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2007年3月28日 (水)

映画「ブラックブック」

 ポール・バーホーベン監督の新作「ブラックブック」を見てきました。名作だと思います。「ヒトラー最期の十二日間」を見た人とか、「暗い日曜日」が好きだ、というような人にはお勧めです、傑作サスペンス。
 そう、サスペンスなんです、ナチス時代の背景が重要な歴史物ですが、本筋は完全にサスペンス。たとえば同じようなもので、ナチス時代を背景にしつつ犯罪捜査物だった「将軍たちの夜」というのもありましたが、ああいうテイストのものです。
 とはいうもののですが、あの時代のオランダ駐留ドイツ軍、その中でも親衛隊の保安本部(SD)をメインにしている訳ですから、生なかな描写では済みません、拷問シーンも虐殺シーンもどんどん出て参ります。が、問題はそこじゃないんですね、面白いことに。
 今回の本筋は、その親衛隊SD部門の将校で私腹を肥やそうとして、ユダヤ人の金持ちを殺しては金品を略奪しているとんでもないヤツと、これと共謀して、レジスタンスのふりをしてユダヤ人に「逃亡の手引き」をするオランダ人の共犯、というのが出てくるのであります。これ、オランダ人としては歴史の恥部。また、ほかにもっと大問題として、SD責任者とお互いに終戦まで破壊工作をしないかわりに処刑をしないという取引をするレジスタンスとか、さらにレジスタンス内部にいながらSD側に内通している裏切り者の存在とか・・・が、次々と登場。
 おまけに、ナチスに荷担したオランダ人を同胞のオランダ人が戦後、どのような扱いで報いたか、というシーンがあったり・・・つまり、誰しもが戦後になるとレジスタンス活動をしていたふりをしたがるんですね、そして保身のために、親独的だった人たちを迫害するわけですが、このシーンなどでは「お前らのやっていることはナチにも劣る!」とある登場人物が切って捨てているんですが、ああいうのはオランダ人としては正視に耐えないかもしれません。
 さらに、オランダ人はおおむね他の国よりはユダヤ人に寛容だったとはいえ、それでも差別意識が強かったということを示すシーンも続々と出てきます。よくここまで、自分らにとって都合の悪いことを、オランダ人であるバーホーベン監督が製作できたな、と思います。「硫黄島」シリーズでも思いましたが、世界的に見て、少なくとも60年前の第二次大戦についてはかなり冷静に相対化して見られるような雰囲気が出てきているのじゃないか、それはおそらくイラク戦争で「正義の戦争」なんてものの化けの皮がはがれたからではないか、と思う次第です。そういう意味合いでは、日本を含めアジア地域ではまだまだこういう突き放した見方、歴史の直視が出来ていない感じがするわけでもあります。
 もちろん侵略戦争をはじめて迫害を開始したナチスが一番悪いに違いないのですが、その占領下で、私たちはかわいそうな被害者であって、正義のためにレジスタンスをしていたのです、というだけの構図では納得できない、という話が多々あるわけで、サスペンスの骨組みを借りながら、非常に硬派な内容に仕上がっているのがすごい迫力であります。
 主人公のユダヤ人女性を演じるのはオランダでは有名な女優さんだそうですが、すごいですよ、体当たり演技です。この人はナチス情報部にスパイとして潜入し、ドイツ将校に身体を売ってまで情報を得ようとする鬼気迫る役柄なんですが、とにかく立場が二転し三転し、息つく暇もなく話が進んでいきます。一体全体、誰が信用できるのか、それとも誰一人信用できないのか、本当の裏切り者は誰なのか・・・シビアな話が展開していきます。見事にその中でしぶとく強く生きていく女性を演じております。
 また、彼女をスパイと知りながら本気で愛してしまう、ナチス将校ながらこの作品の中では非常にまともな人、ムンツェSS大尉を演じているのが映画「オペレーション・ワルキューレ」でシュウタウフェンベルク役だった人。これははまり役。また、その上司のSS大将役は「ヒトラー最期の十二日間」でシェンク軍医を演じていた人です。しかしSSの服がはまって見えます(別にこういう役柄ばかりじゃないんでしょうが)。ちなみにこの映画ではSDの将校たちはグレーの制服姿。右襟の襟章は「SS」の文字がないブランク(空白)で、左袖には「SD」の菱形の記章付き、とマニア心をくすぐる立派な時代考証ぶりです。
 ほかにもいろいろな制服や当時の車両が続々と出てきます。オランダの警察やSS現地補助隊員の制服、消防警察の制服なんてのは大戦時代に興味ある人には必見でしょうね。
 それに、本物のB17やウエリントン爆撃機を使用していると思われるシーンもあり、あんなワンシーンのためにここまで凝るのか、と驚かされます。さすが制作費25億円。
 SD将校のパーティーで、全員で「ホルスト・ヴェッセル」(親衛隊歌)を合唱するシーンなんて、映画でこんなものを見られるなんてまず思わなかった、ここだけでもドイツ軍マニアは必見ものじゃなかろうか、と思います。
 とまあ、このようにかなりのマニアでも大喜びしそうですが、しかし、社会派ドラマとして重厚、またサスペンスとして何よりも煉りに練られていますので、娯楽作としても楽しめます。
 惜しむらくは公開映画館が少ないこと。私も今回はいつもの舞浜の映画館ではやっていないので、幕張まで出かけました。それも一日に三回だけ、3時台の次が9時過ぎのレイトショーというのはきつすぎ・・・これじゃ見たい人も見られないですよ、なんとかしてください! 私も12時近くになって終電で帰宅しました・・・。
 ハリウッドの有名人は出ていないし、アカデミー賞を取ってもいない作品には日本人の反応は冷たいようですが、こいつは傑作ですよ。
 

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2007年3月20日 (火)

映画「ナイト・ミュージアム」

 ふと、日勤の後が夜勤、という絶好の「穴」が私のスケジュールに空いたので、映画「ナイトミュージアム」を見てきました。実はひそかに楽しみにしていたのである。
 というのも、クリス・コロンバス製作でベン・スティーラー主演というこの映画、基本的にファミリー向けの肩がこらないコメディーであるのは明白、そして、そういう問題作でも社会派でも異色作でもなんでもない、ひたすら娯楽として良くできている映画、というのを見たくてしょうがなかった。このところ見た映画は「硫黄島」二部作に「どろろ」に「蒼き狼」「ラストキング・オブ・スコットランド」であった。そのちょっと前も「トゥモローワールド」に「デスノート」であった。いずれもいい映画だったのは間違いないのだが、しかしまあ、濃淡はあるが能天気に笑える娯楽作品というものではない。後味が真っ暗、というもののほうが多い。それはやはり世相の反映とかいろいろあるのか。ハリウッドが不振といわれるのも、単純なお話を作りづらい重い雰囲気があるためなのは間違いない。そりゃやはり、アメリカ人にとっても今は「負け戦」という気分が濃厚なのだろうと思う。
 が、ハリウッドにはハリウッドでしか作れない映画というのも確かにあって、ことさらなんのメッセージということもなくて、しかし莫大な金がかかっており、脚本はよく練れていて、どこかハートウオーミングであり、お笑いの合間に、家族の絆の大切さ、なんてものをじんわりと感じさせてくれる・・・そういうことに成功しているのなら、それはもう見事なエンターテイメントである。
 そして、本作は期待通りに、そのような映画であった。言うことはない。
 話の筋書きは、冴えないバツイチ父親の主人公が、なんとかして父親としての立場を守ろうとなり手のない職場に就職する。それは近ごろ人気低迷中で赤字続きの自然史博物館の夜警、というもの。新人1人を採用してベテラン3人を解雇する、というリストラ方針の一環というものだった。それにしても、なんでその夜警の仕事がそんなにもなり手がいないのだろうか・・・それは、この博物館の展示物は、ティラノザウルス・レックスの骨格標本から26代ルーズベルト大統領の蝋人形やフン族の大王アッチラ、古代ローマ帝国の軍団からモアイ像まで・・・そのすべてが夜になると「よみがえる」からである!
 しかし、なにしろ恐竜は暴れまくるのだし、フン族は歴史で語られるとおりに残忍だし、ローマ軍は領土拡張に燃えているのであるし・・・大混乱になるのである。さて、主人公はこれをどう治めていくのであろうか、そして、尊敬が薄れかけている息子の信頼を取り戻すことは出来るのであろうか、という筋書きである。おおづかみなテーマは、やはりコロンバスのチームが製作したシュワルツェネッガーの「ジングル・オール・ザ・ウェイ」のようなものと思って良い。
 誰しも、夜になると博物館とか学校とかでは何が起こっているのか、などと考えることがあり、それで「学校の怪談」の数々も成り立っているのだが、今回の映画の基本は90年代初めにクロアチア人イラストレーターが出版した一冊の童話が元だという。
 芸達者がずらり勢ぞろいしているが、中でもベテラン3人組のリーダー、セシル役が「どこかで見たような顔」と思ったら、なんとあのデイック・ヴァン・ダイク本人。もう80代も後半だと思うが元気いっぱい、珍しく今回はちょっと裏がある、悪役といっていい人物なのだが楽しそうに演じている。また、途中と最後で、いかにも彼らしい体をくねくねさせた見事なダンスを披露している。あの「メリー・ポピンズ」や「チキチキ・バンバン」で見せたのと同じような踊りっぷりである。
 また、主人公の設定がおそらく40前後と思われるので、選曲も70、80年代の懐メロというか、本人が夜更けの館内でアカペラで歌うのは「アイ・オブ・ザ・タイガー」だし(ちょうどロッキーの最終作が公開されるのでそのこともあるんだろうか)、ラストで登場人物がせいぞろいして踊り狂うときの曲はアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」だったりするが、妙にはまっている。ここは最近のブラック系の曲ではしっくりこないだろう。
 考えてみると、ヴァン・ダイクの全盛期の「メリー・ポピンズ」などはファミリー向けの娯楽作品であると同時に、映画史に残る名作でもあった。少し後の「ET」なども一級のエンターテイメントで商業作品である上に、名作であった。こういう映画ってのを作るのは難しい時代なのかもしれず、これは音楽でも文学でも、閉塞、ネタ切れ、行き詰まりになってくると妙に「娯楽もの」「シリアス」「社会派」などと細かく分裂して、それぞれ先細りして自滅していくものである。
 が、ひとつこういう作品を契機に、楽しくてハートウオーミングな映画をまた作って欲しいものである。制作陣がわざわざ、一度は引退したヴァン・ダイクを起用したのもそういう意味合いじゃないか、と私は見ている。
 

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2007年3月18日 (日)

もろもろのこと。

 昨日、久々に実家に寄った所、近所になかなかいい寿司屋が開店したので行こうじゃないか、といわれて両親と共に行ってみた。「創作料理 一幸」というのである。
 すると、3000円でけっこうなボリュームの寿司が出てくるし、個室は完備しているしなかなかよい。もちろん駅前とか、繁華街に出ればこんなお店はいくらもあるだろうが、住宅街の真ん中にこんなものが出店するのは珍しい、実際、そのあたりは千葉県柏市と松戸市の境の辺りで、ほかに目立った飲食店もない。
 早めに入ったのが正解で、その後、どんどん客が押し寄せて瞬く間に満席、待ち、となってしまった。タクシーで乗り付ける人までいるのには驚いてしまった。
 調べてみると、千葉県木更津市で1969年にスタートした寿司屋さんで、現在は千葉県内だけで10店舗ほど展開しているようで、他の都県には進出していないようだ。
 ◇  ◇  ◇
 近頃は結構これで公私とも多忙である。この日記の更新も滞りがちであるが、まあほかに書く場があるばあいには、こちらが後回しになるのも致し方ない。
 ところで今更だが、先週のボンバルディア機の事故について思ったのだが、ああいうプロペラ機の場合、実は脚部に欠陥がある、というのは珍しくなかったりする。
 ことにああいう、高翼つまり機体の上側から翼が出ていて、大直径のプロペラを装備している高速機については、地面までの距離が長くなるのと、プロペラ分も地面から離す必要があって、同じぐらいの大きさのジェット機と比較しても脚は長めになり、それだけ欠陥も起き易かったりする。また、今時のああいう機首の下に前輪があるタイプほど、前脚への負担が大きくなる。
 戦前の、後輪式の飛行機だとそもそも後輪は引き込ませないものも多かった。
 また、戦時中のプロペラ機では、コルセア戦闘機とか、マローダー爆撃機など、脚部の欠陥で悩まされた当時の新型機である。やはりいずれも大直径のプロペラを擁して、脚がどうしても長くなったためのトラブルだった。
 なにしろボンバルディア機は時速700キロ近く出るというから、かつてのムスタングなど超高速のレシプロ戦闘機と同等の高速機である。そもそもは、大戦中に高速を誇ったモスキート爆撃機のメーカーであるデ・ハビランド社の設計というからなるほど、ではある。
 とにかくプロペラ機については第二次大戦ごろで全ての技術が出尽くしており、そういう意味では新型機だから、といってことさら新しい技術があるはずがない。
 かえって、今の時代にはプロペラ機の運用については知識が乏しくなっている可能性のほうが高い。
 日本でばかり事故が起きている、という話もどうも胡散臭いが、あるいは日本の整備陣にプロペラ機の扱いが分からない、ということはあるのではないかとも思われる。
 ◇  ◇  ◇
 そのほかに日興に、アメリカ発の株安に、ホリエモンの判決に、とまあそれなりにいろいろあったのだが、終わってみるといちいち、まあそんなもんか、と思うのである。
 いまだに堀江氏について「惜しい」というような声がないではないのだが、しかし、彼の手法というのは15年ほど前にアメリカではやって、その後はそういうことをやった成り上がり連中はみんな刑務所に入れられ、完全に否定された経済詐欺の手口である。映画「ウォール街」がヒットした頃の古いやり口だ。別に新しいのではなかった。日本人が無知だっただけだ。「はっきり違法でさえなければ何をしてもいい」というのは市場の世界ではダメというのが世界的な流れである。つまり、ああいう経営者の小細工よりも投資家たちと、「市場の神の手」が優先すべきだ、という市場絶対主義の思想である。
 要するに後進国特有の過渡期に現れたあだ花的な人物に過ぎない。今後、もっと若い世代にもっと有能な経営者が出てくると思う。あの程度の人物にいつまでも恋々としているのは馬鹿げていると思う、もうそんな人も少ないだろうが、念のため。

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2007年3月13日 (火)

ラストキング・オブ・スコットランド

 アカデミー賞で主演男優賞を射止めたフォレスト・ウィテカーの「ラストキング・オブ・スコットランド」を見てきました。あのウガンダの独裁者、大量粛清で知られるアミン元大統領をテーマにしたお話であります。しかしアミン失脚は1979年。私は中学生のころです。当時は「行方不明になっていた側近や政敵の首が続々と大統領官邸の冷蔵庫から発見」などと大々的に取り上げられましたが、今となると若い人にはピンとこないかもしれず、日本でミーハー人気が出るようなテーマではなさそう。実際のところ、平日のラストということもあって観客は少なかったです。
 しかし、これは見逃す手はないなあ。社会派ドラマだから重いし凄惨過酷なシーンも多いのですが、しかし妙に明るいというか、ノリがいいというか、ハイテンポでして、前のシーンにすぐに次のシーンがかぶさるように展開していく演出というのが利いていて、とにかくまだるっこさがない。手持ちカメラの多用で、架空の人物を交えたお話もドキュメンタリーの迫真力を持っております。全編をウガンダ現地ロケ敢行して実際にアミンの記憶も薄れていない、虐殺のあった場所で撮影しているのも見所です。すべてこれは計算されたものとおもいます。のんびり描写していると、とても見ていられない、というような重いシーンも敢えてどんどんぶっ飛ばしていく。どうもこの映画、1971年にアミンが政権を取ってから、78年のハイジャック機着陸事件までの6年にわたるお話のようですが、なにかジェットコースターに乗って最後まで引っ張られるようでもあり、ほんの一週間ぐらいの悪夢の物語のようにも思える。そこが狙いなんでしょう。
 というのも、このお話の語り手というか、視点になっているのは、スコットランドからはるばるやってきた新卒の医師、という設定だからです。なんの考えもなく、ただスリルが欲しくてウガンダにやってきたところ、なぜかあっという間にアミンの侍医となり、側近にまで取り立てられ、望むと望まざるとにかかわらずその悪行に協力する立場となって巻き込まれてしまう・・・なぜこんなことに? 人生が思いがけない方向に加速する感覚を描いているのでありましょう。
 物語の冒頭は、いきなりいかにも英国の古くさい大学の卒業式を終えて、制服を脱ぎ捨て、裸で池に飛び込む若者の群れ、という意外なシーンから始まります。そして、医者の資格を取った青年ニコラス・ギャリガンは、堅苦しい医者の父親と窮屈な家庭を逃れ、「どこでもいいから逃げ出してやろう」と、地球儀をぐるぐる回して指さす。一回目は・・・カナダ。これじゃあまりに変化がない。もっと、見たことも聞いたこともない国がいい。で、二回目で、彼の指が示したのがアフリカ中部ウガンダ。ちょうど軍部のクーデターが起こり、貧民から立身出世を遂げて国軍の副司令官にまでなっていたアミン将軍が政権を取ったときでありました。
 以後、まったく考えもしなかったことに、ギャリガンはアミンの政権中枢に巻き込まれていくわけでありますが・・・以後は見てのお楽しみに。
 それにしてもフォレスト・ウィテカー、さすがにオスカー受賞の演技です。というか、独裁者アミンの複雑な人物像をここまで演技で表現しているとは。ただの残酷な暴君を演ずるのはむしろ簡単でしょう。しかし一方でどこか純真無垢な子どものようでもあり、また猜疑心が強く、勇猛剛胆である一方で小心であり、残酷無比であるがユーモアがあり、恐ろしいが魅力的なカリスマ性のある人物。国民の圧倒的な人気と支持を得ながら国家を破滅させてしまう男。そういう人物を演じるには生なかな研究ではできない。とにかく貧民のどん底からのし上がった魅力的なカリスマの部分をどう演じるか、その同じ人物が、権力を握った途端にどのような疑心暗鬼にとらわれて生き地獄になっていくか、がこの映画のすべてであると思うのであります。このような人物像というと、歴史上ではもう一人、あのアドルフ・ヒトラーを思い出します。一兵卒からのし上がり、人々を魅了して政治家として成功する反面で、おそろしい疑心暗鬼と猜疑心にかられ悪行に手を染めていく人物像には共通性がありましょう。
 映画のラストで本物のアミン・・・なにしろ2003年まで生きていたので、ちっとも過去の人じゃないのですが、その影像が出てきます。なんかこう、はっきり言ってウィテカーのほうがコワイのじゃないでしょうか。ちょっと斜視ぎみのような目つきとか、かえってアミン以上にアミンらしいような。
 それ以外の出演者もいい配役でして、青年医師を演じるのはジェームズ・マカヴォイ。ディズニー映画「ナルニア国物語」でフォーンのタムナスさんを演じて注目された彼、です。あの役柄も、強大な権力を持つ魔女に心なくも協力し、最後には刃向かって弾圧される、というようなものでした。一見するとセンシティブで弱々しそうだが、内面は強靱なスコットランド魂の持ち主、というこの映画の趣旨にぴったりのキャストでしょう。この役柄は、97年にベストセラーとなった原作小説で創造された架空の人物で、実在する複数のウガンダ政権に関与した白人をモデルにしているそうであります。また、アミンの第二夫人で後に悲劇に巻き込まれるケイに演技派ケリー・ワシントン。やはりアカデミー賞男優賞映画である「Ray/レイ」でレイ・チャールズの母親を熱演し、この時点ではまだ無名の新人だったのですが、生前のレイ本人をうならせた、というほどの実力者であります。この二人の熱演ぶりも大いに映画を盛り上げております。今後、ますます伸びてきそうですね。
 さらに、ギャリガンが心引かれる人妻役に、あれ、どこかで見た顔の人、と思えばジリアン・アンダーソン。あの「X-ファイル」のスカリー捜査官の人です。出番は少ないがきっちり仕事しています。
 なお、誰しも「スコットランド最後の王様?」と思う題名ですが、これはアミンのあだ名の一つ。かつて英連邦アフリカ軍の兵士であった頃、スコットランドの連隊と共に戦って、スコットランドに強いあこがれがあったのだそうです。実際、兵士にスコットランド風のキルトをまとわせて軍事パレードしている影像が映画の最後でも紹介されます。原作小説の設定で「スコットランド出身の青年」というのを考えたのもそのへんが根拠のようで、うまいまとめ方です。また、旧宗主国である英国の後押しで政権に就いたものの、その後はなにかと干渉されて、英国政府に対して不信の念を抱いていたようで、歴史的にイングランドに対して反抗を続けたスコットランドに対する思い入れ、というのもあったようです。
 後半はかなりヘビーで、ラストの10分は手に汗握るサスペンスになりますが、前半部など実に明るく楽しく、そのへん絶妙です。見事な構成力の映画だと思います。
 

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