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2017年2月10日 (金)

【映画評 感想】ニュートン・ナイト/自由の旗をかかげた男Free State of Jones

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 「ハンガー・ゲーム」で知られるゲイリー・ロス監督が、マシュー・マコノヒー主演で製作した映画「ニュートン・ナイト/自由の旗をかかげた男」
FREE STATE OF JONESを見ました。大物俳優の新作なのに、都内でも2か所でしか公開されていないので、私個人としてはかなり遠出となる新宿・武蔵野館まで足を運びました。この映画館がまた、規模の小さいシアターでして、ちょっともったいないな、というのが正直な感想。

 とにかく、ほとんどの日本人が知らない人物の物語で、そしてご当地のアメリカでもあまり知られていない、というこのお話。映画としてどうこういう前に、まずはこの史実を知ってほしい、と強く思いました。南北戦争時代のアメリカ南部が舞台なのです。

 南北戦争という題材そのものが、日本ではいまいち、関心を引くとは言えません。その理由の一つとして、アメリカがこの内戦をしている時期、日本も幕末の動乱から戊辰戦争へと向かう時代であり、外国の戦争より国内の戦争に目が向いていた。それは当時もそうだったし、今でもそうだ、ということだと思われます。ただ、南北戦争のために、もともとアメリカ海軍のペリーが来航したことで始まった幕末の動乱に、結果としてアメリカが介入できなかったという意味合いがあり、さらに、南北戦争の後に余剰となった武器や軍装品が、戊辰戦争時の日本に大量に送られた、という点でも、大いに日本史にかかわりがある歴史イベントだと考えられます。明治初期、西郷隆盛が建軍した初期の日本陸軍の軍装に、アメリカの軍装、特に北軍の軍装の影響が大きいのも、間接的な影響と言えましょう。

 さて、この作品は、南北戦争のさなかに、戦争に嫌気がさして南軍から脱走したミシシッピ州ジョーンズ郡の貧しい白人農民ニュートン・ナイトNewton Knight1837年~1922年)が、同じく南軍の脱走兵士や、黒人の逃亡奴隷たちを率いて、南軍にも北軍にも属しない、人種差別や貧富の差を認めない独自の政体「ジョーンズ自由州」を樹立していた、という驚くべきテーマを扱っております。いわば正式な奴隷解放よりも前に、すでに実践していた人物が実在した、というわけです。

 しかし、こういう人物の存在は、敵対勢力だった南部側はもとより、奴隷解放の手柄のお株を取られてしまう北部側から見ても、邪魔なわけでして、そのためにこの自由州と、ニュートン・ナイトの名は正統アメリカ史から黙殺されてきたのだそうです。実際、ナイトの戦いは戦争の間だけで終わらず、奴隷解放と南北戦争の終結後も、実際には南部で続いていた「年季奉公」という名の事実上の奴隷制度や、法律的には認められた黒人選挙権の事実上の否定、さらにKKK(クー・クラックス・クラン)のような白人至上主義者による黒人の虐殺、私刑・・・こういったものとも戦わなければなりませんでした。そういう圧力の中、元奴隷の黒人女性を内妻とし、彼らの教育や、参政権の確立にも尽力して85歳で亡くなったナイトという人は、まことに強靭な人物だったのでしょう。

 そして、2017年の今、こういう作品を見ると、いわゆるトランプ大統領の支持層の中に今も見え隠れする白人至上主義者の存在があまりにも露わに見えます。ああ、もう150年も前から続いている「ニュートン・ナイトの戦い」は今でも終わっていないのだな、と感じるわけです。

 本作は、2016年に公開後、一部で大きな反響を得て、アカデミー賞も有力視されていたのですが、結局、2017年の賞レースにはノミネートされませんでした。思うに、あまりにも生々しい題材なので、今のアメリカ人には直視できなかった部分もあるのではないか、と思っております。また、史実としてはどこまでが本当にあった話なのか、ジョーンズ自由州なるものの実態という点で、学術上、いろいろ問題もあるともいいます。ただ、本作でも好演しているマハーシャラ・アリは、「ムーンライト」でアカデミー助演男優賞にノミネートされているそうですね。この人は「ハンガー・ゲーム」シリーズでも有名で、今後も活躍してくれそうです。

 

 1862年、南北戦争のさなか。南軍衛生兵として従軍するニュートン・ナイト(マコノヒー)は、「黒人奴隷を20人以上所有している者は兵役を免除する」という南部の新法に激しく憤ります。彼のような、奴隷など持っていない零細農家には、もともと何の関係もない戦争です。金持ちのために貧乏人が戦う、というこの戦争に疑いを持ったナイトは、わずか14歳で徴兵された甥っ子のダニエル(ジェイコブ・ロフランド)が目の前で戦死するのを見て、ついに脱走を決意。縛り首になるのを覚悟で、ダニエルの遺体をジョーンズ郡に運びます。

 しかし、久々に戻った故郷では、情け容赦なく物資や食料を徴発していく南軍補給官バーバー中尉(ビル・タンクレディ)の暴虐により、疲れ切った女性や子供の姿がありました。やがてバーバーに銃を向けたナイトはお尋ね者となり、妻セリーナ(ケリー・ラッセル)からも見放されて身を潜めることになります。一人息子が病気のときに介護して救ってくれた黒人奴隷の女性レイチェル(ググ・バサ=ロー)の手引きで、沼地の奥にたどりついたナイトは、逃亡奴隷のモーゼス(アリ)たちと出会います。運命を諦めきっているモーゼスたちに武器を調達したナイトは、彼らを追ってきた奴隷捜索隊の連中を血祭りに上げます。

 彼らの蜂起を知って、各地から集まってきた逃亡奴隷や脱走兵たちが集結し、軍隊規模にまで大きくなっていきます。激戦の末、バーバーの上官である南軍の残酷な指揮官、フッド大佐(トーマス・フランシス・マーフィ)を処刑したナイトたちは、さらに南軍の拠点を占領して1864年、ジョーンズ自由州の独立を宣言しますが、それは終わりなき戦いの序章にすぎませんでした。1865年、戦争が終わって、憲法の改正により南部の黒人奴隷はすべて解放されたはずでしたが・・・。

 さらに85年後の1950年代にもなって、また新たな問題が起きたことを映画は紹介します。ナイトの子孫であるデイビス・ナイト(ブライアン・リー・フランクリン)が、白人女性と婚姻したことが違法として、デイビスは逮捕されてしまいます。彼はナイトとレイチェルの間に生まれた二男の子孫であり、8分の1が黒人の血統である、よって白人との婚姻は違法であるというのです。この時代になっても、南部の州法では、白人と異人種との結婚は許されない犯罪行為だったのです・・・。

 

 凄惨な戦闘シーン、残虐行為や私刑、といったシーンが全編に出てくる重い作品なのですが、不思議とマコノヒーが演じていると、このどこか毅然としつつも飄々たる人物が映画の中心にいることで、単なる残酷映画じゃない説得力が生まれる感じがしますね。おそらくこの人が主演でなければ、うまく映像化できなかった作品じゃないでしょうか。モーゼス役のアリもいい味を出しており、レイチェル役のググ・バサ=ローもいいですね。普通にやってしまうと見るに堪えない陰気な話になりかねない本作を、俳優陣の持ち味で見事に作品として成り立たせている感じです。

 この作品で見る限りですが、ナイトという人は、間違っているものを見ると黙っておられず、困った人を見ると助けたくなってしまう、それで次々に面倒に巻き込まれてしまう性分の人に見えます。しかし、いつしか不満分子が彼の下に自然に集まってきて、反乱軍の大将に祭り上げられてしまう、というタイプのリーダーのようです。あえて言って、欧州ならロビン・フッド、日本史上でいえば平将門とか、西郷隆盛のような人物ですね。何か自覚的に戦略を描いたり、仕掛けたりしたわけではなく、時代が彼を求めていて、そのように自然に動いたらこうなった、ということ。その、いつの間にか、こうなっちゃったんだよ、というのを表現するには、器量の大きさ、人の好さ、自然さがないといけません。マコノヒー以外に、これほど的確にこれを演じられる人もいないでしょう。なお、本作でのナイトの主張は、人種問題よりもむしろ、貧富の格差の問題の方が前面に出ており、見ようによっては共産主義的な考え方に近いもののように描かれていますが、実在のナイトがそうであったのか、は私には分かりません。

 南軍の軍装が丁寧に再現されています。通常、南北戦争というと勝者である北軍側の描写が多く、その意味で、南軍側から描いた非常に貴重な映画です。私も、当時の南軍の灰色の軍装が、オーストリア帝国軍のものの影響を強く受けていたことは知っておりましたが、星章を着けている佐官以上の服装は調査したことがありますが、尉官以下についてはよく承知しておりません。この映画では、将校の下襟は黄色であったり、下級将校は襟にドイツ風のリッツェンを付けていたりするなど、軍服のディテールに目を奪われました。

 ところで、ナイトたちにしても、敵対する連中にしても、この映画の世界で物を言うのは、最後は銃なのです。要するに力こそ正義。たとえ黒人奴隷であっても、銃を持って武装していたら相手も言うことを聞くしかない。結局、西部劇の世界です。選挙の投票という最も民主的であるべき場でさえ、妨害する勢力も、投票しようとする側もどちらも銃を構えて恫喝しあうシーンがあります。南北戦争で銃器の扱いに手慣れた連中が、そのまま戦後も銃を構えた正義を主張し続けたのが西部劇的な世界で、いわば戦国時代の後に刀狩をしなかったらどうなったか、という歴史なのだと思います。アメリカ人が、今に至るまで銃による正義を主張し続けるのはなぜか、というのも、このへんに原点があるのだろうという感想も抱きました。

 アメリカ人が長らく自慢してきた自由とか平等とか、民主主義とかいう観念が一体、なんであるのか。外国人である我々から2017年の現代の目で見たときに、それが非常に綺麗ごとと矛盾に満ちたおかしなものに映るわけですが、歴史的に紐解くことで、もうこのへんからさほど進歩していないのだよ、という描き方をしたのが本作だろうと思います。このような時代に一石を投じた監督と出演者に、敬意を表したいと思いました。おそらく、アメリカの一部の人たちは、この作品の内容に反発したのではないかとも想像されます。

 せっかくこういう作品を日本でも公開しているのですから、少しでも多くの方に見てほしいと思いました。どう感じるのであれ、問題作であることは間違いないです。また、私個人としては、劇映画としても非常に見応えある一作だったと思います。

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