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2017年1月27日 (金)

【映画評 感想】沈黙(マーティン・スコセッシ監督、遠藤周作原作)

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 マーティン・スコセッシ監督の新作「沈黙」
Silenceを見ました。「タクシードライバー」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アビエイター」などで知られる巨匠が、原作小説を読んで感動し、実に構想開始から28年もかけて映画化した、という作品。原作は言わずと知れた日本の文豪、遠藤周作先生です。原作小説は1966年に発表、ということで半世紀前のこと。そして、遠藤氏は1996年に亡くなっていますが、スコセッシ監督は91年、遠藤氏に直に会って、映画化の許可を貰ったそうです。遠藤氏の原作は、17世紀初めの実在の宣教師をモデルとして、小説的な脚色を加えたものですが、大筋の話は史実が下敷きになっています。

 スコセッシ監督の長年の執念の実現、というもので、これは1630年代末の日本を舞台にした時代劇でもあるわけですが、日本の観客から見ても全く違和感がない、といってよいのではないでしょうか。登場する江戸時代の農民や漁民、武士たち。その身に付けている衣装や刀、昔の日本で見られた小さな馬に、馬具。完璧な時代考証に驚かされます。

 私は、中学生時代に原作小説を読んで、非常に感銘を覚えました。確か、学校に提出する読書感想文のテーマにしたのじゃなかったかと思います。キリスト教という宗教の問題だけでなく、日本という国の特殊性、異文化の理解と衝突とか、人の生き方といったところまで、その年齢なりに考えさせられた作品でした。それで、私個人の当時の印象として、途中で主人公の書簡の形から、通常の小説体、さらにオランダ商人の書簡による伝聞・・・などと視点が変わるところがあり、けっこう読んでみると分かりにくいんですよね(それは、この映画化でもそのまま踏襲されています)。また、主人公が日本に来てから各地を転々とした後、捕えられた後もあちこちに連れ出されたりして、中編なのに登場する人もどんどん入れ替わるし、シーンもかなり展開する。よって、決して難解ではないのですが、意外に文章では理解しにくい印象もあったのです。しかし、今回の映画化によって、非常に分かりやすくなったと感じました。昔、読んだシーンが頭の中でつながった気がしました。これは、そういう意味で映画化に向いた素材だったのですね。

 特に私の中では、この作品のキーマンともいえる実在の人物、井上筑後守政重(15851661)というのがなかなか視覚イメージしにくかったのですが、イッセー尾形さんが起用される、と聞いた時に「なるほど」と膝を打ちました。何を考えているのか分からない、底知れぬ狡猾さと、一見した人当たりの良さと、そして驚くほど深いキリスト教と異文化への理解・・・この謎めいた人物を視覚化するなら、確かにイッセーさんしかない、と思います。それが見事にはまっています。その他のキャストも素晴らしいです。名優リーアム・ニーソン、「スパイダーマン」で名を上げたアンドリュー・ガーフィールド(写真右)、「スターウォーズ」新作で世界的な知名度を得たアダム・ドライヴァーといった若手、それに浅野忠信、窪塚洋介(写真左)ら日本人俳優陣の頑張りも素晴らしいです。20170126235834


 

 江戸時代初め、キリシタン弾圧が強化された徳川時代の日本。

15年にわたって、日本での布教活動の指導者だったフェレイラ神父(ニーソン)が捕えられ、キリスト教を棄てた、というニュースがイエズス会に衝撃をもたらします。1640年、マカオのイエズス会指導者、ヴァリニャーノ神父(キアラン・ハインズ)は、日本に潜入してフェレイラを救出したい、と訴えるフェレイラの弟子、ロドリゴ神父(ガーフィールド)とガルペ神父(ドライヴァー)の申し出を、あまりにも危険だとして止めますが、2人の熱意を受けて許可します。

マカオにいた日本人、キチジロー(窪塚)を案内人として中国船で長崎に潜入した2人は、隠れキリシタンの住むトモギ村の村長イチゾウ(笈田ヨシ)、モキチ(塚本晋也)らにかくまわれ、密かに布教活動を再開。しかし、身を潜めることしかできず、フェレイラの行方も皆目、わからない状況に2人の神父は焦り始めます。

彼らの動きはついに幕府の知るところとなり、キリシタン弾圧の責任者である長崎奉行・井上筑後守(尾形)が乗り込んできます。彼はイチゾウ、モキチ、キチジローらを捕えますが、キチジローはあっさりと棄教を認めて逃亡。イチゾウとモキチはロドリゴやガルペの見守る中、殉教してしまいます。

危険が迫る中、ガルペとも分かれて五島の山中を逃げ惑うロドリゴを、またキチジローが助けます。しかし、キチジローは、イエスを裏切ったユダのように「銀300枚」でロドリゴを裏切り、ロドリゴは役人の手に捕らわれてしまいます。

奉行所に連行されたロドリゴは、日本人信徒モニカ(小松菜奈)、ジュアン(加瀬亮)らと触れ合う中で、日本にもキリスト教がしっかりと根付いていると確信するのですが、それをあざ笑うかのように、「日本にはキリスト教は根付かない」とロドリゴに棄教を迫る通辞(浅野)、井上筑後守があの手、この手でロドリゴを揺さぶります。それは非常に狡猾で、通常の暴力的な拷問以上にロドリゴを心理的に追い詰めていきます。また、どこまでもつきまとってきて、信用すると裏切る、を繰り返すキチジローの姿も、ロドリゴに信教に対する疑問を抱かせます。そんな中、ロドリゴはガルペと、そして懐かしい師匠のフェレイラと悲しい再会をすることになります。

「神はなぜ沈黙しておられるのか? こんなにも私たちが苦しんでいるのに」根源的な疑問を抱き始めたロドリゴの運命やいかに・・・。

 

ということで、原作小説の流れを損なうことなく映画化されており、とにかく日本人としても安心して見ていられるのがすごい。ハリウッド映画にありがちな、日本語のセリフが変、などということは一切ありません。まあ、日本語のセリフ以外は、本来はポルトガル語であるべきところをすべて英語に置き換えているので、そこが興ざめではあります。いくらなんでもハリウッドの枠では、仕方ないんでしょうけどね。

本作を見ていて、おそらく本人たちもかつてはキリシタンであったと思われる通辞と、井上の言うところが妙に納得できるのが面白い。日本人としてみて、残酷な弾圧者ではありながら、その論理が非常に納得できるものに思われるのが興味深いです。要するに、お前たちの持ち込んだ宗教は、そもそも侵略の手先としての布教じゃないのか、そして、お前たちが押し付けてきたものは、あくまでもお前たちの宗教であり文化であって、現にお前らは日本と日本人のことを何にも理解していないではないか。お前らは日本を見下していて、日本語すら全く覚えようとしないじゃないか。それは傲慢じゃないか・・・という彼らの問いかけが、非常に日本人として納得できるんですね。近年でこそ、日本語堪能な外国の方も珍しくないですが、ほんの20年ほど前までは、自分は日本語が全くできないのに、日本にやって来て英語を教えてやる、という上から目線の勘違いな外国人がごく普通にはびこっていましたね。本作を見て、このへんは、外国人の観客、特にキリスト教徒の人はどう思うのでしょうか。

今も世界中で、宗教の名の下に殺し合いが続き、テロが頻発しています。人種問題やグローバリズムの限界というのも、アメリカでトランプ政権が誕生してから、ますます深刻化してきています。こういう時代にこそ、この映画は必要なのだ、というスコセッシ監督の思いが伝わってきます。30年近く、この映画化のために悩みぬき、考え抜いてきたものが、ここにきて一度に結実してきたのだろうと思われます。

日本の誇る文豪の作品が、深い理解を得てハリウッド映画化された、というのはそれだけで記念碑的な快挙ですが、とにかく遠藤周作とマーティン・スコセッシという2人の巨匠が投げかけている普遍的なテーマが圧倒的な迫力です。特に日本人こそ深く味わえる作品ですので、多くの方に見てもらいたいと思いました。

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