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2009年12月27日 (日)

タキザワシゲル・モデルのダブル・スーツの出来栄え。

Lord_nelson__s_uniform_by_devilish6 ひとつだけ思うことですが・・・今の政権ですね、いろいろ問題はあります。そりゃもう明らかです。しかし我々、前の政権の時の、なんでもスムーズにスムーズに物事が進んだ状態を懐かしんでいてはいけないのじゃないか。どこからも異論が出ず、どこで決めたのかもよく分からず、なんかしらないが揉めることもなければ、ぐずつくこともなく、政策でも外交でも適当に話が決まっており、国民はなんでも事後報告で「あ、そんなことがあったのかしら」とか「おや、いつ決まったんだろう」とか、そういうことに慣れきってきたわけですけれど、あれが異常だったのかもしれません。
 ◆  ◆  ◆
 銀座のサローネ・オンダータが年内最後の営業日、ということでありましたが、じつは先日、頼んでおいた藍色のダブルのスーツが完成。受け取りに参りました。
 いいのですよ、実にこれが。すごい風格ですね。といって古くさくない。なんていうのでしょう、よくわかっている人向け、といいますか。シャープな襟型が非常に気持ちよい仕上がり。どこの海軍の将校かしら、という感じになりました。前にお店の方から「襟のピークがシャープすぎて、お客様によっては好まれない方もいるのですが」とのことでしたが、ええ、何を言うんですか、このシャープなピークがあってこそのダブルでしょ、と。ネルソン提督の燕尾ジャケット=上の写真=なんて、もう鋭角三角形の、ジェット戦闘機の主翼みたいな格好をしていましたよ。これは英海軍の1795年モデル(だったかしら、とにかくそのぐらいの年代)で、英海軍のダブル・ジャケットってのはその流れを汲むもの。そして、英国紳士のダブル・スーツというのは、基本的にこれが原型。それが分かっていれば、ピークドラペルはとんがっていればいるほどいい、という話になります、由来に従えば。
 つまり、昔の燕尾軍服の場合、とんがった襟先をボタンで閉じてきっちり胸元を閉めることが出来た。その名残であります。
 ついでにいえば、ああいう燕尾式軍服の第二ボタンに、勲章を着ける風習がナポレオン時代に始まった。具体的にはナポレオンがレジオンドヌール勲章の末等レジオネラ章のリボンをボタンホールに通して飾るようにした。で、彼は前線で兵士を激励するとき、この末等をさっと外して兵隊に即席で授与したんです。勲章の戦時即時表彰の始まりですね。
 この名残が、今でも背広の襟に残るフラワーホールなわけ。これは後になって文字通りに花を飾ったりしましたし、日本じゃ社員章を付けたりしますが、もともとは勲章のリボンに付いているバラの花の形のロゼット(綵花=さいか)を飾る穴、の意味だった。
 それが証拠というか、ドイツ軍など第二次大戦期になっても、軍服の第二ボタンホールに二級鉄十字勲章や東武戦線従軍章のリボンを通して飾っていたわけです。
 ・・・と思い切り話が脱線しましたが、もうタキザワシゲルの藍色のダブル、最高によろしいですね。ボタンもちょっと目立つ色にしてもらったので、ブレザーとしても使えます。
 タキザワシゲル・モデルはシングルのイメージが強いですが、お店の人の仰るに「ピッティ会場などの海外ではダブルの方が実は人気が高いんです」とのことでして。
 ぜひ、ダブルも試して頂きたいですね、オーダーされる方には。
 

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