無茶な行動をとる必要はなかったでしょう。世界を救うとか、正義を行うのではなく、あくまでもファミリーのために一途に行動する、という要素が熱い共感を呼びます。

それからもう一点、本作の現代的な背景をみると、中国資本がバックにあるレジェンダリー製作の映画らしく、ビルが建つのは香港であり、出演者も中国系の人が多い、という点が挙げられます。これも、いかにも21世紀の映画です。

一方で、映画の終盤には、「燃えよ ドラゴン」や「007 黄金銃を持つ男」で印象的に使われたミラー・ルーム(鏡の間)を想わせるアクションもあり、先行作品へのリスペクトも強く感じさせています。

 

 10年前、アメリカで発生した人質立てこもり事件。海兵隊を除隊後、FBIの特殊部隊指揮官を務めるウィル・ソーヤー(ジョンソン)は、現場に突入。しかし一瞬の隙を突いた犯人は自爆を図り、ウィルも瀕死の重傷を負います。

 海軍病院に運び込まれた彼を手術したのは、アフガン戦線帰りの軍医将校、サラ(ネーヴ・キャンベル)でした。ウィルは左脚を失い、FBIを退職することになります。

 そして現在。事件が縁でウィルはサラと結婚し、かわいい子供2人に恵まれました。経歴を生かして小さなセキュリティー会社を設立し、ビジネスマンとして活躍しています。

 10年前の事件で、一緒に爆発に巻き込まれて負傷し、FBIを辞めたベン(パブロ・シュレイバー)が、香港での大きな仕事を紹介してくれます。中国の大富豪ジァオ・ロン・ジー(チン・ハン)の部下となったベンは、ジャオが7年がかりで建設した1066メートル、240階建ての世界最高層ビル「パール」の保安審査を依頼してきたのです。

 ウィルはサラと2人の子供を連れて香港に赴きます。半年かけた書類審査でビルの構造や保安体制を頭に入れたウィルは、最終審査の日、家族を動物園のパンダ見物に送り出した後、ジャオと面会して審査結果を報告します。

その後、ベンと街に出たウィルは、ビルから離れたところにある管理センターを訪れようとしますが、途中で何者かに襲われて、鞄を盗まれてしまいます。ウィルは最終検査のために、全システムにアクセスできるタブレットを渡されていましたが、襲われる前に、鞄から上着のポケットにそれを移しており、盗まれずに済みました。

 ところが、その事実を知ったベンの顔色が変わります。ベンのアパートに招かれたウィルは、豹変したベンから突然、暴行を受けます。ベンの狙いはタブレットで、窃盗犯もグルだったのです。

 ウィルの左脚を攻撃してくる卑劣なベンの攻撃をなんとかかわし、その場を逃れたウィルでしたが、今度は謎の女テロリスト、シア(ハンナ・クイリヴァン)の攻撃を受け、タブレットを奪われてしまいます。シアの一団は管理センターを襲撃し、ウィルから奪ったタブレットを使い、ビルのシステムを乗っ取ってしまいます。

 その間に、潜入していた国際テロリスト、コレス・ボタ(ローランド・ムーラー)がビルに火を放ち、大火災が発生します。シアが防火装置を切ってしまったので、火は瞬く間に燃え広がります。

 サラと子供たちは、長男が体調不良を起こして早めに動物園を去り、この時には、ビルの上階にある宿泊室に戻ってしまっていました。家族がビルの中に取り残されたことを知ったウィルは、何とかしてビルの中に入ろうとします。

 しかし、そんなウィルの行動を見た香港警察のウー警部(バイロン・マン)は、保安システムを熟知するウィルが、テロリストの一味であると疑い、部下に彼を逮捕するように命じます。

 こうして、警察に追われ、テロリストとも戦いながら、燃え上がるビルの中に突入していくウィルは、愛する家族を守り抜くことができるでしょうか。そして、テロリストたちの狙いは何なのでしょうか…。

 

 サラ役のネーヴ・キャンベルは、ホラー作品「スクリーム」シリーズのヒロインとして有名ですが、今回は子供を守って戦うお母さん、という役どころがカッコいいです。彼女を、元は戦地帰りのバリバリの海軍将校という設定にしたのが巧妙ですね。武闘派であるのは当たり前ですので、サバイバル・シーンでも、武器をとっても、格闘シーンでも、そういう人物像なら、全く違和感がありません。

 ウィルが、外部の人間なのにビルの構造やシステムを、何もかも熟知している、という設定もうまいです。保安審査の担当者、というのは秀逸な状況を考えたものです。

 今回のもう一人の主人公といえるのが、高さ1キロを超える240階建ての架空の摩天楼「パール」です。これが魅力的に描けないと、映画としても台無しになりかねませんが、技術監修に世界的に著名な設計家エイドリアン・スミスを据えて、実際にビルを建てるように設計してもらったそうです。同氏はドバイにある実在の世界最高のビル「ブルジュ・ハリファ」(828メートル、206階建て)の設計者ですが、なるほど、この人のおかげで、ビルの実在感、リアリティーは素晴らしいものがあり、本当にこんなビルがあるような感覚を覚えます。ちなみに「東京スカイツリー」は634メートル、地上160階で、今現在はブルジュ・ハリファに次ぐ高さがあります。

 最後まで、一瞬の無駄も緩みもない構成は堅実で、この種の作品のお手本と言っていいかもしれません。このあたりは、やはり21世紀の映画です。

 中盤からは濃密なアクション満載となりますが、私のように高いところが苦手な人間からすると、映画だと分かっていても足がすくむようなシーンが続出で、思わず手に汗を握ります。充実の一作です。

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2018年9月21日 (金)

【映画評 感想】ザ・プレデター

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  映画「ザ・プレデター」原題:
The Predatorを見ました。あの1987年に大ヒットしたアーノルド・シュワルツェネッガー主演「プレデター」を受ける形の続編です。

一作目から約30年後、ということになっており、劇中でも何度か「87年に現れて以来…」などと言及されます。当初はシュワちゃんがカメオ出演、という話もあったようですが、今回は実現しませんでした。

あの「プレデター」は、85年の傑作「コマンドー」の続編か、と思わせるような戦争アクションから、後半は一転して、兵士が一人、また一人と殺されていくSFホラーになる展開が斬新で、シュワちゃんにとっても初期の成功作の一つとなりました。

それで、今回の作品のメガホンを執るシェーン・ブラック監督は、一作目でシュワちゃんの部下ホーキンス兵卒役で出演していた人です。下品な冗談ばかり飛ばしていたら、プレデターによる人間狩りの最初の犠牲者になってしまう、という役柄でした。

そんなわけで、このシリーズの最初から熟知している監督だけに、一作目への思い入れと言うものも感じさせつつ、これまでシリーズ作品が作られてきた中で、みんなが抱いてきた疑問、「彼らは一体、なんで地球にやって来るのか?」「強い相手を血祭りに上げることが、彼らにとって(文化的な意義のほかに)なんの意味があるのか?」「彼らの知的レベルはどのくらいで、人間の言葉を操れるのか?」といったテーマに応えるような内容になっております。

さらに、最初から言われてきた素朴な疑問、このエイリアンは生存のために食料を狩るのではなく、一種の娯楽のように殺戮を楽しむのだから、「プレデター(捕食者)」ではなくて「ハンター(狩人)」と呼ぶ方が適切ではないか、ということにも、映画の中で言及していたりもします。

 今回の作品の一つの軸は、最近の映画でよく描かれる「破綻している夫婦」および「親子の絆」というテーマ。それからもう一つは、正規の組織から排除された犯罪者やならず者の部隊が、非常時を迎えて大活躍する、というパターンです。つまり、古くは「七人の侍」や「特攻大作戦」「戦略大作戦」、それに「兵隊やくざ」などもそうでしょう。近年で言えば、そういった作品の影響を受けた、と製作側が公言している「スーサイド・スクワット」や「ローグ・ワン」もそれに当たります。

 そういうわけで、最新の技術を使った映画である一方、どこか80年代以前のアクション映画のようなノリがある作風です。

 

元米陸軍の特殊部隊の狙撃手で、殊勲勲章や銀星勲章を受勲しているクイン・マッケナ大尉(ボイド・ホルブルック)。今は部下と共に傭兵稼業に就き、南米某国で麻薬組織のボスの暗殺作戦に成功します。しかし、そこで異変が起こり、突如飛来した異星人の宇宙船の墜落に巻き込まれます。宇宙船から現れたプレデターは部下を皆殺しにしますが、マッケナはプレデターの装備品であるガントレット(腕に着ける防具)を奪い、これに搭載されていた武器でプレデターを負傷させます。マッケナはガントレットとマスクを証拠品として持ち去り、自宅の最寄りの郵便局私書箱に発送。マッケナが立ち去った後、異星人対策の専門機関「スターゲイザー」のウィル・トレーガー(スターリング・K・ブラウン)が現場に到着し、傷ついたプレデターを捕獲しました。

 帰国したマッケナはスターゲイザーに逮捕され、脱走兵や犯罪者が送致される軍刑務所送りになってしまいます。彼が私書箱に送付したプレデターのマスクとガントレットは、私書箱が滞納扱いとなって留守宅に送り届けられ、発達障害がありながら、天才的な知性を持つ息子ローリー(ジェイコブ・トレンブレイ)の手に渡っていました。ローリーはプレデターの装備品の扱い方をたちまち独学で理解し、これを起動させてしまいます。

 トレーガーは、動物生態学の第一人者ケイシー・ブラケット博士(オリヴィア・マン)を強制的に徴用して研究施設に連れてくると、プレデターが今回飛来した目的を探ろうとしますが、プレデターが、かつて地球に来た時と異なり、人類の遺伝子を組み込んでいる事実に気付き、一同は愕然とします。マッケナの乗る護送バスは、スターゲイザーの秘密基地に呼び戻されますが、ちょうどその時、ローリーが起動した装置に反応してプレデターが息を吹き返し、基地から逃亡。

さらに同じころ、やはり装置の起動に気付いた別のプレデターが、地球目指してやって来ます。この2体目のプレデターは、3メートル近い巨体で、遺伝子の組み換えで強化された新型プレデターです。

マッケナは、一緒に護送されていた受刑者である5人の兵士たちと協力してバスを奪い、プレデターを追跡していたケイシーと共に、自宅に向かいます。というのも、プレデターたちが狙うのは、息子のローリーが起動させた装置だと悟ったからです。

ちょうどハロウィーンのその時期、ローリーは母親エミリー(イボンヌ・ストラホフスキー)に無断で、街に出てしまいます。様々な仮装を楽しむ子供たちに交り、ローリーはプレデターのマスクを被り、腕にガントレットを装備していました…。

 

 主役のボイド・ホルブルックは、なかなかふてぶてしい軍人役が似合っています。最後に正規の軍服アーミー・サービス・ユニフォームを着込んだ姿も様になっていました。シュワちゃんの後継者、というのとはタイプが違いますが、人間臭さのある欠点も多い男、というのを好演しています。この人、「LOGAN/ローガン」で敵役をやって注目されていましたね。ケイシー役のオリヴィア・マンも「マジック・マイク」「NY心霊捜査官」と話題作でキャリアを重ね、「X-MEN アポカリプス」でブレイクしました。実はこの人、お父さんが在日米軍に在籍して日本で育ったので、初期には日本でモデル活動しており、日本語もかなり出来るそうです。

 ジェイコブ・トレンブレイは、ブリー・ラーソンにアカデミー賞をもたらした「ルーム」で有名になった天才子役。今回は、実際に自閉症の子供たちと接して役作りをしたそうで、これが実に見事です。

 なお、一部のネット情報で、陸軍の将軍という役柄でベテランのエドワード・ジェームズ・オルモスが出演しているように書かれています。どうも撮影はしたようですが、出演シーンは全部カットされていて、今回の本編で彼は一切、出ておりません。DVD化すると復活するかもしれませんが。

 「なんで今さらプレデター?」という当初の疑問は、見てみると忘れてしまいます。やはり、一作目から関わるブラック監督が、「1987年以来の疑問点を解決しよう」と意気込んだ成果が、脚本に現れていると思いますね。細かいところを真面目に考えると、突っ込みどころもあるでしょうが、やはり、30年を経て世界観が見えてきた、という印象が強い作品です。私は「そうか、そういうことだったのか」と、長年の疑問点が、色々と腑に落ちた作品でした。SF要素、アクション、ドラマ、適度なギャグ、と各要素のバランスもよく、期待以上の快作になっている、と思いました。

 

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2018年9月15日 (土)

【映画評 感想】アントマン&ワスプ

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映画「アントマン
&ワスプ」原題 : Ant-Man and the Waspを見ました。2015年の「アントマン」の続編であり、「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズとしては、記念すべき20作品目の映画となります。

「ナイト・ミュージアム」などのコメディー出演が続く俳優ポール・ラッドが主演の「アントマン」は、正統派のヒーローが多いマーベル・シリーズの中では異色です。もともと泥棒出身で、妻から離婚された落ちこぼれの三枚目、虫のように小さくなって戦う、という設定は他には見当たりません。

東欧の小国ソコヴィアが壊滅した悲劇を機に、国連主導で締結された、超人たちの活動を各国政府の監視下に置く「ソコヴィア協定」を巡り、ヒーローたちがキャプテン・アメリカ派とアイアンマン派に分かれて内部抗争することになった「キャプテン・アメリカ/シヴィル・ウォー」の戦いでは、アントマンは協定を否定するキャプテン側の味方として参戦しましたが、これに続き、最強の敵キャラ、サノスが地球に攻めてきた「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」では一切、アントマンは姿を見せませんでした。

これは意図的なもので、非常にシリアスで悲劇的なインフィニティ・ウォーの作風にアントマンは合わない、という明確なものがあったそうです。やはりアントマン・シリーズは、ちょっと三枚目でコミカル、楽しい作品でありたい、ということなのですね。

そこで、この作品では、他のヒーローたちが全宇宙の命運をかけて死闘を繰り広げていたインフィニティ・ウォーの戦いのさなか、アントマンたちは何をしていたのか、どういう事情でこのメインの決戦に参加できなかったのか、が描かれます。

ところが、これがわき筋の小さなお話なのか、というと、もちろんミクロの世界、量子の世界にまで小さくなるアントマンなので、小さいと言えば小さいのですが、お話のスケールは大きいです。

それに出演陣が実に、豪華絢爛です。ミシェル・ファイファー、マイケル・ダグラス、ローレンス・フィッシュバーンと大御所クラスが名を連ねていて、それらのあり余る演技力で、コミックだとかヒーローものだとかいう先入観を簡単に打ち破ってしまいます。

今回は特に「家族愛」が大きなテーマです。ここの描き方が大きな感動を呼びます。実力派のキャストを得て、よく出来た脚本が生きている、と思いました。

 

 米ソ冷戦時代の1987年、ソ連の核ミサイル暴発を阻止するため、当時、平和維持組織シールドのメンバーだった初代アントマンことハンク・ピム博士(ダグラス)と、やはり初代ワスプで妻のジャネット(ファイファー)は、爆発の迫る弾頭に到達します。もはやこれを止めるには、量子サイズにまで小さくなって内部に入るしかなく、しかしそれは、制御不能なほどのミクロ化であり、二度と普通の世界に戻れないことを意味しました。ジャネットは犠牲を払い、姿を消しますが、ミサイルは無事に破壊されました。

 それから30年もの間、シールドを離れたハンクは、娘のホープ(エヴァンジェリン・リリー)と共に、姿を消したジャネットを元のサイズに戻すための研究を続けています。

 その後、前作で二代目アントマンとなったスコット(ラッド)が、量子レベルに縮小した後、元の世界に生還した事実が、2人に光明をもたらしました。この事実により、ジャネットを探し出して元に戻すことが、本当にできるかもしれない、と思われたからです。

 ところが、3年前の「シヴィル・ウォー」の戦いで、スコットは2人に無断でキャプテン・アメリカ側について参戦してしまい、ヒーローの活動を制限する国連の「ソコヴィア協定」違反に問われて逮捕され、2年間の自宅監禁処分を受けてしまいます。

スコットがFBIに逮捕されたせいで、ハンクとホープの父娘も、官憲に追われる立場になってしまい、潜伏することになった父娘と、スコットとの関係は切れてしまいました。

 逮捕されてからの日々、スコットは元妻のマギー(ジュディ・グリア)たちとうまく付き合いながら、娘のキャシー(アビー・ライダー・フォートソン)との交流を唯一の楽しみに、FBIのウー(ランドール・パーク)の厳しい監視を受けつつ、処分が解けるのを待っています。スコットが、かつての泥棒仲間たちと立ち上げた防犯会社は、ルイス(マイケル・ペーニャ)に社長を任せていますが、スコットを欠いてはうまくいかず、倒産すれすれの状態。

 監視処分の解除まで、あと3日に迫ったある日、スコットは非常にリアルな夢を見ます。それは、幼い日のホープが衣裳部屋で隠れん坊をしていて、母親のジャネットに見つかる、という光景でした。気になったスコットは、FBIから禁じられているにもかかわらず、ハンクに電話してしまいます。

 次の日、スコットは家から拉致されます。犯人はホープとハンクでした。2人はスコットの夢は、ジャネットからの何らかの信号であると判断し、スコットに協力を求めます。

ホープは、ジャネットを救い出す「量子トンネル」の実験に必要な部品を手に入れるために、闇ブローカーのソニー(ウォルトン・ゴギンズ)に接触します。しかし、ソニーはFBIの内通者から事情を聞いており、部品と引き換えに量子分野の研究を悪用し、ひと儲けすることを提案してきます。これを断ったホープは、スコットと共に部品を力ずくで手に入れようとしますが、そこに思いがけず謎の敵が現れ、妨害されます。まるで幽霊のように壁をすり抜け、実体化と消滅、瞬間移動を繰り返すゴースト(ハンナ・ジョン・カメン)は、ハンクが実験に使っている縮小サイズの研究設備を持ち去ってしまいます。

スコットたちは途方にくれる中、協力してくれそうな唯一の人物を思いつきます。それはかつてシールドでハンクの同僚だった大学教授のビル・フォスター(フィッシュバーン)。ハンクとビルは昔から反目している仲で、30年ぶりの再会は険悪なものになります。しかし、その助言を基にゴーストの拠点を突き止めたスコットたちは、研究設備を持ち出そうとした瞬間、あっさりとゴーストの返り討ちに遭って捕えられてしまいます。

 実はゴーストことエイヴァ・スターと名乗る彼女は、父がハンクから追放されたシールドの研究者で、その後、ハンクを見返すために行った量子実験に失敗し、母と共に爆死したこと、自分は独り生き残ったものの、量子レベルで存在の安定しない特異体質となったこと、そのために長らくシールドで実験体として使われ、さらに破壊工作員まで務めていたことを語り、自分たち家族の悲劇の責任はハンクにある、となじります。ビルは孤独なエイヴァを助けて、ずっと見守ってくれた父親のような存在でした。エイヴァは、自分の身体が長く持たず、治療するにはハンクの量子実験設備が必要、と考えたのです。

 隙を見てその場を脱出したスコットとハンク、ピムは、ついにジャネットからの確かな通信を受け取ることに成功します。しかし、そこにFBIの一団が押し寄せ、ゴースト、ソニーも現れて大騒動に発展、事態は急展開していきます…。

 

 ということで、コミカルなシーン、鮮やかな戦闘シーン、人間ドラマのシーン、とテンポよく話が組み合わさり、さすがに極上のエンターテインメントになっています。安定したベテラン陣と、「ホビット」シリーズで名を上げたエヴァンジェリン・リリー、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」以来、急激に注目度が増している新星のハンナ・ジョン・カメンら若い世代の実力派が、がっちりと魅力を引き出し合っている感じが見て取れます。きっと、非常に感じの好い撮影現場だったのではないでしょうか。

 興味深いのが30年前の回想シーンで、マイケル・ダグラス、ミシェル・ファイファー、ローレンス・フィッシュバーンがそれぞれ、若いころの姿で登場します。これは、各人の8090年代の出演作品を基に、若いころの顔をCGで再現しているそうで、本当に昔の本人が出演しているようです。以前はこういう場合、不自然な若作りメイクに頼るしかなかったのですが、現在の技術では、魔法のような若返りが、画面上では簡単にできるようになりました。

 本作は、いったん話が終わった後、追加映像が二つもある作りになっており、ここが非常に重要な意味を担っています。つまり、この作品のエンディングの時期が、「インフィニティ・ウォー」の悲劇的な結末時と一致しており、無関係ではなかった、という意味合いが込められた映像です。今後、アントマンがアベンジャーズの世界と再び密接にかかわることを明示しているわけです。

 本作の後、マーベル・シリーズとしては新キャラとなる「キャプテン・マーベル」が次回作(21作目)で作品世界に加わり(この人物については、「インフィニティ・ウォー」のエンディングで、ニック・フューリーがスマートフォンで、彼女に連絡を取ろうとしていたことが暗示されており、重要人物としての登場が予告されていました)、そして「アベンジャーズ4」(22作目)に、すべての話とキャラクターがつながっていくことになっています。

 本作も、このエンディングを見てしまうと、22作目ではどう決着をつけるのだろう、ということになってきます。まことに製作側の術中にはまってしまうのが悔しいとも言えますが(笑)、これは確かに、今後の展開が気になってしまいます。

 また、今回から登場した人物の動向も加えて、アントマン・シリーズとしての今後にも、大いに期待したいと思います。

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2018年9月14日 (金)

【映画評 感想】MEG ザ・モンスター

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MEG ザ・モンスター」原題 : The Megという映画を見ました。「ナショナル・トレジャー」シリーズで知られるジョン・タートルトーブ監督の作品です。

スティーブ・アルトンの原作小説『Meg: A Novel of Deep Terror』は1997年に出版され、その直後からディズニーやニューライン・シネマなどが映画化を試みたものの、曲折があって断念。実に20年越しで今回の映画化となった次第です。

「メグ」などというと可愛らしい響きです。特に日本人には、女の子の名前のように感じられます。しかしその正体は、全長23メートル、重量20トンにもなるという潜水艦サイズの巨大なサメ、メガロドンです。史上最大のサメとして有名ですが、200万年ほど前に絶滅したとされています。

しかしこれが、シーラカンスのように深海で密かに生き延びていて、あることを契機に現代の海に現れたらどうなってしまうか……そんなお話で、「ジョーズ」と「ジュラシック・パーク」を足したような展開の、SF要素がある海洋アクション作品です。

「トランスポーター」「ワイルド・スピード」「エクスペンダブルズ」など名だたるヒット・シリーズ作品で活躍するアクション・スター、ジェイソン・ステイサムが主演ですが、この人は元々、飛び込み競技で英国代表チームにいたほどのアスリート。しかし、映画スターとしては、銃を持って走り回り、猛スピードの車に乗って撃ちあう「陸の人」のイメージでした。本人も「今回はそういう作風から変化するいい機会」と思って引き受けたそうです。さすがに元水泳選手だけあり、鍛え上げられた肉体を見せつけ、難しい水中シーンをこなす身体能力は見事なもので、まさにはまり役です。確かに、彼にとって新境地を開いた作品となったのではないでしょうか。

作品そのものも、率直に言って「今さらサメ映画? どうせジョーズの亜流でしょ」といった類の、冷ややかな前評判があったのも事実ですが、それを打ち破り、製作費150億円ほどに対し、興行収入500億円に届くヒット作となりました。最後は人でいっぱいの海水浴場にサメが突入し大パニックになるなど、あの「ジョーズ」を想わせるシーンが随所にあって、監督の一種の開き直りが心地よい一作と思えます。

しかし、やはり水中撮影は非常に苦しく、ルビー・ローズは溺れかけるシーンの撮影で本当に溺れて沈んでしまい、危険だったとか。ほかの皆さんも相当に水泳の特訓をして臨んだそうですが、迫力ある仕上がりを見ると、それだけの甲斐があったといえますね。

 

5年前、事故を起こし深海に沈んだ原子力潜水艦を救助に向かった潜水救命チーム。しかしそれは単なる事故ではなく、未知の巨大な生物から攻撃を受けて発生したものでした。正体不明の化け物はさらに執拗に攻撃を繰り返し、リーダーのジョナス・テイラー(ステイサム)は2人の仲間を艦内に残したまま脱出する、という苦渋の決断をします。

この結果、11人の乗組員が救助されますが、その中の一人、ヘラー医師(ロバート・テイラー)はジョナスの非情な決断を責め、「正体不明の化け物」などというジョナスの説明も受け入れられることはなく、傷心のジョナスは仕事を離れ、妻とも離婚し、隠遁して酒浸りの生活に入ってしまいます。

そして現在。中国沖に建設された深海研究所に、スポンサーである大富豪のモリス(レイン・ウィルソン)がやって来ます。彼を出迎えた総責任者のジャン博士(ウィンストン・チャオ)、博士の娘で海洋学者のスーイン(リー・ビンビン)、プロジェクトの指揮官マック(クリフ・カーティス)、それに技術者のジャックス(ルビー・ローズ)らは、モリスに最終段階の重要な潜水活動を披露します。というのも、その日はジャン博士の仮説に従い、深海底の底にさらに別の閉ざされた暖かい海が広がっている事実を証明することになっており、操縦士のローリー(ジェシカ・マクナミー)、日本人技術者のトシ(マシ・オカ)らが搭乗する潜航艇が、海溝の最深部に突入していました。

しかし、その途中で潜航艇は正体不明の何かに襲われ、通信が途絶してしまいます。ジャンとマックは、この難局を乗り切ることができるただ一人の男、ジョナスを探しに行きます。すっかり荒んだ生活をしているジョナスは、2人をすげなく追い返そうとしますが、今回の経過が5年前の事故と似ていること、さらにローリーが彼の元妻であることから、仕事を引き受けることにします。だが、研究所の医療責任者はあのヘラーで、再会した2人は、いきなり険悪な雰囲気に。

そのころ、潜航艇ではさらに危険が迫り、スーインが独断で救助艇に乗って深海に出発してしまい、ジョナスもその後を追って潜航しました。海底に到達したスーインは、そこで見たこともない巨大なサメの姿を目にします。「メガロドンだ…」とジョナスが呟きました。こうして、伝説の巨大ザメとジョナスたちの死闘が始まったのですが…。

 

というわけで、序盤は典型的な「潜水艦もの」の密室劇映画ですが、メガロドンが深海を離れて浮上して来る中盤からは、緊迫したサメとの死闘に、さらにパニック映画的な展開へと移っていきます。このあたりの配分が非常にうまく、適度にリラックスしたシーンや人間ドラマも挿入して、冒頭から最後まで非常によく出来た脚本だと思いました。さすがに手練れの監督が手がけた、という感じです。

メガロドンは当然、CGなわけですが、全くそれを感じさせない迫真の映像です。もちろん現在の技術ならではの達成ですが、とはいえ、金さえかければ簡単にできる、などというものではなく、視覚効果の編集だけで2000ショットものシーンを組み合わせて、気の遠くなるような作業が延々と続いたそうです。

この作品、人間ドラマ的には家族の物語、という要素が強く、また犠牲的な精神で仲間のために危険を冒す人々の姿も心を打ちます。モンスター映画では、序盤から一人、また一人と少しずつ、登場人物が減っていくものですが、そのあたりが丁寧に作られていて、単純なアクション映画で終わらせることなく、どこか「白鯨」を想わせる作品になりました。

「ジョーズ」に続く「サメもの」映画の王道として、記憶に残る一作になったと思います。日本での評判も上々だそうで、お薦めの作品です。

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2018年8月 9日 (木)

【映画評 感想】ミッション : インポッシブル-フォールアウト

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  映画「ミッション
:インポッシブル-フォールアウト」Mission : Impossible - Falloutを見ました。テレビシリーズ「スパイ大作戦」を基にしたトム・クルーズ主演の大人気シリーズの6作目になります。ブライアン・デ・パルマが監督した第一作は1996年、ということで、もう20年以上も続いているのですね。「フォールアウト」という言葉は、「予期せぬことが降りかかる」という一般的な意味合いのほかに、「死の灰が降る」という意味もあります。その通り、次々と主人公に降りかかる困難と、核兵器の脅威をテーマにしたのが本作です。

本作は、トムがジャンプして隣のビルに飛び移るシーンで骨折し、撮影が中断。製作が危ぶまれたのが大きな話題となりましたが、まさに「予期せぬ災難」に見舞われながら、完成にこぎつけたわけです。

本作の見どころとして、3作目の「M:i:III」で主人公イーサン・ハント(クルーズ)と結婚したジュリア(ミシェル・モナハン)が再登場します。4作目「ゴースト・プロトコル」で、ハントは敵に妻ジュリアを殺され、任務外の個人的な動機で復讐に走った、としてモスクワの刑務所に収監されている、という設定でした。しかし、ジュリアは実際には死んでいなかった、というわけです。彼女の登場で、ドラマは一挙に重厚さを増していきます。

それから、前作「ローグ・ネイション」で大注目された女スパイ、イルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)も引き続き活躍します。

 

前作ローグ・ネイションでIMFImpossible Mission Force=不可能作戦部)は、ソロモン・レーン(ショーン・ハリス)率いる国際テロ組織「シンジケート」に翻弄されましたが、辛くもレーンを逮捕。シンジケートも壊滅したはずでした。

しかし、ハント(クルーズ)が新たに受け取った指令によれば、シンジケートの残党が「アポストル=神の使徒」と名乗り、テロ活動を再開している、といいます。

東欧の軍事施設から三つのプルトニウム・コアが盗み出され、これがアポストルの手に渡ることを未然に防ぐために、盗み出したマフィア組織と接触したハントとベンジー(サイモン・ペッグ)、ルーサー(ヴィング・レイムス)は、これを買い取ろうとしますが、取引の場に予期せぬ何者かが現れて、襲撃を受け失敗。プルトニウムは奪われてしまいます。

アポストルに協力して核爆弾の製造をしていた反体制科学者デルブルック博士(クリストファー・ヨーネル)から情報を聞き出したハントたちは、アポストルの謎の首領とされる人物「ジョン・ラーク」が、パリで闇社会の仲介人ホワイト・ウィドウからプルトニウムを手に入れようとしていることを知り、IMF長官ハンリー(アレック・ボールドウィン)の指示を受け、現地に乗り込もうとします。しかしそこに、IMFとハントに不信感を抱くライバル組織CIAの長官スローン(アンジェラ・バセット)の横槍が入り、凄腕のCIA工作員ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)が監視役としてハントに同行することになります。

ハントとウォーカーはパリで、ラークらしき男(リャン・ヤン)を襲いますが、相手は格闘の達人で、2人がかりでも大苦戦。そこに現れて「ラーク?」を射殺し、2人を救ったのは、英国情報部MI6の女スパイ、イルサ(ファーガソン)でした。

ハントはラークに成りすましてホワイト・ウィドウことアラーナ(ヴァネッサ・カービー)に接触。アラーナはプルトニウムを引き渡す見返りとして、別の依頼主から注文を受けている仕事、フランス警察が護送中のソロモン・レーンを奪取する作戦に協力する、という条件を提示します。警察を相手にする犯罪に加担することにハントは躊躇したものの、この条件を呑み、アラーナから手付けとしてプルトニウム1個を受け取ります。

しかし、ハントと共同作戦をとるウォーカーは、ハントこそが本当に犯罪組織のボス、ジョン・ラークなのではないかと疑い、上司のスローン長官に、死んだ「ラーク?」から手に入れた情報を渡します。

作戦決行の日、ハントたちはフランス警察の護送車からソロモン・レーンを連れ出すことに成功しますが、そこをバイクに乗って襲ってきたのはイルサでした。彼女はMI6からレーンを暗殺するよう命令を受けていたのです。

激しいカーチェイスの末、その攻撃もかわしたハントは、ロンドンでアラーナにレーンを引き渡そうとします。ところが、そこに現れたハンリー長官は、CIAに渡った情報に基づき、IMFは本件から手を引き、作戦を中止する、と告げます。窮地に立ったハントたちですが、その後、事態は急展開。

結局、プルトニウムはアポストルの手に渡り、世界は核攻撃の危機に見舞われます。身分を偽って密かに生きていたハントの妻、ジュリアも巻き込み、お話はクライマックスに向かいます…。

 

今回、4人の女性が活躍しますが、非常に魅力的に描かれていますね。なんといってもレベッカ・ファーガソンとミシェル・モナハンが人間ドラマの部分まで見せるいい演技をしています。それに加えて、女だてらに闇商売を仕切るホワイト・ウィドウ役のヴァネッサ・カービーという人が素敵です。元々、舞台で活躍し、近年、急速に注目されている若手女優さんだそうで、つい数年前には「ジュピター」でほんの脇役を演じていましたが、その後にテレビや映画で台頭し、期待の人です。それから、非情なCIA長官役のアンジェラ・バセットも存在感たっぷりです。1993年の「TINA ティナ」のティナ・ターナー役でアカデミー賞にノミネートされて一躍、有名になったベテランで、近年では「ブラックパンサー」でも重要な役どころをやっていました。この人も、次回作でも出てくるかもしれません。

トム・クルーズは可能な限りスタントマンを使わない、というのは有名な話で、56歳になった今回も、激しいカーチェイスにアクション、さらにヘリの操縦免許を取得してスカイ・アクションまでこなしています。本作では、街中を疾走してビルからビルに飛び移るシーンで負傷し、医師から全治9か月、と宣告されて、一時は製作が危ぶまれたわけですが、不屈の精神で、なんと6週間後には撮影を再開した、といいます。そういうことを知っているので、映画なのに、生中継を見ているかのように、ハラハラしてしまいます。激しいアクションに付き合うことになったヘンリー・カヴィルも「何度も死ぬかと思うほど危険な目にあった」と言っているようです。スーパーマン役で知られる彼も、本物の超人トムを前にして、圧倒されたようですね。

今作は、妻ジュリアや、ハントが気になっている女性イルサの再登場もあって、これまで超人的なヒーローとして活躍してきたイーサン・ハントなる人物がいかなる人間なのか、そういう内面の人物描写に深みが出ており、単なるアクションだけの娯楽作品ではなく、最後まで見どころが満載でした。このあたり、さすがにアカデミー脚本賞を受けた経歴のあるクリストファー・マッカリー監督の手腕は確かなものです。そもそもトム・クルーズとは「ワルキューレ」の脚本家として知り合い、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で脚本を担当しているときに、本シリーズへの参加をトム本人から打診された、と言います。

しかし、話が二転三転する盛りだくさんの複雑なストーリーを、2時間半に収めるのには、かなり苦労した感じも受けます。そんなにアップテンポではないのですが、見ていて、ちょっと説明不足というか、ストーリー展開的に分かりにくい印象も私個人は受けました。

そういえば、4作目、5作目で重要な役どころだったブラント(ジェレミー・レナー)は出演していません。本作では全く言及がないので、きっとほかの仕事をしているのか、異動したのか、ひょっとしたら転職したのか…。もっとも、一作目からずっと出ているルーサー、三作目から続投しているベンジー以外は、どの人物も入れ替わっています。そういう意味で、すでに卒業したと思われていたジュリアの復活は、かなり異例だったと思われますね。

きっと、このシリーズは次もある、と思うのですが、本作は、ここまでのストーリーの集大成的な内容でした。今後はますます新展開が期待できそうですね。

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