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2019年11月20日 (水)

【映画評 感想】ブライトバーン/恐怖の拡散者

Photo_20191120180001 「ブライトバーン/恐怖の拡散者」Brightburnという映画を見ました。ブライトバーンというのは、アメリカ・カンザス州の架空の地名です。ここで興味深いのは、あのスーパーマンの出身地、つまり宇宙人である彼が飛来し、育った土地が、同じカンザス州のスモールヴィルという町とされていることです。

 

この映画のタイトルが、あくまでも「ブライトバーン」であることが意味深いです。つまりこの映画の主人公は、他の誰でもなくブライトバーンという土地、あるいは状況そのものである、ということ。なぜ、ブライトバーンでは、スモールヴィルのようにはいかなかったのか? そんな意味が込められているのではないでしょうか。

 

ちなみにブライトバーンを略すればBB。本作の主人公ブランドン・ブレイヤーの頭文字もBBです。やはりブライトバーン=主人公、なのです。

 

スーパーマンにおいては、異星人である彼をクラーク・ケントとして育てたケント夫妻が、非常に徳が高く、素晴らしい人物だったことが重要でした。ジョナサン・ケントは息子クラークに早くから自分の特殊性について教え、将来を案じて「その力は隠さなければいけないよ。お前は特別な存在であり、人々はお前を恐れるだろう」と諭します。マーサ・ケントは「必要とされた時は、あなたの力を人々のために使いなさい」と言います。要するに、実はケント夫妻の器の大きさがスーパーマンを生んだのであって、単に彼が傑出した超能力を持っているだけでは、あのスーパーマンにはならないかもしれない。ひょっとしたら、超人的な能力を悪用したヴィランそのものになってもおかしくはなかった、という視点です。

 

スモールヴィルでは安定した人間関係に恵まれ、クラークは友人たちとの交わりの中で、地球人としての善良な心や、能力を隠して「うまくやっていく」方法を身に付けて行きました。しかし、町の人々、学校や級友たちとうまくいかなかったら、どうだったでしょうか。今回の作品ブライトバーンの主要なテーマは、ここにあります。

 

製作は「ガーディアンス・オブ・ギャラクシー」シリーズの監督ジェームズ・ガンで、脚本のブライアン・ガンとマーク・ガンはジェームズの弟と従弟という関係です。「ガーディアンズ…」のリーダー、ピーター・クィルも異星にルーツがありながら、地球で普通の地球人として苦労して育った、というキャラクターでした。こういう「かぐや姫」型の人物がひねくれてしまい、悪人として成長してしまったらどうなるのか、というところを追求してみたのが本作のテーマのようです。

 

【ストーリー】2006年のある日、カンザス州の田舎町ブライトバーンに何かが墜落します。長年、子供が生まれず悩んでいたトーリ(エリザベス・バンクス)とカイル(デヴィッド・デンマン)のブレイヤー夫妻は、墜落した異星からの宇宙船に、赤ん坊が乗っているのを見つけ、ブランドン(ジャクソン・A・ダン)と名付け、事実を隠して育てます。

 

12年が経過し、ブライトバーンの学校では一番の優等生として成長したブランドンですが、田舎の学校では浮いており、必ずしもうまくいっていません。そして、12歳の誕生パーティーで彼の奇行が始まります。叔母メリリー(メレディス・ハグナー)とその夫ノア(マット・ジョーンズ)を交えた席上で、12歳になったお祝いとして、ノアが一丁の猟銃をブランドンにプレゼントしますが、カイルは、まだ子供だから、と取り上げてしまいます。するとブランドンは激昂し、「それを渡せ!」と叫びます。それまで反抗したことがなかったブランドンの突然の急変に、トーリとカイルは驚愕します。

 

その夜、ブランドンは無意識のうちに納屋に行き、チェーンで厳重に閉ざされた地下室の扉をこじ開けようとします。そこには、カイルが隠した宇宙船の残骸がありました。

 

ブランドンの部屋で、女性の肉体、特に臓器の写真を見つけたトーリは、ブランドンに異常性があることに気付きますが、ブレイヤー夫婦はうまく息子を導くことが出来ません。むしろ程度の悪い性教育めいたことをカイルから示唆されたブランドンは、以前から彼が好意を寄せているクラスの女子ケイトリンに異常な執着を示すようになります。

 

学校の体育の授業で、ケイトリンから拒絶されて倒れたブランドンは、怒りにかられて彼女の手の骨を砕いてしまいます。学校から停学を申し渡され、警察沙汰になりそうな雲行きの中で、パニックに陥ったブランドンは嘘をつくようになり、徐々に凶暴性を発揮していきます…。【概要ここまで】

 

ブライトバーンの人間関係、両親と大人たちは、ブランドンをスーパーマンとして育てることはできませんでした。母親トーリは息子を溺愛していますが、どこか自分のエゴの延長としての猫かわいがりで、現実を見ない愛し方です。家族とのコミュニケートというと森に連れ出しての狩猟しか思いつかない父親カイルは、内心で息子を化け物として恐れており、距離を置こうとしているのが見え見えです。安易に子供に銃を与える幼稚な叔父、人当たりはいいけれど、実は形式主義で面倒なことが嫌いな叔母、意地の悪い級友…具体的ないじめの描写はありませんでしたが、ブランドンの口から、日常的にからかわれているらしいことが台詞として語られるシーンがあります。片想いの初恋の人にも理解されることはなく、ヘンタイ呼ばわりされます。そして、ありきたりの画一教育しかできない事なかれ主義の学校。みな、極端に悪い人たちではありませんが、かといって有徳の人たちでもなく、要するに平凡な田舎者ばかりです。しかし、おそらくケント夫妻こそがスーパーマンに見合ったスーパー・ペアレンツ(超人的な両親)なのであって、現実的には、ブライトバーンの人々はごく普通のレベルといっていいでしょう。

 

もちろん、そもそもエイリアンの母星が侵略的な目的でこの子供を送り込んできたようにも見受けられますので、周囲の努力ではどうにもならなかったのかもしれません。しかし、環境次第では、結論が変わったのかもしれません。そのあたりは明瞭に描かれていません。ただ、いずれにしても、他の人々と違い、両親は「息子の特殊性」を初めから知っていたわけで、それでああいう対処となって、事態にうろたえるばかり、というのは率直に言ってあまり有能な親とは言えないでしょう。

 

おそらくこの作品を見て、かなり人によって感想が違うのではないか、と思います。妙に身につまされる、という人もいるかもしれません。単なる中二病をこじらせたスーパーマンの亜流のお話、と思う人も多いかと思われます。「自分もブライトバーンで育ってしまった」と感じるような人は、作品の内容うんぬん以上に何か考えてしまうかもしれません。

 

SFホラー作品として見た場合、見せ場は十分に多いのですが、ホラーとしての怖さを求めて見る人には、あるいは意外に物足りないかもしれません。とにかく、これは見る人によってかなり受け取り方が変わるタイプの作品のように思われました。

 

目下のところ、興行収入は日本円で30億円超え、というところだそうですが、製作費も6億円前後と、かなり低予算の映画です。よって、大ヒットではなくても、商業的には立派な成功作となっています。とにかく、不思議に印象が強い持ち味の一作だと思いました。

 

 

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