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2013年6月21日 (金)

華麗なるギャツビー

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 バズ・ラーマン監督の「華麗なるギャツビー」
The Great Gatsbyを見てきました。同監督の大ヒット作「ロミオ&ジュリエット」で主演したレオナルド・ディカプリオが、新たなギャツビー像を描いています。

 「華麗なるギャツビー」といえばF・スコット・フィッツジェラルドが1925年に発表した小説で、同時代のヘミングウェイ作品と並んでアメリカ20世紀文学の代表作。アメリカでは教科書に載っているような作品で、誰でも知っているものです。舞台は第1次大戦で疲弊した欧州に代わりアメリカが大繁栄した時代、そしてこの束の間の栄華の後にバブルがはじけ、大恐慌から第2次大戦へと向かっていく時代でもあります。先鋭的なヒット音楽としてジャズが流行し、チャールストンが流行り、また禁酒法が施行されて酒類の販売が禁止された時代でもありました。

 この小説は今までに少なくとも5回は映画化されており、最初のものはすでに小説発表の直後だったようです。しかし、今でもよく知られているのは1974年のジャック・クレイトン監督による同名映画でしょう。ロバート・レッドフォードのあくまでも2枚目で魅力的なジェイ・ギャツビー像は決定版となり、衣装を提供したラルフ・ローレンも大いに名声を高めました。脚本を担当したのはあのフランシス・フォード・コッポラでした。しかしこの74年版、今の目で見ると、コッポラ作品にありがちな、格調高い映像の積み重ねで見せる手法から、どうも説明不足で分かりにくい感じは否めませんでした。淡々と描かれていく幕切れ辺りは、はっきり言って拍子抜けの感がありました。それにレッドフォードのギャツビーはあまりにハンサムな好青年であり、どう見ても簡単に三角関係で勝利者になれそうな人に見えてしまい、彼の影の部分、屈折した過去、というものが連想できないところもありました。

 そこへ行くと、今回のディカプリオ・ギャツビーは非常にいいと思います。この主人公の華麗な表面と、その裏側の面を見事に演じていると思いました。

 時は1922年の夏、ニューヨークの新興住宅地ウエスト・エッグに、イェール大学を出て証券会社に勤めることになったニック・キャラウェイ(トビー・マクガイア)が引っ越してきます。彼の従姉妹であるデイジー・ブキャナン(キャリー・マリガン)は、家柄の良い億万長者トム・ブキャナン(ジョエル・エドガートン)と数年前に結婚し、海を挟んだ対岸の古くからの高級住宅地イースト・エッグの豪邸に住んでいます。しかし実のところ夫のトムは、ほかに愛人を作っており、夫婦は倦怠期を迎えています。ニックはブキャナン邸で、デイジーの友人で美しい女性ゴルファーのジョーダン・ベイカー(エリザベス・デビッキ)と知り合います。

 ニックの小さな家の隣には城のような超豪邸が建っており、そこでは夜な夜な狂ったような超盛大なパーティーが開かれており、たくさんのセレブが集まってきます。ある日、突然ニックの手元にその正体不明の謎の隣人ジェイ・ギャツビー氏(ディカプリオ)から、パーティーへの招待状が届きます。あまりに桁外れに派手な宴会にあっけにとられるニックですが、そこに姿を現したギャツビーは、爽やかな魅力にあふれた好青年でした。こうして知り合いになったニックと、ジョーダンに対して、ギャツビーは意外な頼みごとを依頼してきました。ニックの家にデイジーを招待して茶会を開いてほしい、そして、そこで偶然に出会った体にして、自分を引き合わせてほしい、というのです。法外な金持ちであること以外、まったく経歴不明で、自称によれば富裕な家に生まれて英国オックスフォード大を出、第1次大戦では従軍して少佐にまで進級、大手柄を立てたくさんの勲章をもらった英雄である、という・・・しかし、本当のところはよく分からず、そんなあやしげな人物を人妻であるデイジーに会わせていいものか、ニックは瞬間、悩みますが、この依頼を引き受けることにします。そして当日、やって来たデイジーとギャツビーは・・・。

 ディカプリオの奮戦ぶりと共に、トビー・マクガイアの視点で語られるので、彼の「語り」や演技も非常に重要なのですが、大変にはまっています。私生活でもこの二人は友人だそうで、息もぴったりと云うところです。ジョーダン役のデビッキはほとんど無名の新人ですが、素晴らしい美貌と存在感で、これからぐっと伸びてくるかもしれませんよ。それで、2人の富豪を夢中にさせるデイジーのマリガンですが、こちらはコケットかつ、本人のセリフにあるように「女の子は美人で馬鹿がいい」という女性像を表現しているわけですけれど、ちょっとオーラが弱い感じもしますね。

 音楽がふんだんに使われていますが、原設定のままジャズを使ってしまうと時代劇になってしまう、当時の人々にとってのジャズは、今のヒップホップのような斬新な音楽だったのだ、という解釈でブラック・アイド・ピーズやU2、ライオネル・リッチーの曲などが流れます。またコッポラ脚本の74年版にあった訳のわからなさとは対照的に、今作ではきっちりと、何がなんでこうなった、というのが分かるような描き方で、腑に落ちるという点では非常に分かりやすい映画になっています。たとえば幕切れ辺り、74年版ではすっかり姿を消してしまうデイジーですが(原作でもそうのようです)、今作ではちゃんとシーンとして描いていたりします。

 このきちんと分かりやすく、明快で派手な演出が気に入るか、それともいかにも文芸調だった74年版の方がよかった、と感じるかは好みの分かれるところかもしれません。私は21世紀版ギャツビーとしてよくできた映画だと思いましたが、どうでしょうか。

 プラダやティファニーの提供した女優陣の衣装、それからブルックス・ブラザーズが担当した非常に魅力的な紳士たちのスーツやジャケットは見所です。じつは私、先日、ブルックス・ブラザーズで「ギャツビー・モデル」のブレザーとボーター(カンカン帽)を買いまして、エセ・ギャツビー姿で映画館に行きました。私が着ているブレザーは、劇中ではパーティー会場のスタッフが着ていたように見えました。

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