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2020年1月31日 (金)

辻元よしふみ、玲子の「制服物語」2回目掲載(ALSOKの機関誌ALWAYS)

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警備会社ALSOKの機関誌ALWAYS 65号に、辻元よしふみ、玲子の連載「制服物語」2回目が掲載されました。古今東西のガーズマン(近衛兵、親衛兵)の制服をイラスト図説するこの企画、今回は英国近衛アイリッシュ連隊の兵士を取り上げております。

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2020年1月29日 (水)

【映画評 感想】キャッツ

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映画版「キャッツ」Catsを見ました。アメリカで酷評され、同時期に「スター・ウォーズ」最終章と、「アナ雪」続編という強敵が上映されたことも加わって、興行的にも惨敗。そんな話が伝わって、どんなものかと思いました。しかし、私は劇団四季の劇場版ミュージカルも見たことがあるのですが、そこまで酷評されるような作品だろうか、と思いました。個人的には、すごく良かったのです。

 

 

 

おそらく、いわゆる「不気味の谷」現象というもの。つまり人間そのものの動き、表情、という精度が高すぎるのに、明らかにネコというキャラが生理的にダメ、という人が多いのが最大の敗因だと思います。CG処理が気持ち悪い。大方の悪評がこれでした。しかし、もともとキャッツというのは、ネコの格好をした俳優がネコになりきって歌い踊る、という、相当に奇天烈な舞台であり、1981年にミュージカルが大ヒットしたとき、むしろどうしてあれがあんなに支持されたのか、不思議なようなものでした。

 

 

 

ひとえにアンドリュー・ロイド=ウェバーの楽曲が素晴らしいこと、特に「メモリー」が名曲すぎること。これに尽きたと思います。1939年に文豪TS・エリオットが書いた原作は、子供向けに書かれた詩集であり、ストーリーも設定もない小品です。これに壮大華麗な楽曲をつけ、ダンスを振り付け、一大舞台芸術に仕立て上げたロイド=ウェバーとキャメロン・マッキントッシュの才能が最大限に発揮された所産、という感じです。

 

 

 

舞台では、俳優たちは着ぐるみをつけて派手なメイクをし、ネコになりきって演技しますが、不思議とステージでは違和感がありません。どう見ても「ネコの振りをしている俳優」が熱演しているのであり、すぐに客席は一体感に包まれて、最初に受ける奇妙な感じを忘れ去ります。客席とステージの間にはオーケストラ・ピットがあり、俳優たちはかなり遠くで演技をしています。それもあって、違和感はすぐに払拭されるものです。

 

 

 

しかし映画化というのは、そこが難しいところで、芝居を遠くから撮影しているような演出では、単なる芝居のドキュメンタリーになってしまいます。当然、大写しにしたり、表情のドアップが挟まったり、舞台よりも精緻なディテール表現が求められる一方で、ライブの魅力、一回限りの緊張感、といったものは削がれてしまいます。いわば、生でスポーツの試合を見るのと、その結果を録画した再放送を見るぐらいの差異があります。トム・フーパー監督は、撮影時に俳優の生の歌声を同時録音する(後で音入れをしない)、という手法でライブ感を維持することで、この映画化の壁を乗り越え、「レ・ミゼラブル」ではミュージカルの実写化として大きな成功を収めました。しかし今度はハードルが髙かったようです。

 

 

 

今回の映画化で採用されたのは、俳優たちの演技をモーション・キャプチャーで撮影し、ネコの毛皮を後で画像処理して貼り付ける、という手法です。どうもこれが、よくなかったようです。やはり舞台と同じように、俳優たちには大変ですが、メイクや着ぐるみを付けてもらって、「ネコになりきった俳優」として演じてもらう方が正解だった気がします。確かに今作のキャラクターは「人間化した不気味なネコ」になってしまっています。舞台版の俳優たちでは出来ないこと、シッポや耳の動きを本物のネコのように自在に動くようにしたのも、かえって痛かったように見えます。

 

 

 

むしろ、あまりネコになっていない、ほとんどその人そのまま、という感じのジュディ・デンチとイアン・マッケランのベテラン二人の演技が、驚くほどいつもの本人そのものであるように見えたのも事実。マッケラン自身が「私はネコを演じてはいないし、ネコになろうともしていない」とコメントしているのは、そのへんの違和感というのを、長い芸歴からくる直観で、事前に洞察していたからかもしれません。マッケランが猫界の老俳優になって、「近頃の若い奴らの芝居はなっていない」と叱りつけ、往年の当たり役を披露する、というくだりの説得力は迫力があって、全編の中でも際立っています。日本語版では宝田明さんが担当しているのも、うなずけるところです。

 

 

 

【ストーリー】満月が輝く夜、ゴミ捨て場に放り出された子猫ヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)。そこで彼女が出会ったのは、陽気に歌い、踊る「ジェリクル・キャッツ」の面々でした。その夜は、ネコたちの一年に一度の舞踏会が開かれる日。長老デュトロノミー(ジュディ・デンチ)に選ばれた、たった一匹のネコだけが、天上の世界に昇って「本来の自分」に生まれ変わる日です。

 

 

 

個性豊かなネコたちと触れ合う中で、臆病なヴィクトリアも、自分というものを取り戻していきます。そんな中、かつては華やかなスターだったのに、落ちぶれて、今ではみんなに忌み嫌われる年老いたグリザベラ(ジェニファー・ハドソン)の寂しい後ろ姿に、ヴィクトリアは心惹かれます。

 

 

 

一方、この日の饗宴を妨害しようと企む悪者、お尋ね者のマキャヴィティ(イドリス・エルバ)とボンバルリーナ(テイラー・スウィフト)の暗躍がちらつき、何やら不穏な空気も立ち込めます。やがて、月が昇り切り、ネコたちが躍動する中、今年の一匹が選ばれる瞬間が近づいてきますが…。【ストーリーここまで】

 

 

 

私は今回まで知りませんでしたが、81年の舞台版の初演で、ジュディ・デンチはグリザベラ役に決まっており、本来なら、初代の「メモリー」を歌う歌手、となるはずだったそうです。このときはケガで降板し、今回は40年ぶりに長老ネコとして登場することになったそうです。舞台版では男優がやる長老をデンチにしたことで、彼女と、イアン・マッケランが演じる老猫の間で、若いころに何かあったな、と匂わせる演出は面白いです。

 

 

 

テイラー・スウィフト、それから「メモリー」を歌うジェニファー・ハドソン。この二人のグラミー賞歌手も、あまり「ネコ」を感じさせない自然さが結果としてよく出ていたと思います。この大物歌手たちの歌唱は、やはり大きな見せ場です。本来、トップ・バレリーナであるフランチェスカ・ヘイワードも美しい歌声を聞かせてくれます。「この人は、ネコでない状態だとどんな感じなのだろう」と思った人も多いと思います。ぜひ、普通の映画にも挑戦してほしい人材です。

 

 

 

そういえば、本作で太った雌猫ジェニエニドッツを演じるレベル・ウィルソンは、今、日本で同時上映中の「ジョジョ・ラビット」でも、ナチスの恐ろしい女性教官という役柄で怪演しています。大活躍ですね。

 

 

 

私個人としましては、本作を見て、あまり「不気味の谷」に引っかかることはありませんでした。舞台版の延長のように見えたので、すぐになんとも思わなくなりました。キャッツとは、そもそもオリジナルの時点で奇妙な作品なのです。そうなると、なんといっても楽曲の素晴らしさに心地よく心を奪われ、「メモリー」まできて「やっぱりこれは名曲だよな」と思わず感嘆し、すでによく知っている展開であるのに、改めて感動した次第です。やはり本作のキモは「メモリー」に尽きます。コンサートでも「早くあのヒット曲、やらないかな」という心境でエンディングからアンコールまで待つ、ということがありますが、まさにあんな感じでしょう。前評判に煩わされることなく、見に行ってよかった、と素直に思いました。ちなみに、一緒に見た妻も、CGになんの抵抗もなく感動したそうです。ぜひ、実際にご覧になって、酷評が正しいかどうかをご確認いただければ、と思います。

 

 

 

 

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2020年1月28日 (火)

【映画評 感想】ジョジョ・ラビット

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映画「ジョジョ・ラビット」Jojo Rabbitを見ました。「マイティ・ソー」シリーズで知られるタイカ・ワイティティ監督の話題作で、20202月のアカデミー賞レースでも、作品賞をはじめ一気に有力候補となりました。本作で助演女優賞ノミネートを受けたスカーレット・ヨハンソンは、「マリッジ・ストーリー」で主演女優賞の候補にもなっており、一挙に注目が集まりました(ちなみに「マリッジ…」では、あの「スター・ウォーズ」シリーズのアダム・ドライバーが主演男優賞候補になっています)。

 

 

 

第二次大戦下の悲惨さを描いた映画は数多くあり、この時代の少年少女をテーマにした作品というのも、古くはドイツ少年兵たちの悲惨な戦場経験を描く「橋」が忘れられません。近年でも強制収容所をテーマにした「ライフ・イズ・ビューティフル」とか「縞模様のパジャマの少年」、敵の捕虜となったドイツの少年たちの過酷な運命を描く「ヒトラーの忘れ物」など、いくつか思い当たります。いずれも涙を禁じ得ない作品でした。

 

 

 

本作で登場するのは、戦争末期、ヒトラー・ユーゲントに入団し、教練を受けることになった10歳のドイツ人少年、ヨハネス・ベッツラーです。映画では、彼の愛称は最初からジョジョであり、その後、とある事件をきっかけに「ジョジョ・ラビット」というあだ名を上級生から付けられた、ということになっています。

 

 

 

【ストーリー】第二次大戦末期、ヒトラー・ユーゲントのキャンプに参加したジョジョ(ローマン・グリフィン・デービス)は、10歳になっても靴ヒモも結べない子供ですが、ヒトラーを敬愛し、心の友アドルフ(タイカ・ワイティティ)として慕っています。現実の友は、こちらも落ちこぼれ気味のヨーキー(アーチー・イェーツ)ただ一人。キャンプでは戦地帰りの負傷兵である配属将校クレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)の指導の下、厳しい教練が待っていました。

 

 

 

ある時、上級生からウサギを殺すようにけしかけられ、できなかった彼は臆病者の「ジョジョ・ラビット」というあだ名を付けられてしまいます。しかし「心の友」アドルフの激励を受けたジョジョは、大尉が手に持っていた手榴弾を勝手に奪い、無断で投擲してしまいます。それはジョジョのすぐそばで爆発し、ジョジョは重傷を負います。

 

 

 

家に帰ることになったジョジョは、この一件で教官職も外され、内勤に回されたクレンツェンドルフ大尉の下で、召集令状を配ったり、公認のビラを貼ったり、金属回収をしたりといった雑用をすることになります。

 

 

 

母親ロージー(スカーレット・ヨハンソン)は、いつも忙しく何かをしており、明らかにジョジョに隠し事をしています。やがて彼は、二階の亡くなった姉インゲの部屋の奥から物音がすることに気づきます。そして隠し扉の奥から現れたのは、彼がユーゲントや学校で悪魔として教えられたユダヤ人の少女、エルサ(トーマシン・マッケンジー)でした。しかし彼女との出会いが、頑ななナチス信者で軍国少年だったジョジョを少しずつ、変えていきます。その変化に、「心の友」アドルフは不快感をあらわにするようになってきます。

 

 

 

ロージーが本心ではナチス体制を嫌悪していることも悟り始めたジョジョは、次第にエルサに惹かれていきます。そんなある日、ロージーが留守の時に、ゲシュタポの指揮官ディエルツ大尉(スティーブン・マーチャント)が踏み込んできて、家宅捜索を始めます。エルサの存在を知られたら、一家全員が逮捕されて処刑されるでしょう。絶体絶命のピンチで、姿を現したのは意外なことに、クレンツェンドルフ大尉でした…。【ストーリーここまで】

 

 

 

ところで、少しでもドイツ語に素養のある方ならすぐに、「ドイツ人の名前や愛称として、ジョジョなんてあるわけないだろう」と思うはずです。その通り、ドイツ語では語頭のJは英語のようにジェイと読むことはありません。JAPANもドイツ語圏ではヤーパンと読みます。Jojoという言葉も、普通のドイツ人は「ヨヨ」としか読まないはず。それよりなにより、ヨハネスという名前の人の愛称なら、普通は(特に戦時下という時代なら)「ヨハン」とか「ハンス」、すこし今どき風に言っても「ヨー」といった感じのはずです。

 

 

 

ラビットというのも英語ですね。ドイツ語ならウサギはKaninchenHaseでしょうが、映画で出てくるペット然としたものは、カニンヒェンの方でしょう。こうしてみると、「ジョジョ・ラビット」などという呼び名は、ちっともドイツらしくない、ということになります。本当なら「ヨハン・カニンヒェン」とか、そんな感じであるべきところでしょう。

 

 

 

そのためでしょうか。ドイツ語版のWikiを見ますと、この映画の説明として、ヨハネスはある事件をきっかけに、ジョジョという不名誉なあだ名を付けられることになった、と書いてあるようです。おそらく、そのような解釈にしないとドイツ語圏の人たちには不自然極まりないからではないかと思うのです。

 

 

 

その他、この映画は必ずしも「時代考証的に正しい」映画では決してありません。ヨハンソンが演じた母親ロージー・ベッツラーのRosieというのも、英語圏の通称っぽく感じます。本名はローザか何かだと思われるのですが。ただ、この映画をずっと見ると、この母親がいわゆるかなりぶっ飛んだ人であり、戦時下のドイツではありえないほどの自由人で、戦前はおそらく長いこと、海外で過ごしたのではないか、あるいは、本来は外国籍の人なのでは、と思われる描写が出てきます。よって、ロージーとかジョジョとかいう名前をあえて付けている、ということもあり得ますが、本当にそんな通称では、それは当時のヒトラー・ユーゲントでは無事で帰れないのは当然でしょう(!)。

 

 

 

映画の中で、しばしばナチスとかナチとかいう言葉が出てきますが、これも戦時下のドイツでは使われなかった用語です(少なくとも表立っては)。そもそもナチというのは敵対勢力がつけた蔑称ですので、だから「ヒトラー最期の十二日間」とか、もっと古いドイツ語圏の戦争映画などを見ても、ナツィオナルゾツィアリスティッシェ…うんぬんと、どんなに長くとも「国家社会主義ドイツ労働者党」に当たるドイツ語で表現したり、略称としてならNASDAPなどと表現したりしております。

 

 

 

この作品には原作があって、クリスティン・ルーネンズという作家が書いた『Caging
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』(直訳すれば、カゴに囚われた空、という感じでしょう)なる小説です。このルーネンズさんはアメリカ出身ですが、ほとんどを欧州で暮らし、若いころはファッション・モデルとしてジバンシーやニナ・リッチのランウェイを歩き、今はニュージーランドに移住している、という方。つまり心の底から国際人で自由人、という女性です。その小説を読んで感銘を覚えたのが、ユダヤ系マオリ人で、母国ニュージーランドを出てハリウッドで活躍するタイカ・ワイティティ監督だったわけです。監督にこの原作を勧めたのは、ユダヤ系ロシア人である母上だったとか。

 

 

 

そういう背景で作られたので、むしろ「時代考証的に正しくない」ことをあえて意図的に仕込んでいる、確信犯的にそうしている映画なのだと思えてきます。映画の冒頭では、いきなりビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語バージョンが流れて度肝を抜かれます。終盤では、今度はデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」の、これまたドイツ語版が効果的に使用されます。意図的に、時代的には合わないのだけど、表現としては効果的な文脈で、おかしな不協和音的な要素をあえて盛り込む、というのは音楽の使い方からもよく理解できます。

 

 

 

極めつけは、ジョジョ少年が心の友としている「彼の頭が生み出した幻影のアドルフ・ヒトラー」です。彼は実在の総統ヒトラーとはあまりつながりがありません。何しろ、ジョジョ少年に何かとタバコを勧めるのですから。本物のヒトラーは大のタバコ嫌いで、総統本営は完全禁煙だったことは有名な史実です。だから、これは10歳の少年がこしらえた幻影である、ということです。

 

 

 

にもかかわらず、映画の後半になると、いかにも間抜けで無害にすら見えた「幻のヒトラー」が、徐々に本物のように激しく身振り手振りを加え、絶叫し、大義のために犠牲になる生き方を強いるようになってきます。それまでコメディアン然として演じていたワイティティが、明らかに「本物のヒトラー」を真似しているのです。そのシーンの強烈な落差と恐怖感が実に恐ろしいです。

 

 

 

本作はアカデミー衣装デザイン賞にもノミネートされました。軍服なども、ディテールが非常に凝っていて、たとえば準主役である歴戦のクレンツェンドルフ大尉の右腕に戦車撃破章、左胸に戦傷徽章が付いている、など芸が細かいです。少年兵が支給される末期の軍服の「紙みたいな材質で歩きにくい」スフ素材の劣悪な品質もよく描かれています。このように、こだわるべきところでは、史実に正確に、という努力を惜しまないわけです。

 

 

 

自由人である母親ロージーのファッションは明るくおしゃれであり、1940年代という時代的制約の中で、戦時下を感じさせない軽やかさがあります。彼女の赤茶と白のコンビシューズは、戦前に、おそらくパリか何かで作られたに違いない、と思わされます。この母親の靴が、「10歳になって靴ヒモも結べない」ジョジョ少年とのかかわりにおいて、重要な小道具になってくるのが見逃せません。

 

 

 

物語の終盤で、ヒトラーの自決後に、アメリカ軍とソ連軍が同時に攻め込んできた町があったのだろうか、とか、国民突撃隊(16歳から60歳までの全市民が参加)が最後に全滅するまで奮戦したところがあったのだろうか、とか、いろいろ史実的なことを考えてしまうのは、私のように戦史を扱うことを仕事にしてしまっている人の悲しい職業病で、ここでそういう「正しさ」を追い求めるのは野暮、というものです。この映画は一定程度、意図的にファンタジーとして描かれている、寓話的に描いている、ということが前提だと思われます。

 

 

 

ワイティティ監督が尊敬する映画人に、メル・ブルックス監督がいるそうです。「珍説世界史」や「メル・ブルックスの大脱走」、「プロデューサーズ」など、あくの強いコメディーで強烈なインパクトを残した人ですが、同監督が必ず作品で扱うのが、「ゲイ、ナチス、ユダヤ人」です。いわば西欧社会の三大タブーですね。これを、自らがユダヤ系であるブルックス監督は、逆手に取る形でこれでもか、と自虐的なブラックジョークに仕立ててきます。しばしばブルックス本人がヒトラーを演じてもいます。今回、ワイティティ氏自らがヒトラーに扮したのも、間違いなくそれに倣った強靭な精神があってのことと思うのです。ゲイであるらしいドイツ軍人が登場するのも、その一端でしょう。ブルックス作品の後継者、というのが本作の正しい位置づけのように思います。

 

 

 

本作でいちばん恐ろしい登場人物は、ゲシュタポ(秘密警察)の指揮官ディエルツ大尉です。大抵、こういう人物はにこやかで愛想よく、そして本心はものすごく残忍です。この配役に、英国のコメディアン、スティーブン・マーチャントを配したのも、的確でした。ブラックジョークの塊のようなゲシュタポ将校。上機嫌な間は、笑いが絶えず、ジョークを連発する。しかし彼がちょっとでも気を変えれば、人を何人か拷問し、処刑することなど、なんとも思っていないどころか、むしろ崇高な使命と確信している人物像。禍々しさが本当によく出ていました。おそらく本作で最も「本物らしい」人物ではないでしょうか。

 

 

 

一方、絵に描いたような戦争映画によく出てくる鬼教官なのかと思えば、実は「兵隊やくざ」そのものだったクレンツェンドルフ大尉。名優サム・ロックウェルが熱演していますが、本作の真のヒーローは彼だったかもしれません。そして、大尉とどうも恋愛感情があるらしい副官フィンケル曹長を演じるのは、アルフィー・アレン。近作でいうと「ジョン・ウィック」で主人公を怒らせてしまうアホなロシア・マフィアの息子、という役をやっていました。いろいろな映画で顔を出す個性派です。なお、ナチス体制下では同性愛は厳禁です。同性愛者はユダヤ人と同じく強制収容所送りになる、まさに身の破滅というわけです。この事実を知っていないと、「同性愛者のドイツ将校」なる存在の意味合いが理解できないと思うので追記しておきます。

 

 

 

もう一人注目なのが、女教官フロイライン・ラーム役のレベル・ウィルソン。トム・フーパー監督のミュージカル「キャッツ」でも重要な役で出演しており、まさに今、売れっ子のコメディエンヌです。彼女の役名が「フロイライン」、つまり英語でいう「ミス」であることも注目されます。18人の子供を産んで、「ドイツの母勲章」を受勲しているらしい彼女ですが、未婚である、という事実を意味します。当時は私生児でもなんでも、兵士となるべき子供をたくさん産むことが推奨され、引き取り手のない子供は親衛隊の孤児院が預かっていました。まさに恐ろしい体制だったのですが、そのあたりも本作は、さりげなく名前で暗示しているのでしょう。

 

 

 

ヨハンソンおよび、デービスとマッケンジーの二人の子役の演技は、すでにあちこちで絶賛されているので、ここでは省きますが、素晴らしい、の一言です。ここで追記したいのが、ジョジョの親友ヨーキーを演じていい味を出していたアーチー・イェーツ。実はこちらも天才子役で、かつてマコーレー・カルキンが演じた「ホーム・アローン」のリブート作品で、主演に抜擢されているそうです。こちらも将来が楽しみな逸材です。

 

 

 

とにかく、問題作の一つであり、2019年シーズンを代表する一作になったことは間違いありません。劇場で見ておきたい作品だと思います。

 

 

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2020年1月23日 (木)

我が家の洋ランが今年も咲きました。

Photo_20200123133804 今年も我が家の洋ランが咲きました。うちの玲子さんが何十年も世話をしています。平年ですと年末年始の時期に咲きそろいます。今季は暖冬気味で遅れていましたが、寒気到来を受けて満開となりました。

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2020年1月22日 (水)

人、神、自然 ザ・アール・サーニ・コレクション展(東京国立博物館)

Photo_20200122090501 東京国立博物館の「人、神、自然 ザ・アール・サーニ・コレクション展」を拝見。カタール王族が収集した謎めいた古代の芸術品の数々が一堂に会します。

Photo_20200122090502 5000年前のアナトリア産「スターゲイザー」や、エジプトのアマルナ時代の「長頭女性像」など、本当に地球の物なのか、という衝撃的な名品が目白押しです。この後はパリに行ってしまうので、日本でみられる貴重な機会。29日まで。Photo_20200122090601 Photo_20200122090602

 

 

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2020年1月 1日 (水)

2020年、令和2年 明けましておめでとうございます。

2020 令和2年、2020年 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。千葉県浦安市では、午前728分頃に初日の出の御来光を拝することができました。曇りがちの中、その前後だけ はっきりと姿を現し、清々しい元旦となりました。

 

空気も澄んで、浦安市内から いつもよりはっきりとスカイツリーが見えました。

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午後に初詣に行ったのですが、市内のどこの神社も長蛇の列。昨夜は強風が吹きつけたので、平年なら早朝に参拝する人たちが見送り、日中に切り替えたのでしょう。豊受神社でも1時間ほど列に並びました。

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ということで、穏やかな元日となりました。今年はよい年にしたいですね。

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